医学生の頃、英語で書いた医学の教科書を読むのが私の仲間のちょっとした流行りであった。
私もブームに乗り遅れまいとそれなりに頑張った私も今から思えば立派であったが、選んでいたのはなるべく絵や写真の多い教科書であった。
当然ながら画像がなければ話にならない放射線診断の本が多かった。どうも私が放射線科を選んだ理由はその辺にあったかと睨んでいる。
その中の一冊に、動脈の流れを見て病気の診断をする血管造影検査のことが書かれてあった。
とある写真の説明に『この検査法が将来、薬剤を病気の部分にだけ運び込む治療技術になるかも知れない。』と書かれていた。
その一文が頭のどこかにこびりついていたのだろうか、医者になって10年も経った頃、放射線科の仕事の中で自分の専門を動脈塞栓術にしようと決めた。
丁度そのころ大学で働いており、何か研究をしなければならない立場であったので、動脈塞栓術に関わる研究テーマはないものかと考えていた。
動脈塞栓術というのは病気の部分の血液の流れを止めて病気を治そうというもので、当然血の流れをしっかりと止める安全な材料が必要なのだが、当時適当な材料が無く、困ることが多かった。
そこで新しい動脈塞栓材料を開発しようと立派な志しを立てた。
けれども私の材料工学の知識などたかが知れたもので、思いついた材料はことごとく研究し尽くされたりしていて、1,2年は無為に時間が経つばかりであった。
そんなある日、大学のレントゲン技師室に遊びに行った時、とある技師さんが研究していた人体模型に使っていた材料を見せてくれたもらった。
それは大きなビニール袋に入った真っ白な粉であった。
試しに手を突っ込んでみると何やら今までに感じたことのない気持ちよい肌触りであった。
やがて、私の手から何かがビリビリと体に伝わり始め、そのまま私の脳天に達して、頭の中で電球がピカッと光り始めたのであった。
私はその粉をぐっと一握り、握ったこぶしを決して開けないで袋から手を出し、そっと私の部屋でこぶしを開けた。
色々調べるとこの材料は高吸水性ポリマーと言われる樹脂で、おむつの材料なんぞに使われていることが判った。
その日からこの材料が血管を詰める材料として使えないかと研究を始めた。基礎実験やら動物実験やら長く実験を続け、5年後にはやっと患者さんに使える状態になり、動静脈奇形と呼ばれる病気に有効であることが判り、今では私のクリニックで癌の治療に盛んに用いている。
その後、長くいた大学病院から市民病院に移ったが、幸いにも塞栓材料の研究を続けることができ、今に至っている。
その病院には私が頼りにしていたとても美人で優しい看護婦さんがいて、その私の大切な研究材料を、『信ちゃんタピオカ』と呼んでくれたが、ちょっと『クレオンしんちゃん』を想像させたので、その名前は却下し、今ではもっと格調高くSAP-MSと呼んでいる。
この材料は今ではヨーロッパやアメリカでは立派に医療材料として使われていて、それぞれ『ヘパスフェアー』とか『クワドラスフェアー』とか、とてもかっこいい名前で呼ばれている。
日本でも厚生労働省の承認が降りたら、さらにかっこいい日本の名前を付けてくれないか今からとても楽しみにしている。
だけど『信ちゃんタピオカ』だけは絶対に嫌だ。