IGM八王子キリスト教会 信徒のページ

IGM八王子キリスト教会 信徒のページ

インマヌエル八王子キリスト教会、信徒のページです。信仰のあかし、信仰生活の雑感などを自由に書き込んでいただけますが、一般の個人を特定したり、誹謗中傷などを書き込むことなく、信仰の糧となるような内容になりますように、ご協力お願いいたします。

Amebaでブログを始めよう!

イースターが間近になっている。
季節は暗い冬から春に向かって急速に足を速める。

日に日に太陽は高くなり、草花も芽吹き始める。

昆虫も地から這いだすこの季節。

自分たちの王となるはずだったイエスキリストが、十字架で死んだのを目の当たりにした弟子たちは、どんなにか失望したことだろう。病人を癒し、盲目の人の目を開け、死人を生き返らすほどの力を持つイエス。ローマ帝国の植民地となっていたイスラエルで、イエスはさらに大きな奇跡でもって理想の王国を建て上げてくれるはずだ、弟子たちはそう思っていたし、そればかりではなく、そのあかつきには自分たちも王国の権力者となることを夢見ていた。


しかしイエスは死んでしまった。


「失望」


まさにそれは失望そのものだった。イエスが生きている時は勇気百倍だった弟子たちも、頼みの親分が死んでしまったら、権力を恐れてこそこそと隠れるしかない弱い存在だった。真闇だった。何の希望もなかった。

そこにもたらされたイエスの復活の知らせ。にわかには信じられなかった。とうてい信じられることではなかった。しかし主イエスは甦られた。


私たちが生きていくのに支障となる敵は多い。戦争になれば敵国。財産争いでは骨肉の争いになることもある。私たちは幼いころより多くの人と争って育つ。しかし私たちにとって最大の敵とは何だろうか。人と争って勝っても、戦争で勝利を収めたとしても、私たち人間はいつかすべて死ぬのである。死は誰にも避けられない。死こそ最終最大の敵なのだ。誰がこの死に打ち勝つことが出来るだろうか。


イエスキリストはこの死に勝利をした。死からのよみがえり。誰にも成し得ることが出来なかった死に対する勝利を我々に示してくださった。

聖書は私たちクリスチャンも、再び主イエスキリストがこの地上に姿を現す時、イエスのように死に打ち勝つことが出来ると約束している。私たちの最後の敵である死に対する勝利。それを示してくれた最初の復活がイースターなのである。



IGM八王子キリスト教会 信徒のページ IGM八王子キリスト教会 信徒のページ
レンテンローズ


イースター前のひと月間を「レント」と呼ぶ。由来は省略するが、このレントの時期に咲く可憐な花。店頭では「クリスマスローズ」という名で販売されている。でも、実際のクリスマスローズ(ヘレボルス・ニゲル)は12月~1月にかけて開花する一種類のみ。レントの時期に咲くものは別種のレンテンローズ(ヘレボルス・オリエンタリス)である。クリスマスローズが白一色なのに対して、レンテンローズは様々な色合いが品種改良によってなされている。うつむいた咲き方が、失望し、うなだれていたイエスの弟子たちの姿を現しているような風情である。

 以前私は苦い経験をしたことがあります。

相手は気がつかずに言った言葉や言動で、憤リが収まらず、気持ちを

相手に言った事がありました。けれども、自分が傷ついたと同じに、またそれ以上に、相手にも傷をつけてしまいました。

そして、関係はぎくしゃくしてしまいました。


この様なことはよくある事かもしれません。そして対人関係がうまくいかなくなってしまいます。


 自分の憤りを抑え、口元まで出ていた事を言わずにいたが、心の中では、裁いていた時がありました。                        だが、ある時、自分も同じような言葉の軽さに気がつかされました。

そして、自分は神様から見たらどんな者なのかを数えあげてみました。

臆病で、気が弱く、優柔不断で、自分は正しいとする心、裁いてしまう心,愛のない心・・・・・

そしたら、自分は神様の前に出られる者ではないのだと気がつかされました。

相手と自分は神様から見たら同じなのだと思わされました。

それからは、裁く心はしだいになくなっていきました。


言葉と想いとが、神様に喜ばれる者としてなを成長させていただきたいと、願っています。         Hより




「あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
新約聖書ペテロの手紙第一 5章7節


仕事柄、以前から心理学的なことに興味があり、特に精神分析や、交流分析といった、現象の根源を探る分野が大好きだった。何に限らず、謎を解くというのは面白い。どうしてそういうことが起こるのか。それが知りたくてさまざまな文献を読みあさったものである。

心の問題が叫ばれて久しい。特別なことのように思われていた「心の病」。たとえばそれが統合失調症だったりうつ病だったり、いろいろな神経症だったりするが、実は特別な病気ではなく、誰でもなる可能性があり、現代人の多くが心の問題で悩んでいるという事実がある。メディアによる啓蒙もあり、心の病は差別されるような特殊なものではなく風邪をひくように、誰もがなりうるものとして受け入れられ始めている。


IGM八王子キリスト教会 信徒のページ


さて、最近よく耳にする言葉に「依存症」というものがある。「薬物依存」「アルコール依存」「買い物依存症」などなど、種類を数えていたらきりがないほどだが、生活を営むのに支障をきたすほどのものを「依存症」と呼ぶようである。


人は誰でもいつでも「安定」や「平安」を求めようとする傾向がある。それは本能と言ってもよいだろう。生きて行くことが出来る保障を得たいのである。しかし、それが揺らぐ時、いろいろなものに依存することによって均衡を保とうとするのが「依存症」なのである。


「ゴミ屋敷」というものがある。自分のものを決して捨てないで貯め込むだけではなく、他人が要らなくなったものを見境なくもらってきたり拾ってきたりする人がいる。決して必要でもなく、使うはずもないようなものをどんどん持ち込むことにより、家中どころか庭中に不要なものを積み上げてしまう。ゴミの中に埋もれて生活しているかのような人々。近隣の人たちはたまったものではない。失火の心配、悪臭に悩まされ、美観をそこない、地域の不動産価値にだって影響するような大問題になる。

この、他人には不要に思われるような物を集めてしまうというのも、一種の依存症だと言われている。自分の存在感に無意識にうちに不安を覚えると、人はそれを何かで代替しようとするらしい。それが物質だったり人だったり、行為だったりと、様々ではあるが、いずれにしろ、心の空洞は他のもので満たされることは無い。一時は満たされたように感じるが、また欲するようになる。そして繰り返す。



簡単に言えば、自分は存在する価値がある、必要とされている、愛されているという実感が無いと、不安に陥って、何かに依存することで安心しようとするものらしい。

事の大小はあっても、このような傾向は誰でも持っている可能性がある。しかし、それが極端に現れてくると依存症ということになる。



IGM八王子キリスト教会 信徒のページ



さて、私の場合だが、思い当たることがある。私はものすごく食いしん坊である。早食いで大食い、だらだら食い、甘い物も大好き。そして太っている。しかし小学校の2年生ぐらいまでは痩せていて、嚥下機能も未発達だったのか、給食で出る野菜やパンがなかなか飲み込めなかった。結果、食べるのが遅くなり、そのうちお腹が一杯になってしまうので給食を残すことになる。

当時は給食を残す子は、わがままで好き嫌いのある子ということで先生に叱られたり、残されて食べさせられたものである。努力すればするほど、口の中で水分を失い、ボソボソになって、ますます食べづらくなる野菜やパンを、涙を流しながら食べさせられた記憶がある。食べることには恐怖すら感じていたと思う。

幼いころから遅れがちで、いじめられることが多く、子どもながらにストレスを感じていたようで、唯一頼れる母も、母子家庭なので、仕事をしていたために留守勝ちだった。その分、母子癒着が激しかったと思う。母の姿が見えないと、不安に襲われてよく泣いていたものである。そして小学校3年生ぐらいから、急に過食になり、みるみる太りだした。


それ以来、40数年、肥満傾向は続いている。20代の一時、努力して体重を落としたことがあったが、継続せず、結局現在は身長約170センチ、体重は823キロはあると思う。肥満児はメタボおやじになった。

私が肥満となる過食傾向について、最近になって気付いたことがある。それは、私がただの食いしん坊ということではなく、常に満腹状態でないと、不安を感じる傾向があるということだ。ちょっとお腹が空くと満たさずにはいられない。別にすぐに食べなくても、次の食事時間になれば食べられるのに、すぐに食べないと落ち着かないのである。明日の食べ物があるかどうか解らないというような、切迫した状況ではないのに不安になるのだ。空腹に対する不安。これは、生きようとする生物的本能も影響しているかも知れないが、それ以上に、何か心の空洞を満たそうとする代替行為ではないか、と思い始めたのである。

車の運転中に少しお腹がすいたとしよう。コンビニが目に入る。つい立ち寄ってパンを買ってしまう。それも1個だと何となく不安になって3個買ってしまう。そして1個食べる。何となく満たされずに全部食べてしまう。ああ、食べすぎちゃったなと、気持ちが落ち込む。けれども食べずにはいられない。ならば、次の食事をやめるかといえば、やはりそれも食べてしまう。結果1日トータル食べ過ぎになってしまう。

甘いものが食べたくなる。チョコレートの袋が目に入る。ほんの少し食べてみる。でも、美味しいからもう少し食べる。止めなくてはと思いつつ、結局一袋食べてしまう。食べ過ぎて気持ち悪くなるが、また同じことを繰り返す。


やはり、これは普通ではない。必要ではないことが解っていても止められないのである。


IGM八王子キリスト教会 信徒のページ



この不安は、自分の存在感に対する不安なのであろう。私が存在していてOK.である、私は愛されているという実感がどこか欠落しているから、不安なのだと思う。自分に自信があれば何かに依存する必要などないのである。私は主と出会った時、多くの不安が解消された。それは世界が明るくなった思いであった。そうではあるが、私の体に染みついた古い性質、古い傾向性の影は私を支配しようとしているらしい。もう必要が無いのにそれを続けようとする。

けれどもそれに気付いた今、私は食べ物やその他のものに依存する必要が無いことが解った。私には主によって必要なすべての物が与えられ、明日を思い煩う必要が無いのだ。冒頭の聖句はそれを証明してくれている。

万が一、私が飢餓で死ぬようなことがあったとしても、主が共にいてくださるなら何の心配もないのである。飢餓によって死ぬことすら恐ろしくないとするなら、何に依存する必要もないではないか。私にとって必要な食べ物(パン)はイエスキリストご自身なのだ。それが与えられているなら何の心配もいらない。


「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでも、このパンを食べるなら、永遠に生きます。・・・」

ヨハネの福音書651


 参照聖書箇所:ユダの手紙全体

 

 教会は神に守られている安全な場所だと思われがちだが、実は常に誘惑にさらされている場所である。実は教会という場所は、この世の勢力(悪霊)と神の勢力が闘いを交えている最前線なのだ。教会ではさまざまな思想が吹き荒れ、そして救われた魂をさらって行こうとする。


 

 

教会を離れて、信仰を保つことは出来ない。聖書も読まず、集会にも出ず、クリスチャンでいることは難しい。人間はそれほど弱い存在で、その弱さは放っておけば放縦(自分の好きな生活)にどんどん進んで行く。 教会に行かなくても、聖書を読まなくても、聖霊を知らなくてもクリスチャンでいられるような気はするが、それは「クリスチャンのつもり」なのであって、世の人と変わらない。(ユダの手紙1819節)




 クリスチャンと称しながら、世の人と同じように世のものを追いかけて生きている。そしてそれに疑問を抱かない。まさに灯火は持っていたが、油を用意していなかった娘のようである。主の再臨の際に、どうしたらいいかわからず慌てふためいてしまう。




 主とは誰なのか・・・信仰とは何だったのか・・・何もわからない。でも自分はクリスチャンだと言ってみても、主は「私はあなたが誰かを
知らない。」とおっしゃるだろう。




・5
人の賢い娘の例え(マタイ251~13  



灯し火は持っていた
→クリスチャンだとは思っていた。


油が無い
→これは信仰生活をきちんと守らず、主を日々体験することもなく、聖書の約束も解らず、主が来られても、何をどうしていいのか、解らなくなった状態。



油を用意してあった
→信仰生活をきちんと守り、いつも主を身近に体験し、み言葉の中で主とお会いし、主が来られたら、すぐに親しくお迎えできる(主が来られたと解る)状態のこと。



灯し火と油を用意してあった
→クリスチャンである自覚と、それを裏付ける豊かな信仰経験と確証を持っていたということ。



 救いの達成と言うのは、信仰生活を続けることである。エジプトを脱出した人間でカナンの地に入ったのは、ヨシュアとカレブだけであった(ユダの手紙
5節)



 教会生活を守らなくても、この世での生活はさして変わらないだろう。名ばかりのクリスチャンであっても、信仰生活をきちんと守るクリスチャンであっても、死ぬまでの生涯はそれほど変わらないかもしれない。しかし主が来られた時、油が用意してあるかどうかは、すぐにわかってしまう。



 大好きなスターが目の前に現れた時、よく知っていて、普段からその人に関心を抱き、その人のことを考えていれば、すぐにその人だということがわかる。けれども好きだと公言していても、実際その人に関心がなく、情報も収集していなければ、目の前に現れても誰だか解らない。話をしてみてもとんちんかんで、すぐに似非ファンだということがばれてしまう。それと同じように、再臨の時、あなたは主を見ても解らないし、主はあなたを知らないというであろう。

 

 救いの達成は罪許された後も、日々主と親しく交わり、聖霊に導枯れ ることが何よりも大切である。

今日、八王子教会では洗礼式が行われ、長年教会へ通われてきた姉妹が洗礼を受けた。

先週行われた招天者礼拝には毎年多くの方々が集うが、今週も洗礼式にも多くの方々が集い、

にぎやかな週末を神様とともに過ごすことになった。


また先週の礼拝では、昨年のクリスマスにともに洗礼を受けた兄弟が、

教会へと導かれることになった大きな課題の一つがとても良い方向に向かい始めたという嬉しい報告もあり、

季節の変わり目とともに、多くの教会員の皆さんが信仰生活に大きな節目を迎えることとなった。


今日の礼拝では、横浜から来ていただいた先生から「信ずる者に与えられる恵み」という

クリスチャンにとってもっとも基本的で大切なことについてお話いただいた。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」



正直に話そう。(脈絡なくきこえるかもしれませんがお許しください)

私の中には「死への憧憬」というものが存在する。それもかなり強く存在する。

ヒーローは死ななければならない。

本当に死ぬ場合もあれば、死にそうになりながら、あるいは一度は死にながら、

そこからよみがえって、それまでとは別人というくらい突然圧倒的な力を発揮する。

古今東西、あらゆる英雄伝説、ヒーローものも、その点に関してはワン・パターンである。


私もまた、死というものをノスタルジックに考えているところがある。

「ヒロイックな死」というものに憧れを持つ者の一人である。

4年前の冬、12月に私は初めて自転車で旅に出たのだが、そのときの僕の頭の中には、

「死」というものが明確に意識されていた。

夜の10時ごろに家を出たときには「このまま凍死できたらいいな・・・」と思いながら、

ペダルをこいでいた。


もちろん、人間そんな簡単に死ねるわけもなく、寒くなったら温かいものを口にするし、

おなかが減ればものを食べる。そういうじわじわとした苦痛を耐えることなしに、

突然死ぬのは、なかなか難しいものだということがわかり、

なんとなく気持ちがしらけてしまって、おまけにお尻も痛くなって、

そのときは一泊二日の小旅行になったのだったが。


いま、僕が自転車で世界一周の旅に出たいと思っているのも、そういうところが少なからずある。

あのときほど「自殺願望」が強いわけではない。

死ぬことを所望して旅に出るわけではない。

だけども、やはり「死ぬような経験」をしてみたいという気持ちは強くある。

「死」というものを乗り越えて、僕は何を得られるのか、何を感じるのか。


多くの人は「死ぬような体験」なんてしたくもないだろうし、僕だって本当に「死ぬような目」にあったら、

「こんなことしなきゃよかった」って本気で後悔するかもしれないし、「死にたくない」って思うかもしれない。


「そんなことあたりまえだろ」と思うようなことかもしれないけれど、

しかし、僕にとっては、そこまで自明のことではない。


たしかに「死」というと否定的に聞こえるかもしれないけれど、

「燃え尽きる」ような体験といえば、わかってもらえる人も増えるかもしれない。

矢吹丈のように、何もかも自分の人生のすべてを燃やし尽くすような体験をしてみたい。

その結果が「死」であれ「灰」であれ、そんなことはどうでもいい。

勝つか負けるかもどうでもいいと思えるような経験をしてみたい。


そんな思いが僕の中には強くある。


しかし、それは生きることを放棄する考えでもある。

カセットのA面とB面のように、僕の意識の中ではA面としての「死への憧憬」を強く意識しているけれども、

その裏には聞こえないけれど、B面としての「生の放棄」が「死への憧憬」と同じくらい強く存在している。


・・・夕拝が始まる時間なので、今日はここで筆をおく。


いまはモーセの兄の「アロン」についての文章を書いてみたいなあと思っています。



あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出されていた。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつも私の心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

M・パワーズ

彼らが叫ぶと 主は聞いてくださる。 そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。主は心のうち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし主はそのすべてから彼を救い出される。主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない.   詩編34:17~20


人が生きてゆくなかで、様ざまな所を通される。誰でも平坦な道を望むけれども、神様は、私達一人ひとりを愛していてくださるお方.原石を磨きあげそして、削り、美しい宝石に創りあげてくださる。削られ磨きあげられるがわの原石は辛いし、苦しいし,痛い。

でも神様にそんな時は、叫んでみようよ。主は聞いてくださる。そしてすべての苦しみから救ってくださお方。

神様は、あなたからの祈りを待っている。携帯だって、電源入れて番号入力してはじめて、相手に通じるだから。

                2010/7/28 Hより


今週は土曜日も仕事だったので、証を書くことができませんでした。

かわりに、というわけではありませんが、来週の青年のまじわりにむけて、思ったことを書いておきます。

なかなか話し言葉ではいえないことも多いので、ここに書くことにしました。


自己中心、というのは、完璧さを求める心、と言い換えることができるのかもしれない。

 人は誰でも完璧さを求める心があると思う。どんなにのんびりした人にも、思いもかけないところに、思いもかけないこだわりがあるものである。

 さて、しかし、完璧さというのは、人それぞれにおいて、人それぞれの考え方があるものである。

 買い物について考えてみよう。

 ある人にとっての完璧とは、あらかじめ買うものを決めて、頭の中にある値段と比べて、効率的に迅速に買い物をするのが、完璧な買い物かもしれない。

 またある人にとっては、店の商品すべてを見比べるだけでなく、近くにあるスーパーすべてに寄って、一番安い商品を買うのが完璧な買い物かもしれない。

 もし、こうした考え方を持つ二人が一緒に買い物に行かなければならないとすれば、どうなるであろうか?

 お互いに自分にこだわりが強ければ強いほど、相手の考え方が理解できないかもしれない。

 それでも、一人がひとつのことについて、ひとつの完璧さしか持たないのであれば、まだ事態は容易である。

 しかしながら、人間はひとつのことがらについてもその些細な状況の違いによって、幾通りもの完璧さを持っているものだから難しい。

 あるときには、とっとと買い物を終えたいと思い、またあるときはじっくり買い物をしたいと思う。

 そして完璧主義者であればあるほど、そのときの思いを周りの人には告げることなく、当然相手もそうするものだと考えがちである。(なぜならばそれが「完璧」なのだから)あるいは、自分が完璧に立てたスケジュールを他人に邪魔されたと感じると、極度にいらいらしてしまうのである。

 つまり、完璧さというのは、同時に脆さであり、その人にとっての弱点であると私は思う。

 周りの人の誰から見ても、わがままな人というのはいるものである。しかし、案外その当人は自分がわがままだとは思っていないもので、自分だけが完璧で、周りの人はみんな自分を邪魔していると思っているのではないだろうか?

 さて、かく言う私自身も完璧主義者である。おおくのことがらにおいて自分自身の完璧さを持っている。そしてそれが邪魔されることに耐えがたい苦痛を感じ、いらいらしてしまう。そして私自身の考えは、その時々においてころころ変わるので、もし誰かが僕の完璧さに合わせようとしても、そんなことは不可能である。

 しかし不可能であることはわかっていながらも、私の完璧な計画を邪魔されると、とくに私の近くにいるものに邪魔をされると、もはや生理的に、反射的にいらっとしてしまう。考えではなく、反応なのである。母親然り、彼女然り、である。

 つまり、無意識的には、私は無言のうちに私の気持ちをすべて理解し、それに完璧に沿ってほしいと他人に望んでいることになる。もちろん、はっきりとそう思っているわけではない。しかし、それ以外のことをされると、私はいらいらしてしまうわけだから、結果的には、そういうことになると思う。

 キリストに出会うまでは、そうした自分の完璧さというのは、実はわがままな心の表れである、ということにすら気づいていなかった。

 キリストに出会ったことで、今までの私がいかに自己中心であったかということに思い至ったわけであるが、そう思い至ったところで、そう思ってしまう自分自身からは解放されていない。

 人間関係についてだけではない。金銭においても、時間においても、そうである。

 金銭については、私はおそろしいほどのケチである。余計なお金は一切使いたくないと考えている。学生時代お昼ご飯をお店で食べたり買って食べるということはほとんどしなかったし、それどころか飲み物さえ、水道水で済ませていたものである。食事に行っても、おごらなければならないようなときには自分の分は控えるし、割り勘になることがわかっていれば、人一倍食べないと気がすまない。牛丼屋に行っても牛丼並と豚丼並以外ほとんど食べたことがない。そして嵩増しするために大量の紅しょうがを乗せるのである。少々法律に触れるようなことも、ばれなければかまわないと思っている。百円玉が返却されるコインロッカーを利用すると、つい周りのロッカーに取り忘れられた百円玉がないか見回してしまう。そんな具合である。

 キリストを信じると決意し、きよい生活を送りたいと思ってからも、こうした性向は、まったく変わらない。自分がこうした性向を持っていると自覚しているかいないかの違いである。

 自分のそうした完璧主義、わがままが始めると「ああ、また始まったな…」と心の中で思ってはいても、私はそれを決してとめることができない。いったん始まってしまうと、どんどん加速してゆき終わるまで、それをとめられない。

 そして、すべてが終わったあとで「ああ、またやってしまったな…」という後悔と疲労感と虚無が残るだけである。そして、そのときは、もうやめようと思うのだが、またそうした状況に直面すると、私は何度でも同じことを繰り返してしまうのである。そしてこれこそが「自己中心」であり「肉の思い」である、と私は思うのだ。

 本当に私の力ではどうにもならない。神様にゆだねるしかない。

 しかし私の心の深いところで、私はすべてを神様にゆだねることを拒んでいる。すべてを神様に明け渡すことができない。

 ここまでわかっていながら、そうすればよいと分かっていながら、そうすることがどうしてもできない。できないというのは私の意志ではない。

 ここで私の心のもうひとつの悪いところが顔をのぞかせる、それは結果をすぐに求めてしまう心だ。何かをする、するとすぐに結果がほしくなる。結果がわからないことには時間をかけることができない。

 

 今の私は、神様を信じて、神様とともに待つことが、必要だと感じている。神様とともに忍耐する。耐え忍ぶ。

 神様、わたしの心に余裕を与えてください。

人を許し、自分を許し、すべてのものを愛する心を与えてください。アーメン。

文字数がこのブログの掲載可能文字数を超えてしまったので、二つに分けて掲載します。


春休みが終わってからも陸上部と掛持ちしてディベート部の活動をすることにしました。

 学校の周りを10㎞走ってからディベート部に参加したりしましたが、陸上部では地区大会で負けてしまったので、生活のウェイトはディベートのほうに傾いていきました。

 全国大会まで勝ち進むことができましたが、全国大会では予選3試合のうち最初の2試合で負けてしまって、決勝トーナメントに進むことはできませんでした。しかし最後の三試合目で、私は初めて自分の思い通りのスピーチをすることができました。ジャッジの表情をみていると、ジャッジとの呼吸がぴったりと合い、ジャッジの判断と自分の思い描いたストーリーとが完全に一致していると感じることができました。スピーチをしながら気持ちが激してきて、鳥肌が立つくらい体が感動していました。

 それだけに決勝トーナメントに進めなかったことが余計に悔しくてたまりませんでした。また、このときに感じた興奮と感動をもっと味わいたくて、ディベートを続けることにしました。東京ビックサイトの大ホールで行われた決勝戦と三位決定戦を見て、自分もこれだけ大きな舞台でスピーチがしてみたいという思いもありました。

 

 中学3年生になってからは、準備がしにくい第二反駁であっても、ある程度の方法論を確立することができるようになりました。この年が高校時代を含めても一番準備をしていたのではないかと思います。

 そうして全国大会に出場し、東京ビックサイトで決勝の舞台に立つことになりました。

しかしながらこの試合、私は痛恨のミスを犯してしまいました。スピーチには制限時間があるため、選手はスピーチを始める前にストップウォッチをスタートさせ、時間を見ながらスピーチをします。しかし私は決勝の舞台でストップウォッチを押し忘れてしまい、あと残り時間がどれだけあるのかわからないままスピーチをしなければならなくなってしまいました。そんなミスは今まで一度もしたことがなかったので、どうしたらいいかわからなくなって、焦ってぜんぜん話せなくなり、あっという間に4分間が終わってしまいました。

 

 もしちゃんとスピーチをして負けていたならば、負けてしまったことへの悔しさも、準優勝できたことへのうれしさも、素直に表現することができていたと思います。

 しかし、ストップウォッチを押し忘れるという試合とは関係のないミスで試合を壊してしまったことで、気持ちがわけがわからなくなってしまいました。チームメートに対する申し訳ないと思い、穴があったら入りたいというくらい恥ずかしくなり、逃げ出してしまいたいと思いました。会場を抜け出して、控え室に逃げ込みました。

 やがて先生やチームメートや部員たちも控え室に戻ってきましたが、私はまともに彼らと顔をあわせることがつらくて、嘘泣きを始めました。気持ちの収拾がつかなくて、ぐちゃぐちゃになっていて、ぜんぜん泣きたい気分でもなかったのですが、みんなの目が気になって、腕で目を隠して、泣こう泣こうと必死に力を入れていました。

 

 このまま、負けたままでディベートをやめるわけにはいかないと強く思いました。準優勝はしたものの、この年、中学2年生の全国大会最後の試合で感じたような完璧なスピーチは一度もできませんでした。

 それまでは地元の高校に通おうと思っていたのですが、ディベートのできる高校に通いたいと思うようになりました。

 

 中学生の私は、どんなときにも主役でなければ気がすまない人間でした。どんな行事でも前に出て、目立たなければ気が済みませんでした。目に見える評価が与えられたときに私は満足しました。陸上部で成績を残したり、ディベート部で優勝したり、生徒会長を務めたり、ありとあらゆる機会に私は周りから評価されたいと思っていました。

 

 何かのコンテストや表彰があるときには、自分の中では「もしかしたら」という思いがあっても、その気持ちを素直に表現することはしませんでした。むしろ自分には全然関係ないって素知らぬそぶりを見せようとしました。えらそうな顔、もしくは物ほしそうな顔をしていて、いざもらえなかったときの恥ずかしさを考えると、とても耐えられませんでしたし、もらえそうな顔をしているってことを周りの人に見抜かれるのが恥ずかしかったからです。

また、発表があったときに「え?俺?」って表情を見せるのが快感だったからという気持ちもあります。

 しかし自分ではそう思っていても、実際にはあからさまだったかもしれませんが。


 平日は毎日放課後6時過ぎまで陸上やディベートや生徒会活動など何かしらやることがあって、休日も陸上やディベートの試合があって、ほとんど家にはいませんでしたし、話をしたいとも思いませんでした。私の中で家族という意識はだんだんと薄れていきました。

 それに代わって、池田先生がだんだんと父親のような気持ちになってゆきました。本当の父よりも池田先生とのほうが長く時間を過ごし、気持ちの上でも大きなウェイトを占めていましたし、本当の父とは考え方も趣味も合わなかったので関係が本当に希薄となりました。


 ある日池田先生に呼ばれて職員室に入ると、高校でもディベートを続けたいならば、早稲田大学高等学院(早大学院)という高校があると紹介されました。全国大会までは高校に通うという明確な目標もなく、まあ普通に高校に入るんだろうなという感じはありましたが、一方で落語家に弟子入りしようかとちょっと本気で考えていた時期もありました。

 しかし全国大会が情けない結果に終わって、どうしても高校でディベートがしたいと本気で考え始めていたのですが、実際に探してみるとなかなかディベート部のある高校はなく、なかばあきらめ、高校に入ってから創部しようか、しかしそれではとても全国大会優勝は難しいだろうなと考えていました。

 早大学院はその年初めて全国大会に出場した新鋭チームでした。推薦入試があるから受けてみたらどうだという話になり、私もそれなりにその気になって、もし推薦で落ちたら一般受験もしてみようかと思って、早大学院の過去問集を買ってみましたが、まったくちんぷんかんぷんでした。部活やその他いろいろな活動で忙しかった私は、高校入試についてはそこまで強い思い入れがありませんでしたし、学校での成績はオール5に近いものだったので、いざとなったら推薦で地元の高校には入れるだろうと考えていました。春休みから塾には通っていましたが、いわゆる進学塾ではなく、地元の塾に近いような塾でした。それでも部活が第一、塾は第二だったので塾の先生からはいろいろ言われましたが、高校入試より、目の前にある試合のほうが私には大切でした。

 そんな私には東京都、いや全国でもトップクラスの私立の高校の試験を受けるほどの学力はまったくありませんでした。国数英、どれをとってもまったく理解できないものでした。私はきれいさっぱり一般入試はあきらめて、推薦で受からなければ地元の都立高校に進学しようと思っていました。

 そんな思いで推薦入試の面接を受けたのですが、面接官のひとりが私のことを知っていました。ディベートに興味を持っている先生で、私が出場した全国大会決勝のビデオを見ていたのです。

 普段はあがり性で焦りすぎてうまくしゃべれなくなることもある私でしたが、このときはうまくしゃべることができました。受かったかもしれないという気持ちがありました。

 発表の日に高校の掲示板に行くのは、なまじ感触が良かっただけに、本当に緊張しました。掲示板に自分の番号があったのを見て、私は一気にテンションがあがりました。


 卒業アルバムの編集委員にもなり、卒業文集の中のコラムのランキングにも自分が選ばれそうな質問を入れていました。今から思うと本当に恥ずかしいです。


 こうして早大学院に入学することになりましたが、中学校では学校の中心にいた私でしたが、高校ではクラスの中でうまくなじめませんでした。これといって趣味もなく、ディベートというマイナーな競技に中学生活を費やし、漫画もアニメもそれほど見ずに、音楽もとくに聴かないので、話の合う人がいなかったのです。

 また、自分は大して面白いことが言えないということにも気づきました。

土曜日がやってきました。

今週の水曜日は深川教会の祈祷会に参加しました。とてもあたたかく迎えていただき、ともに主に祈ることが

できました。

今日は午前中仕事だったので、仕事が終わってからそのまま教会にいます。

家に帰るとテレビ見て寝そうなので、すこし遅くまで教会にいます。

毎回編集もせずに書き流しているので、もし何か問題発言があったら、教えてください。



陸上部についても一つ話したいことがあります。

都大会前にはそれなりに練習をしていたのですが、思ったように力が伸びず、大会では地区大会のときよりも少し遅いタイムになってしまいました。私は結果を出せなかったことを周りの人にも、また自分にも言い訳をするために、足を痛めたふりをしました。そして初めはまったく痛くなかったのですが、足を引きずるように歩いたり、周りの人にそう言っているうちに、だんだん自分でも足が痛いような気がしてきました。わざわざ病院にまで行きました。そして「軽い肉離れ」と診断され、リハビリを受けることになりました。

 試合で結果が出せなかったことを誰も責めたりはしなかったと思います。練習をさぼったわけではなかったのだし、そのことを素直に受け止めればよかったのだと今は思います。

 しかし私は結果を出すことができなかったことで、周りの人に失望されるのが怖くて、また、結果を出すことができなかった自分自体を受け止められなくて、言い訳をしてしまったのだと思います。

 私は思うような結果が出せないときには、いつも何か言い訳をするようになりました。それは人に言うためだけでなく、ただ自分のなかでも言い訳することもありました。良くても悪くてもまともに結果を受け止めるということができなくなりました。(今でもそうです)


 私は自意識はどんどん強くなってゆきました。表向き私は自分を低く評価しました。またそのように考えているとも思っていました。しかしそれは他人から評価されたいという気持ちの現れでした。私の場合、他人から評価されたいということがすべてでした。その気持ちは今から考えると気持ち悪いほど恥ずかしいものです。

 とはいえ、いくら今の私が昔のことを説明しようとしても、うまく伝わらないと思いますから、当時の僕が書いた文章をここに載せたいと思います。前後の関係があるので、少し分かりづらいかもしれません。

 ディベートの掲示板での第二反駁の方法についての質問に対する中学三年生の私の書き込みです。


―――――


「どうしたらいいんでしょうかね?」
ではにゃあがな。
そこが第2反駁の『ダイゴミ』でござんしょ。
争点について考える事に『シビれる』ようじゃなきゃあ
真の第2反駁者としては、まだまだダメダ~メですよ。
あのスリルがたまんね~って言えるようにならなきゃ!!
試合を左右するような、焦点の選択、議論の構築。
第2反駁者の能力の真価が問われる瞬間。
それを味わえた時、第2反駁をやっている甲斐があるってモンよ。
悩めることをたのしみなさい。
失敗したって、しょうがない。
というより、失敗して当然。
僕もやっとこのレベルにたどり着くまで、約1年半。
第2反駁だけに固執して。
本当に「成功したなぁ・・・」
って思えたのは、わずかに2回程度。
失敗して失敗して失敗して。
僕のディベ―ターとしての歴史は失敗の歴史です。
でも失敗は恥ずかしい事じゃない。
誰だって経験するし、誰だって壁にぶち当たる。
(いまの、時光くんや、木村くんがそうだね。)
ものすごいスランプに陥ることもある。
しかしそこを乗り越えた時に真の実力がついて来るんだよ。
どんなにお先真っ暗でも、行き当たりばったりでいいから
がむしゃらに前に進んでみたら?
失うものもあるかもしれないけど、それを恐がっていたら、
なにもできないじゃない?
・・・俺って「いつでも全力勝負」な男だから、
他の人なら要領良く切り抜けちゃう仕事も、
正面から堂々と勝負して、ぼろぼろになるまで闘っちまう損な男なんだよな。
よくまわりから、「そんなにバカみたいに一生懸命になる事ないんじゃない?」とか言われるよ。
でもそれはそれで、かなりの事を学んだと思うよ。
要領の良い奴には決してわからないだろうことも。
もちろんそれなりに多くのものを失った事も確かだけど。
俺みたいにバカ正直になる事は全然ないけど、
壁にぶちあったのなら、その壁を喜んで歓迎しなきゃ。
要領よく、まっすぐな道を歩いている人は、
楽だろうけど、人生の本質的な楽しみはないやね。
山あり谷ありの人生は(僕の場合は、自らわざわざ断崖絶壁を探しまわりながら進んでいますが。)
普通の人の倍は疲れるけど、倍は物を失うけど、
すっごく楽しいもんだと思うよ。

だから二人とも、また同様の悩みを抱えている方、がんばって壁を乗り越えてください。

p,s 偉そうな事言ってごめんなさい。
  まだ15歳。青二才のつたない「人生論」だと思って勘弁してやってください。このごろ、「三木清」とか「武者小路実篤」とか「倉田百三」とか読んだばっかしなもんで、つい。


―――――


 今読み返してみると本当にすごく恥ずかしいですが、これが中学三年生のときの私の姿です。当時私は第二反駁においては誰よりもうまいと思っていました。自分はすごい、自分は強い、だからみんなに憧れられたい、目標とされたいという気持ちがとても強かったと思います。


 たしかに私はディベートにおいては自信を持っていました。ここで少しそのことについて考えてみたいと思います。

 私の周りにはディベートにおいて私より能力のある人間はいないと思っていました。周りの人々も私のことを高く評価してくれましたし、結果としてもそれは現れていました。中学時代から高校時代にかけて私のうぬぼれはどんどんひどくなってゆきました。

 私は自分が完璧に正しい人間だと思うようになりました。私は何事も正しく判断できるし、あらゆるめんにおいて正しく生きている、と。また、正しく生きなければならないと思うようになりました。


話が二転三転してばかりで申し訳ないのですが(いつかちゃんと編集します)中学一年生の三学期に池田先生から春休みにあるディベートの大会に出場してみないかと誘われました。私としては正式に部員になるかどうかは別として大会に出てみたいと思っていましたし、陸上部も全国につながるような大会まではまだ時間があったので、両親には春休みまでということで説得して、春大会に出場することにしました。

 しかし1ヶ月くらい準備をして大会に出場したものの、ぜんぜん勝てなくて、負けず嫌いの心に火がつきました。またディベートの場合はどうすればもっと強くなれるのかということがかなり分かりやすく、ここにこういう資料があれば、とか、ここはこう主張すれば、ということがはっきりとあらわれるので、向上心が強く、すぐに目に見える結果がほしい私は、ここであきらめるわけにはいかないという気持ちになりました。