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IGM八王子キリスト教会 信徒のページ

インマヌエル八王子キリスト教会、信徒のページです。信仰のあかし、信仰生活の雑感などを自由に書き込んでいただけますが、一般の個人を特定したり、誹謗中傷などを書き込むことなく、信仰の糧となるような内容になりますように、ご協力お願いいたします。

早朝に時々、聖書、メモ帳、ペン、マザーテレサの祈りの本、最近は携帯蚊取り線香も入れて、散歩兼主との交わりの時を持っている。




その朝は、雨上がりの清々しい朝で、ほんの少し前までは、あんなに柔らかく、優しい色合いだった緑も、いつの間にかというように、深く落ち着いた色に変わっていて目を見張らせられた。




新東京百景に入る公園の中に池があり、立ち止まりつつ眺めていると、「あなたは輝いている」という、パリの北部のトローリーの村に、知的ハンデイを持つ人々の為に、「ラルシュ」という家で、共に生活しながら、コミニュテイーを築いていったジャン・バニエの書かれた本が思い出されてきた。




「あなたは輝いている」池に写った景色は、光が加わり、正に輝いていました。




バニエの目には、考えられないようなハンデイを持ち、あらゆる苦しみを一身に背負っている人々の中に、「あなたは輝いている」という、彫刻家が、大理石を刻む前に、既にその像が見えているように見えるのでしょう。

彼自身もその人々とのかかわりの体験を通して、どのような人の中にも、キラキラと美しく輝くものを見出せるようになっていかれたのではないかと想像するのです。

光が何かに当たって反射するとき、その何かが多ければ多いほど、輝きは増してきます。




何かとは何でしょう。私の、私たちの心の傷なのでしょうか。




この深い心の傷、心の貧しさに触れるとき、私たちは驚愕してしまって、そうならないようにと、自分の内側に壁を作ってしまいます。

壁は私たちの心の内側にだけあるのではなく、私たちの生活のあらゆる所に、社会の中に、人と人との間に、民族、国と国との間に、歴史の中に、壁がある故の悲劇を目にしてきました。




バニエは言っています。知的ハンデイを持った人との出会いは、ラルシュでの生活は、冒険の始まりだったと。

私も自分の中に、たくさんの壁があるという事に気付いていませんでした。幾重にも張り巡らされている壁に、少しずつ気付かされていくことは、私にとっても冒険の始まりであり、見たこともない心の内側の世界への旅立ちでもありました。




出会いは不思議です。イエス・キリストとの出会いは、私の冒険への旅を共に歩いてくれる友との出会いであり、案内人との出会いでもありました。

光である方との旅を続けて行くうちに、堅固な心の内側の壁も弱まったり、少しづつ崩れ始めてきたりして、時に光を放ったりするのです。




「あなたは輝いている」と、バニエのように、出会わせていただく方の内に、自分の内にも見えるようにと願わされたある朝のことでした。 KE


私ごとですが、来週から勤務地がかわります。

工場での事務を勉強するということで、深川の近くにある工場に行くことになりました。

また新たな職場ということで、少しナーバスになっています。

あらたな勤務先でも、うまくいくように皆さんお祈りください。よろしくお願いいたします。


さて、今週の証を続きを書きます。


しかし、他人よりもいい点をとりたいとか、私よりいい成績の人に嫉妬をするという気持ちはありませんでした。ただ純粋に高い点数と高い評価を得たかったのです。そして、その気持ちが満たされることはありませんでした。9科目の5段階評価で40を下回ると、自分はだめだと思いました。数学や理科はあまり得意ではなく、技術家庭や美術などの手先を使う教科はとくに苦手でしたが、実技が苦手な分は試験前に丸暗記をしてテストでカバーして、なんとか成績を保ちました。どうしても覚えられないものはカンニングペーパーを作ってカンニングしたり、ときには試験が終わった後で答え合わせをするときに、間違った答えを書き直して先生に持って行って採点しなおしてもらうということもしました。

 1点でも2点でも高い点数がほしかったのです。

 親から成績について何か言われた記憶はありません。小学生のころは「勉強しなさい」と言われることもありましたが、中学生になってからは、とくに何も言われなくなりました。親から何も言われなくても自分で自分にプレッシャーをかけていました。

 私は目立ちたい一心で生徒会長にもなりました。

 

小学校四年生のとき、学芸祭の出し物でミュージカルの「CAT’S」をやることになりました。キャッツという劇は群像劇(群猫劇?)なので、誰でもある程度平等に参加することができます。配役も生徒が自分でやりたい役を選ぶことができました。

 私は劇の台本を読みながら「ガスじいさん」という役をやりたいと思いました。ひとつには、ガスじいさんにはソロパートがあったからです。ほかのどの歌も最低2人以上で歌うのですが「ガスじいさんのうた」はだけはガスじいさんが一人で歌うのです。

「ガスじいさん」の歌を覚えている限り、少し書いてみます。

   ガスは老いぼれののら猫

   いつも寝ている楽屋口

   本名はアスパラガス 野菜みたい

   でも面倒だから 呼び名がガス

   昔はすごい二枚目だったとさ

   でもその面影はいまいずこ

   ほほえみながら目を細めて

   昔は良かったとつぶやく

   小屋の近くの安い酒場で

   仲間におごられ 話し出す

   振る舞い酒に酔っ払い

   調子に乗って とめどなく

   俺は大スター とも共演した

   その人気は並外れ

   俺が出ると 声がかかる

   待ってました ガス大統領……


 というような歌だったと思います。

もうひとつには、この歌に表されているように、とてもコミカルな役だと思ったからです。昔の栄光にすがっている、今は老いぼれののら猫というのはとても面白い役だと思いました。

 小学校の演劇ですから、劇団四季が演じるようなキャッツとはストーリーもぜんぜん違います。

 洗練された、そして高飛車な都市の飼い猫たちと、元気いっぱいでやんちゃな野良猫たちとの、全面戦争というストーリーだったと思います。

 そのなかで、私は私なりに役作りをして、いろいろと考えました。もちろん目立ちたいという気持ちもありましたが、ただ目立ちたいというだけではなくて、いかにガスじいさんという役を面白く見せるかということを考えました。

 最初にのらねこたちが総出でカッコよくダンスを踊るシーンがあると、台本ではそのシーンにガスじいさんは登場しなかったのですが、私は出させてもらって、若いのらねこのいちばんしんがりで杖をつきながらよたよた出て行って、みんなが側転を決める中で、背中から落ちたり(体操クラブに入っていたので、わざとらしく失敗することができました)みんながかっこよくダンスを踊る中で、一人だけどんどん遅れていったり、というような演技をしました。

 気持ちは若くても体はよぼよぼでついていけてないのに、ぜんぜん気づかないじいさん、というのが私の考えた「ガスじいさん」でした。

 そして、最後の飼い猫とのら猫との決闘シーンでは、よぼよぼだったはずの「ガスじいさん」はいきいきしはじめて、飼い猫を相手に杖をふりまわしたり、ほかの猫たちが一匹一匹と力尽き果てて倒れてゆく中で、ついにはテンションがあがりすぎてしまって、けんかそっちのけで、一人で周りをぐるぐると走り回ったあげく、とつぜん心臓が痛くなって倒れるという演技をしました。

 大勢の人の前で演技をするというのが、本当に好きだったのです。たくさんの人が私に注目している、私を見て笑っているということが快感でした。それから私は大勢の人の前に出るようになりました。運動会の応援団長をしたり、そのなかで女装をしてチアリーディングをしたり、目立てそうなことには積極的に参加して、そのなかでどうすれば面白いかを考えていました。

 それは中学校を卒業するまで続きました。

 

 中学校では私の人生をとても大きく変える出会いもありました。

 中学校3年間担任であった国語科の池田先生と、その先生に教えられたディベートとの出会いでした。

 ディベートというのは討論ゲームのようなものです。

たとえば「学校から校則をなくすべきである」というような論題を決めて、それに賛成する側と反対する側に分かれて討論を行います。

 ディベートがゲームであるというのは、自分がそれについてどう思うのかということに関係なく、機械的に肯定側と否定側に分かれるということです。

 ゲームですからルールがあります。少し説明がややこしいかもしれませんが、できるだけ簡潔に話します。

 まず論題が発表されます。選手たちはその論題について肯定側・否定側のどちらからでも議論できるように準備します。この準備の期間は、大会によってまちまちです。朝論題が発表されて、お昼から試合に試合を始める大会もあれば、全国大会では3月に論題が発表されて、決勝戦は8月ですから、ほぼ半年間ひとつの論題について準備をすることになります。

 大会では、試合を始める直前に、肯定側と否定側をじゃんけんやくじびきで決めます。選手は4人1チームで、それぞれ役割があります。立論ははじめに、自分たちがどうしてその論題を肯定・否定するのか、ということを演説します。これは一番分かりやすいパートではないでしょうか。

次の人は質疑といって、相手の立論の疑問点や矛盾していると思われるところについて質問します。相手チームの立論は、質疑の質問に対して答えなければなりません。試合の中で唯一、直接のコミュニケーションが見られるパートです。

 それから第一反駁があります。相手の立論に対する反論です。

 最後に第二反駁があります。相手の第一反駁で反論されたことについて再反論をしたり、試合全体の流れを俯瞰的に説明して、どちらの議論がすぐれているのかを論じます。

 私はディベートの、とくに第二反駁には才能があったように思います。人前で演じたまま話すのは、私にとって日常的なことだったので、そういうスキルは常日頃から磨いていたものでした。

 第二反駁というのは、ある種の演技力が必要だと私は思います。立論や第一反駁というのは、事前に準備してきた議論の発表であり、どれだけ準備をすることができたかにかかっていますが、第二反駁は試合の流れを読み、同じような討論が繰り返される中で、その試合の微妙なポイントをつかみ、議論を組み立てるという即興芸のようなところがあると思います。またそれまでの流れで勝っているときには楽ですが、形勢不利なとき、また誰が見ても勝ち目がなさそうなときには、第二反駁が一人でひっくり返さなければならないわけですから、大変です。多くの人は自分たちが不利でも有利でも、おなじようなスピーチをします。相手の反論に対して再反論をして、それぞれの議論を評価するという一つのパターンしかしません。

 しかし私は、形成有利なときには再反論をすることもありますが、不利なときには、まともに反論していては勝てないので、相手も審判もけむにまくようなスピーチをしました。相手の主張を過少評価したり、こちらの主張を過大評価したり、うそやはったりを言いました。

 ディベートの試合には審判がいて、ある程度ディベートに関わったことのある社会人や大学生がスピーチを聞いて、判決を下します。

 もし、厳密にお互いのスピーチーを検討して、それぞれの議論を十分に理解する時間があったなら、私のスピーチは、よくてとんちんかん、下手をすれば、わざと虚偽の議論をしたとして、失格処分になっていたかもしれません。しかしディベートでは、ジャッジが耳で聞きとれた内容がすべてです。ジャッジも選手のスピーチをすべて正確に記録できるわけではありません。選手としては一人あたり約5分程度の時間の中でスピーチをするので、話し言葉の数倍のスピードでスピーチをしますし、ジャッジは選手8人がそれぞれのスピーチをするのをすべて聞いて書き取らなければならないわけです。

たとえば「この事故によって、死者は10人、負傷者は50人」というスピーチをすると、ジャッジは

「事故、死者10 負傷50」くらいのメモしかとれないわけです。

そこで私は(もしこのスピーチと反対側の立場だったら)

「この事故による被害者は10人です」というわけです。

するとなぜか相手もこの事故による被害者は10人として話をしたり、ジャッジもこの事故の被害者は10人として評価したりするわけです。

実際には、ここまで分かりやすく嘘を言ったことはありませんが、それでも一度としてこの点についてジャッジから指摘を受けたことはなく、私としてもばれるかばれないかぎりぎりのところを巧妙に見抜くポイントを試合を重ねるごとに磨いていったように思います。

 それに、もし嘘を指摘されたとしても、選手も相手のスピーチを試合中にただ聴くだけで理解しなければならないわけですから、聞き違いによって、相手の議論を過小評価することはよくあるわけです。それは選手にもジャッジにもよくあることで、私も「聴き間違えました」と開き直れば、なんとでもなるだろうと思っていました。

 こうして私は嘘をつくことにますます抵抗を感じなくなってゆき、嘘をつくことが日常的になってゆきました。

むしろいかに巧妙に嘘をつけるかというのも一つの能力であるとさえ、無意識に思っていたような気がします。

 私は少々発音に難があり、どもる傾向があります。普段はそれほどでもありませんが、緊張したり、緊張した中で書いてあるものを読まなければならない(小学校で音読の発表をするとか)という場合は、それがひどくなり、さらにどんどん早口になります。またとても緊張しやすい人間なので、ディベートの試合前にはすごく緊張して、たびたび嗚咽を漏らすほどでした。

(僕が試合前に嗚咽するところを友達が真似するくらいでした)

 立論や第一反駁をしてみたこともあるのですが、そのような状態で書いてあるものを読むと、人にはほとんど聞き取れないくらいひどいものになりました。しかし第二反駁をするときには異常なくらい集中力があがって、相手のスピーチを聞きながら、自分が4分間で話すスピーチを頭の中で練り上げて、どのポイントはばっさりと切り捨てて、どのポイントをこう持っていくことで、どこを目指すのかということが、頭の中に出来上がりました。もちろんそれがうまく出来上がるときもあれば、まったく頭の中が真っ白になってしまうときもありましたが、試合をつむごとに、劣勢の時には劣勢なりのスピーチをすることができるようになりました。

 たとえばその試合において勝負のポイントが10あるとすれば、いくら劣勢でも10すべてで負けているということはほとんどないわけですから、勝っている2~3のポイントを思いっきり強調するようなスピーチをすれば、ある人はそれがほかの何よりも大切だと思ってくれる可能性もあるわけです。

 

 書き言葉で説明するには少々難しいことに、熱くなりすぎてしまったかもしれません。

 私はディベートの能力をアピールして、高校は早稲田大学高等学院の推薦入試に合格し、高校二年生のときに全国大会で最優秀選手賞を獲得するにいたりました。


 話を中学生のころに戻すと、中学校に入学したとき私ははじめ陸上部に入部しました。1500mに出場して、地区大会を突破し、東京都の大会に出場するくらいの力はありました。短い距離を早く走る力はありませんでしたが、比較的長い距離を走り続けられる持久力はあるように思います。中学一年の夏は、都大会に向けて夏休みには毎日練習をしていました。


 私が中学に入学した年に、池田先生も転任してこられ、私のクラスの担任になられました。かなり型破りな先生で、この先生の国語の授業では教科書を開いたことが数回しかないのではないか、という記憶があります。授業の初めには先生が好きな詩を一篇黒板に書き、私たちはそれを書き写しました。それから先生はその詩について語りました。

 そうした先生の話に、私は大変感化されました。「深夜特急」「どくとるマンボウ青春記」「ムツゴロウ青春記」「竜馬がゆく」…枚挙に暇がないほど、先生から薦められた本を読み、私の目指すべき人物像はそのような読書体験から築き上げられていきました。

 池田先生は国語の授業でディベートをやり、ディベート部も立ち上げました。私は授業での試合を通して、ディベートにかなり興味を持ち、ディベート部に入ってみたいという気持ちも少なからずありました。しかしそのことを両親に話してみると、両親からはディベート部には入らないでほしいというようなことを言われました。中学生のときはまずは体を作るようにという気持ちがあったようです。

 私としても、両親の気持ちに反抗してまでディベートをやりたいとは思いませんでしたし、また陸上でも自信がつき始めていたところだったので、この年ディベート部に入部することはありませんでした。


 

Tさんの証し、とても感動しました。若いTさんは、まだまだ心にしまっておきたい。隠しておきたい年頃だと思います。しかし、ありのままに綴ってくれた証し。だからこそ人に感動を与えたのだと思います。続き、楽しみにしてます。


さて、昨日は祈祷会でした。とても深いメッセージで感動しました。

第Ⅱ歴代、16章1節~14節。アサ王がなぜ躓いたのかというメッセージでした。


イスラエルの王、バシャにラマ(高台・見張り台のようなもの)を築かれ、誰もアサの元に行かれないように妨害された。その小さな妨害に対して、アサはアラムの王、ベン・ハダテに金銀を送って同盟を頼んだ。神に信頼せず、人間的策略をし、人間に頼ってしまった。小さな出来事、小さな妨害であったが、ここからアサの躓きが始まった。


これを聞いた予見者ハナニが、「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした‥‥」と指摘した。それを聞いたアサは、ハナニに対し激しい怒りを抱いた。


神が遣わされた予見者が伝えた言葉は、神様のメッセージである。同じように、ダビデが大きな罪を犯したとき、預言者ナタンに指摘された。その時、ダビデはナタンの言葉を受け入れ、悔い改め、祝福の道を歩んだ。詩篇

51編17節 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。



一方、アサはハナニの言葉を頑なな心で拒んだ。そして転落の人生に進んだ。


最大の愚かさは、神の手を払いのけることである。


私の心にも素直に謝れない、悔い改めることが出来ない頑なな心があることを語られた。素直な心でごめんなさいと謝るやわらかな心でいられますように。また、神様がささやく言葉を素直に受け止めることが出来るようにと思わされた祈祷会でした。 MS



新入社員のわたしは、土曜日にお休みをいただけたときは、教会で一日をすごすようにしている。

牧師先生が教会をあけてくださるご好意に感謝しています。

まずお祈りをして、少し本を読んで、それから、証を書きはじめる。

なかなか時間をとって、静かにものを書くことができないので、教会にいるということもあるし、

土曜日は証を書く日と決めた。

とても長い証を書くつもりなので、土曜日に教会から帰る前に、その日に書き終えた分をアップしながら、

書き進めてゆきたい。

少し長くなるので、そのことご了承の上、読み進めていただけるなら、幸いである。


求道


 

 私はイエス・キリストを信じます。

 と告白をしたことで、私は自分が罪から逃れられることはできないのだということを知りました。罪は意志や良心では避けることなどできないものであり、私は意志や良心こそが罪を作り出しているとさえ感じています。

 イエス・キリストを信じるということは、自らの罪を認め、すべてをキリストにゆだねることであり、ゆだねることによって、私の罪は赦され、救われるのです。


 二年前の私は単純な無神論者であり、宗教は人からお金を騙し取るものだと思っていました。家族と初詣に神社に行っても、

「もしも神様がいるならば、どうか僕の邪魔はしないでくさい。自分の力でなんとかしますから、邪魔だけはしないでください」

とお願いをしていました。

 キリスト教に対しても、あまり良いイメージを持っていませんでした。というより、宗教についてはどれもあやしいものだという程度の認識しかありませんでした。自分はそんなものと係わり合いにはならないと思っていました。

 そんな私がどのようにイエス・キリストを信じるようになったのか、ということを話したいと思います。


 私は父を恐れていました。とくにひどく暴力をふるわれたというわけではなかったのですが、私は父に殴られることにいつもおびえたいたように思います。母親に対しては、幼少のころにどんな気持ちを抱いていたのか、あまり覚えていません。

 家族関係に問題を感じたことはありませんでした。 


 小学校にあがるときに引越しをしました。

 友達がいなくなり、ひとりでいることが多くなりました。

 級友の家に行っても追い払われたり、友達の中に入れてもらえなかったり、そういうことはとても大きなショックでした。断られるのが嫌になって、誰かを遊びに誘ったりすることもできなくなりました。また誰かと遊んでいても、満たされない気持ちがありました。心のどこかで寂しさを感じていました。

 たとえば、今僕はA君と遊んでいるとします。A君にはB君という友達がいるとします。すると僕は「A君とB君が遊んでいるときは、もっと楽しそうなのに」と思ってしまうのです。

嫉妬しているわけではありません。A君にもっと楽しそうにしてほしいわけでも、もっと私を楽しませてほしいわけでもありません。

 私はA君と遊ぶとき、A君と楽しそうに遊んでいるB君になりたかったということだと思います。どうして僕はB君のようにA君と遊ぶことができないんだろう、と思っていたのだと思います。

 友達と遊ぶには、友達を楽しませなければならないと考えるようになりました。人が楽しいと思うときはさまざまだと思いますが、幼かった私は、楽しんでいるどうかということは笑っているかどうかということだと思い込んでしまいました。

 私のことを友達が笑うと私は満足しました。周りにいるすべての人たちが笑っているときにしか、私は私の存在を認めることができなくなってしまいました。


 子供のころには、おもちゃやマンガをほとんど買ってもらえなかったという記憶があります。私が初めからねだらなかったのか、ねだっても買ってもらえなかったので、そのうちあきらめたのかは覚えていませんが、ほしいと思ってもほとんど言わなかったと思います。小学校三年生のときに、どうしても週刊のマンガがほしくて、それがまるで宝物のように思えて、友達から借りて読むだけでは満足できなくて、友達の家から盗んで持ち帰ったこともありました。そのことで、そのときの唯一の友達をなくすことにもなりました。

お小遣い制は、小学校三年か四年のときから始まりましたが、お風呂掃除をすると10円とか、肩たたきをすると10円、というものでした。そうしてもらったお小遣いでしたが、今度は使うのが惜しくなって、ほとんど使いませんでした。そうしてお金が貯まってゆくのが楽しみになりました。

たとえば、何人かの友達と映画を見に行ったときに、お昼になって友達はみんなマクドナルドでセットを頼んでも、私は近くのスーパーでパンを買って食べたりしました。

 友達と駄菓子屋に寄っても私は何も買いませんでした。そうすると友達の誰かが、うまい棒くらいはおごってくれましたし、誰もおごってくれないときは、ブタメンの残り汁をもらったりしました。

 私はほしいものがあっても、できるだけお金を出さないで手に入れることを考えるようになりました。本当は3000円のヨーヨーがほしくても、同じメーカーの700円のヨーヨーで我慢するとか、ポケモンカードがほしかったときは、友達からいらないカードをもらうとか、学校のものや友達のものもかなり盗みました。そのことで私は担任の先生を本当に悲しませていたと思いますが、やめられませんでした。

 しかし親の金を盗むということは考えもしませんでした。それだけ父が怖かったのだと思います。

 学年に一人、いじめられていた女の子がいました。運動が苦手で話し方も少し鈍くて、みんなから「○子菌」などと言われていました。

 学校の行事など友達同士でグループを作らなければならないときに友達のいない私は残されて、その子と一緒になることもありましたが、とくに気にせず普通にその子と話していました。しかし友達ができるようになると、なんとなくその子のことが疎ましくなり、ほとんど近づかなくなりました。しかしいじめをしているわけではないしと、私は自分の行為を正当化していました。


 中学生になるころには、私は友達や先生から評価されることが生きがいになっていました。今どうしたら友達を笑わせられるのかということばかり考えていました。友達は笑わせ続けなければいけないと思い込んでいました。

 ですから、学校ではいつも友達を笑わせているけれど、放課後や土日に遊ぶ友達はほとんどいませんでした。

 また男の子を笑わせるより、女の子を笑わせるほうが好きだったので、女の子といる時間が多かったと思います。

 性的な芽生えも始まり、思春期と言われる年頃になって、女の子と話さなくなる男の子やからかう男の子も多い中で、私は女の子を笑わせているときがいちばんうれしかったので、女の子と普通に話していました。しかし普通に話しながらも、性的な欲動も感じ始めていて、その気持ちを抑えることができない自分をとても恥ずかしく思いました。そんな気持ちを誰かに知られることが恥ずかしくて、ひた隠しにしていました。私は私と話してくれる女の子のことがみんな好きになってしまいました。とくに好きな子も何人かいましたが、好きだと言うことが恥ずかしすぎて、一度も告白できませんでした。


 また、中学生になるとテストや成績が目に見えるもっとも分かりやすい評価になりました。テストでいい点を取ることが勉強する目的になってゆきました。


6月12日

「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16.24)



先日八王子教会の信徒さんのおうちで青年の家庭集会の第三回が開かれ、20代前半で新入社員のわたしもそこに参加した。

そのなかで一人の兄弟が

「世の中から逃げるために聖職者になる人もいる」という話をされていたことが、いまのわたしにとっては印象的であった。



わたしが、初めて八王子教会に来てから、まだ一年も経っていないが、この一年でわたし自身も、わたしをめぐる環境も大きく変わった。

しかしそのなかで、わたしに信仰が与えられたことによって、なんとかここまでは主にすがって乗り越えさせていただいてきたように思う。



しかし、正直に言えば、いまこころはとても苦しいなかにいる。今まで自由気ままに、束縛を求められる環境から逃げ続けてきた身にとって、生きる糧を得るために働くということには、精神的にとても大きな苦痛をともなう。



なんとかこの束縛から逃れたいと思い、なんとなく仕事をやめて牧師になろうかな・・・と安易に考え始めていたわたしもいる。

(まだ信仰も未熟で、御言葉も本心からすべて信じているとはとても思えないにもかかわらず)

まさに、その兄弟の言ったことは、いまのわたしだったように思う。



また、この一週間は「主にすべてをゆだねる」ということについて考えていた。

わたしにはひとつの夢がある。

それは世界中を自転車で旅してみたいという夢である。

そのために給料のほとんどを貯金しているので、献金はおろそかになっている(笑)

もちろん、主はわたしが夢を持つことまで否定しているとは思わない。

しかし、その夢を見る中で現在を否定したり、ないがしろにしたりすることは、望んでおられないのではないかとも思う。



わたしが「主にすべてをゆだねます」と祈るとき、同時に心の中で「とはいっても、このままサラリーマンで人生を終えたくないし、旅をしてみたいし、小説を書きたいなぁ」という思いもまたわきあがってくるのである。



なにを書きたいのかよくわからなくなってしまったが、いつの日にか、自転車の後ろに十字架をつけて、世界のいろんな人たちと神様について話したり歌ったりしながら、世界中を旅することができたらと思う。

それを宣教旅行というのかどうかは分からないが、そんな信仰生活をおくることができたらいいなあと考えている。


また一方で、もっと聖書を学んでみたい、聖書のことを学ぶ時間がほしいとも思っている。

神学校に入って勉強してみたいという気持ちもある。



なにごとによらず、少しずつ、とか耐えるとか待つということがなかなかできないわたしは、そのような思いにとらわれすぎるあまり、それ以外の人生を否定することなく、すべては主の御心のままになされるように、と祈ってゆきたい。

「幸福な王子」というオスカー=ワイルドの短編小説を題材に、3月末の礼拝メッセージがなされた。この短編は私にとっても、大変なじみの深い話であった。小学生の頃、こども向け雑誌で初めてこの話を知った。けなげなツバメが最後、寒さに凍えて死んでしまう箇所で子どもながらに涙を流した記憶がある。

さて、長じてクリスチャンになり、再びこの短編集を手にする機会があった。当時、オスカー=ワイルドの小説を続けて読んでいたので、それに伴って手にしたわけである。

その短編集の中に「わがままな巨人」というお話があった。この話にはキリストを象徴した少年が出てくる。わがまま勝手だった巨人が、かつて助けた少年。実はその少年がキリストご自身であったというお話。

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』マタイ25:40を題材にしたと思われるお話で、とても印象に残っていた。

一方「幸福な王子」については、同じく感動はしたものの、やはり何とも悲しく切ない物語として心にとどまっていた。

しかし、今回の礼拝において牧師は、信仰者であったオスカー=ワイルドはこの物語で、キリストと出会ってその生涯をキリストに捧げたクリスチャンを表現していることを話された。私はこの物語を何度も読んではいたが、そのようには思い当らなかった。目からウロコの思いがした。その感動をお話ししたい。



王冠1          王冠1          王冠1



牧師が語ったメッセージの中で私の心にとどまった言葉は「南の国」である。ツバメは南の国へ向かう途中、たまたま立ち寄ったのが幸福の王子の足元だった。そして、そこから王子とツバメの物語は始まる。

王子と出会ったツバメは王子の願いを実現するために、南の国へ向かうという、彼にとってもっとも重大な予定を変更させられる。最初は渋々、自分の予定を少し遅らせて手伝うだけなら、という程度であった。けれども、やがてツバメは自ら王子の目となり足となって働くように変わってゆく。王子の思いがツバメの思いになっていく。彼らは深い愛で結ばれるようになったからである。やがて、ツバメは南の国へ行くことなく王子の足元で死を迎える。

私たちも、心にさまざまな願いを抱く。その願いは人それぞれであるが、どの願いもみな同じように光り輝き、麗しさに胸躍るものであろう。まさに「南の国」そのものと言えよう。そして私たちはその「南の国」を目指して邁進する。一日も早く南の国にたどり着こうと旅を急ぐ。希望に膨らむ夢を追って旅をするのである。それは決して悪いことではない。ツバメにとって南の国に行くことは自分の命にかかわることであった。私たちにとっても希望のない世界は生きている価値のない世界である。

けれども主イエスと出会った時、主は私たちに旅程の変更を求められる。しかし、それは強制ではない。ツバメも王子の願いに従うことなく南の国に旅立つことは可能だった。主の求められることは、多分、多くの場合南の国の輝きに比べれば見劣りのするものであろう。貧しい家を訪ね、困った人に恵みを届けることは、暖かで光に包まれた南の国とは全く違う世界である。


王子は黄金に包まれた栄光の姿であろうとせず、人々に自分のすべてを与えつくし、みすぼらしく貧しい姿にへりくだり、人々の幸福のためにボロボロになった挙句、見捨てられゴミとして打ち捨てられた。ツバメは自分の持てる能力を、王子の思いを実現するために使い果たし、そして、その命を終わる。

それはまさに主イエス=キリストと、主に生涯を捧げつくした信仰者の姿である。



王冠2          王冠2          王冠2




栄光の主は王の姿を捨てて、私たちのために貧しくなられた。人々を愛し慰め、癒し助けたのに、さげすまれ、あざけられ、十字架で死んで葬られた。

主は、この世をご覧になって王子と同じように悲しんでおられる。「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」マタイ9:36 そして、主は今、弱り果てた羊を救うために私たちに声をかけておられる。それはまさに、期せずして王子と出会ったツバメに、王子が恵みを届けてくれるように頼んだのと同じである。

王子はツバメに対して、自由に大空を飛べる翼を、南の国に向かうためではなく、貧しい人々を救うために使って欲しいと願った。主は私たちに対し、神が与えられた賜物を、自分のためではなく主の御用のために使うことを願っておられる。

ツバメはいつしか南の国へ行くことよりも、王子とともに生きることを決断した。私も心の中にある南の国を追い求めることよりも、主イエスとともに生きることを選ぼう。それは、目に麗しく、心に慕わしい南の国よりも、もっと価値ある素晴らしい生涯を送ることが出来る生涯だから。そして、それは何より主ご自身が喜んでくださる生涯だから。

AS.

クリスチャンホームの子どもが育ちあがってしまうと、CSの子どもがいなくなってしまう。という教会が多いのではないでしょうか?(大きな教会で様々な世代の信徒がいる教会以外は)。

 八王子教会も、四年間CSは休眠状態でした。月に一回CSの時間に、牧師とCS担当者でのお祈り会を持っていました。牧師が替わり、教会全体でCSの事を検討しているときに、教会員で音楽の方面で仕事をしている姉妹から「小さい子向けにリトミックをしたら」という提案がなされました。「CSに直接、すぐに結びつかなくても、まず、教会に足を踏み入れてもらう事が大切。」という事で、三か月の準備の後、昨年の四月より、月一回、年齢別に分かれ、二つのクラスを開催するようになりました。年に二回、お楽しみ会をしました。八月はリトミック+パフェパーティー。十二月は大手を振ってリトミック+クリスマス会で、イエス様の誕生の紙芝居などをして、アピールしました。

 日頃のCSの方も、次の世代のクリスチャンホームのお子さんが育ってきたので、新しいスタッフも加わり、体制を整えました。

 ちょうど昨年一年間は、神学生がお二人、聖日に応援に来て下さっていましたので、出席カード、御言葉カード、CSのすすめ方等々、色々なアイデアをいただき、基礎を作って頂けた事が大きかったです。

子ども達が「行きたくなる」ような楽しいCSにしたい、長い目で見てCSを位置づけて行きたいという点で一致して現在行っています。

時には聖書のお話ではなく、子どもが選んだ絵本だったりしますが、讃美と御言葉だけは必ず入れています。カリキュラムに追いかけられる事がないので、あせらずマイペースでやってます。今は、この方法がベターだと思っていますが、子どもの成長、人数によって、変えていく必要は感じています。

まず、子ども達との信頼関係を築き、CS担当者も子ども達といっしょに成長できるようにと祈らされています。

K.O.姉

聖書箇所 新約聖書 ヨハネの福音書5章1~9


ユダヤの祭りの時期、イエスキリストは首都エルサレムに来られた。エルサレムは周囲を城壁で囲まれた要塞都市であったが、「羊の門」という城門の近くに「ベテスダ」と呼ばれる池があった。この池は今でいうところの「間歇泉(かんけつせん)」で、一定の時間ごとに水が湧き出し水面が動くのであった。水が動いた時、一番はじめに池に入ると病気や障害が癒されると信じられていた。そのために池の周囲は癒しを願う人達が大勢集まるようになり、周囲を五層の回廊で囲まれた、大規模な施設と化していた。

その中に38年もの間病気にかかっている人が伏せっていた。

『イエスは彼が伏せっているのを、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」』6


病気の人に「よくなりたいか。」というのはよく考えるとぶしつけで、非常な言葉である。

よくなりたいか?当り前だろう。でもよくならないからこうして寝ているんだ!お前に何ができるというのか! こう反論されたら普通は返す言葉がない。病気を治すことができて、その人の人生を丸ごと引き受けることができて、初めて「よくなりたいか。」と言うことができるのだ。つまり「よくなりたいか。」ということは「わたしがよくしてあげよう。」という自信がなければ言えることばではない。



しかし、イエスはここで彼の本音に切り込んでいるのだ。上記6節には3つの動詞が使われている。「見・知って・言われた。」見て知ることは普通の人でもできる。しかし、その人必要をズバリと告げることは難しい。慰めや同情の言葉を投げかけることは簡単である。それらの言葉を発して、発した自分は責任を取る必要がないからである。

「よくなりたいか。」はたしてその病人は本当によくなりたいと思っていたのだろうか。もちろんよくなりたいとは思っていただろうが、38年病と共に過ごした彼は、自分の現状に目を奪われ、ある意味その状況に甘んじていた。失望、落胆、虚無がいつしか彼をそのような状態にしてしまった。それを裏付けるように聖書にはこう記されている。イエスが「よくなりたいか。」と質問した後、彼はこう答えている。


『病人は答えた。「主よ、私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」』7節


諦めと悲しみに満ち、また投げやりな気持ちがよく現われている。どうせ何をやったって駄目だ、自分を助けてくれる人なんか誰もいない。そうして彼は自分の床にしがみついて過ごしていた。


そんな彼に対して、イエスはこう言われた。
『イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて 歩きなさい。」』8節


ここでも3つの動詞が使われている。「起きて・取り上げて・歩きなさい。」

病気で寝ている人に、こんなことを言える人が他にいるだろうか。こんなことを言えるのは神以外にはいない。

病人は今、目の前に自分の病のことも、人生のことも全て責任を負ってくれる人がいると、イエスを信じた。

病人は今の自分の状況に固執することを、ここでやめにしたのだ。今までだったら誰が何と言おうが、今の状況が変わるはずもないから、床にしがみついて同じ毎日を繰り返していただろうが、彼はここでイエスの言葉に従ってみた。


その結果はこう書かれている。

「すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩きだした。」9節

彼の人生はここで変わったのである。イエスの言葉に従ったとき、彼は今までの人生と決別できた。


私たちはどうであろう。自分は池に降りていく力もない。たまさか多少の力があって、力を振り絞って池に降りて行こうとしたが、誰かに先を越されてしまった。助けてくれる人もない。だから諦めよう。人生そんなもんだと、今の自分の床にしがみついてはいないだろうか。

自分の力により頼み、失望し、他人を恨み、世を恨み。そんな人生にはなっていないだろうか。


けれどもそんな自分の弱さや、悲しみをすべて受け入れ、人生の責任を取って下さる方がいる。イエスキリストこそ、私たちをすべて受け入れてくださる唯一の方、神なのである。

この方の言葉に従うなら、今までの暗い人生に決別できるのである。私たちも立ち上がって床をたたみ、歩き出そうではないか。


※本日の礼拝メッセージを自分なりにまとめたものですので、他の方が感じた内容とは全く違うかもしれません。

 2009628日(日)AS.