求道 | IGM八王子キリスト教会 信徒のページ

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土曜日がやってきました。

今週の水曜日は深川教会の祈祷会に参加しました。とてもあたたかく迎えていただき、ともに主に祈ることが

できました。

今日は午前中仕事だったので、仕事が終わってからそのまま教会にいます。

家に帰るとテレビ見て寝そうなので、すこし遅くまで教会にいます。

毎回編集もせずに書き流しているので、もし何か問題発言があったら、教えてください。



陸上部についても一つ話したいことがあります。

都大会前にはそれなりに練習をしていたのですが、思ったように力が伸びず、大会では地区大会のときよりも少し遅いタイムになってしまいました。私は結果を出せなかったことを周りの人にも、また自分にも言い訳をするために、足を痛めたふりをしました。そして初めはまったく痛くなかったのですが、足を引きずるように歩いたり、周りの人にそう言っているうちに、だんだん自分でも足が痛いような気がしてきました。わざわざ病院にまで行きました。そして「軽い肉離れ」と診断され、リハビリを受けることになりました。

 試合で結果が出せなかったことを誰も責めたりはしなかったと思います。練習をさぼったわけではなかったのだし、そのことを素直に受け止めればよかったのだと今は思います。

 しかし私は結果を出すことができなかったことで、周りの人に失望されるのが怖くて、また、結果を出すことができなかった自分自体を受け止められなくて、言い訳をしてしまったのだと思います。

 私は思うような結果が出せないときには、いつも何か言い訳をするようになりました。それは人に言うためだけでなく、ただ自分のなかでも言い訳することもありました。良くても悪くてもまともに結果を受け止めるということができなくなりました。(今でもそうです)


 私は自意識はどんどん強くなってゆきました。表向き私は自分を低く評価しました。またそのように考えているとも思っていました。しかしそれは他人から評価されたいという気持ちの現れでした。私の場合、他人から評価されたいということがすべてでした。その気持ちは今から考えると気持ち悪いほど恥ずかしいものです。

 とはいえ、いくら今の私が昔のことを説明しようとしても、うまく伝わらないと思いますから、当時の僕が書いた文章をここに載せたいと思います。前後の関係があるので、少し分かりづらいかもしれません。

 ディベートの掲示板での第二反駁の方法についての質問に対する中学三年生の私の書き込みです。


―――――


「どうしたらいいんでしょうかね?」
ではにゃあがな。
そこが第2反駁の『ダイゴミ』でござんしょ。
争点について考える事に『シビれる』ようじゃなきゃあ
真の第2反駁者としては、まだまだダメダ~メですよ。
あのスリルがたまんね~って言えるようにならなきゃ!!
試合を左右するような、焦点の選択、議論の構築。
第2反駁者の能力の真価が問われる瞬間。
それを味わえた時、第2反駁をやっている甲斐があるってモンよ。
悩めることをたのしみなさい。
失敗したって、しょうがない。
というより、失敗して当然。
僕もやっとこのレベルにたどり着くまで、約1年半。
第2反駁だけに固執して。
本当に「成功したなぁ・・・」
って思えたのは、わずかに2回程度。
失敗して失敗して失敗して。
僕のディベ―ターとしての歴史は失敗の歴史です。
でも失敗は恥ずかしい事じゃない。
誰だって経験するし、誰だって壁にぶち当たる。
(いまの、時光くんや、木村くんがそうだね。)
ものすごいスランプに陥ることもある。
しかしそこを乗り越えた時に真の実力がついて来るんだよ。
どんなにお先真っ暗でも、行き当たりばったりでいいから
がむしゃらに前に進んでみたら?
失うものもあるかもしれないけど、それを恐がっていたら、
なにもできないじゃない?
・・・俺って「いつでも全力勝負」な男だから、
他の人なら要領良く切り抜けちゃう仕事も、
正面から堂々と勝負して、ぼろぼろになるまで闘っちまう損な男なんだよな。
よくまわりから、「そんなにバカみたいに一生懸命になる事ないんじゃない?」とか言われるよ。
でもそれはそれで、かなりの事を学んだと思うよ。
要領の良い奴には決してわからないだろうことも。
もちろんそれなりに多くのものを失った事も確かだけど。
俺みたいにバカ正直になる事は全然ないけど、
壁にぶちあったのなら、その壁を喜んで歓迎しなきゃ。
要領よく、まっすぐな道を歩いている人は、
楽だろうけど、人生の本質的な楽しみはないやね。
山あり谷ありの人生は(僕の場合は、自らわざわざ断崖絶壁を探しまわりながら進んでいますが。)
普通の人の倍は疲れるけど、倍は物を失うけど、
すっごく楽しいもんだと思うよ。

だから二人とも、また同様の悩みを抱えている方、がんばって壁を乗り越えてください。

p,s 偉そうな事言ってごめんなさい。
  まだ15歳。青二才のつたない「人生論」だと思って勘弁してやってください。このごろ、「三木清」とか「武者小路実篤」とか「倉田百三」とか読んだばっかしなもんで、つい。


―――――


 今読み返してみると本当にすごく恥ずかしいですが、これが中学三年生のときの私の姿です。当時私は第二反駁においては誰よりもうまいと思っていました。自分はすごい、自分は強い、だからみんなに憧れられたい、目標とされたいという気持ちがとても強かったと思います。


 たしかに私はディベートにおいては自信を持っていました。ここで少しそのことについて考えてみたいと思います。

 私の周りにはディベートにおいて私より能力のある人間はいないと思っていました。周りの人々も私のことを高く評価してくれましたし、結果としてもそれは現れていました。中学時代から高校時代にかけて私のうぬぼれはどんどんひどくなってゆきました。

 私は自分が完璧に正しい人間だと思うようになりました。私は何事も正しく判断できるし、あらゆるめんにおいて正しく生きている、と。また、正しく生きなければならないと思うようになりました。


話が二転三転してばかりで申し訳ないのですが(いつかちゃんと編集します)中学一年生の三学期に池田先生から春休みにあるディベートの大会に出場してみないかと誘われました。私としては正式に部員になるかどうかは別として大会に出てみたいと思っていましたし、陸上部も全国につながるような大会まではまだ時間があったので、両親には春休みまでということで説得して、春大会に出場することにしました。

 しかし1ヶ月くらい準備をして大会に出場したものの、ぜんぜん勝てなくて、負けず嫌いの心に火がつきました。またディベートの場合はどうすればもっと強くなれるのかということがかなり分かりやすく、ここにこういう資料があれば、とか、ここはこう主張すれば、ということがはっきりとあらわれるので、向上心が強く、すぐに目に見える結果がほしい私は、ここであきらめるわけにはいかないという気持ちになりました。