GWは、父のために捧げました![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
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父には、3月に、有料老人ホームへ入るための精密検査を受けさせました。訪問介護士の方に付き添いをお願いしましてね。
昨年1年掛けて、空きのある優良かつ有料な老人ホームを探し出すのさえ、大変だったんですけど
検査結果を聞きに病院へ何もありませんようにと師岡熊野神社にお参りまでしましたけどね
「膀胱に癌性の疑いの極めて強いうずら卵大の腫瘍が見られます。」
「……………………」
言葉も出ないとはこのことです。母のスキルス性胃癌のことが頭をよぎりました
切除手術をしますか?と問われて、身体が固まって即答できません。脳内には、ASAPという文字が新幹線の電光掲示板のように流れます。
「先生申し訳ありませんが、少し、考えさせてください。」
訳もわからずニヤニヤする父を見ていて、父自身もこのような状態で生きながらえることを望んでいるのだろうか、そこを考えたいと思いましてね
私が父の立場だったら、「もう医療行為はいりません。未練はありません。」と答えます。
難しい問題です。一人で考えごとをするためには、
書斎より海を観ながらが私のやり方です。それも夕暮れ時がベストです
多感な時期を広島という瀬戸内地方で過ごした私にとって、海は生活になくてはならないものです。海は、身体の一部と言っても良い。
潮風と波の音、水平線…。
これだけで、どこの海か分かる方がいたらすごい向こうにみえる山は、富士山ですね。
海は、いつも私を冷静沈着にしてくれます。
亡き母は、何を望んでいるだろうか???海をぼんやり眺めていると、無意識に様々なことが頭を過ります。
私は、自分個人の問題としては、こう考えます。頭が悪い私ならではの意見です。あなたより頭が悪いので、ご容赦ください。
人間を人間たらしめているのは、脳です。その脳が認知症を発症して機能不全に陥っている以上、もはやその人間は生きるに値しない。
脳死をもって死と認定すべし。そして、機能不全ならば、安楽死こそ相応しい。
私個人は自分が認知症を発症したら、谷川岳に放置して欲しいと強く強く願います安楽になんて呑気なことを言っている場合ではありません
周りには、ボケて谷川岳とか言ってるよと相手にされなさそうですけど、ベーリング海でも構いません
私だけのことではありません。既得権益を守るのに必死になって、古いしきたりを押し付けてくる老害たち………その筆頭は、プーチンです
彼らもまとめて谷川岳やベーリング海に置き去りにする「爺SHOCK」を実現できたら、どんなにスカッとすることか
子供や若者には、未来への希望がある。したがって、彼らを決して死なせてはならない。彼らの命はかけがえのないものである。
だから、子供や若者が間違いを犯したら、凶悪犯などの若干の例外を除き、矯正する価値はある。
これに対して、老人には最早未来への希望は一切ない。
生きるか死ぬかは、自己決定権の範疇として、日々の楽しみがあるかないかなどの総合判断から、自分で決めれば良い。
だとすれば、子供や若者ほど、周りが生存させる努力をする価値はない。
率直に言えば、この国は、老人が威張り過ぎであろう。社会的地位が中途半端にある偉いかどうか微妙な老人ほど害悪である。
だがしかし、客観的な一般論としてはそれで良いとしても、主観的、個別的には別の利益衡量も必要です。
まず、第一の問題は、誰のおかげで今の自分があるのかということである。
例えば、私の場合は、極々普通に幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→社会人と成長してきたわけだが、
私の人生の前半は、両親の尽力の上に成り立っている。この自己犠牲を無視することは、通常の人間には、人道に反することとしか感じられない。
同様に、出会ってきた先輩や先生方の感化を受けたからこそ、今の私がある。
その恩を忘れるわけにはいかない。
つまり、困難な時に突き放すような判断は、倫理的に耐え難いわけである。
困難な時こそ、弱っている時にこそ、手を差し伸べられる人間でありたい。
また、第二の問題として、認知症になりたくてなる人はいないという事実も無視できない。
認知症の発症は、その人の「意思」とは無関係であり、であるならば、その人個人に責任を押し付けてはならない。
責任とは、人格的に自律した個人の意思決定があってこそ、認められるべきなのである(義務あるところには、責任が生じうるとの議論は別論である。)。
だからこそ、社会において、彼らが人間の尊厳を保ちつつ生きていかれるようなシステムを構築すべきである。
このように考えてくると、認知症ということを理由に、医療行為を拒否することは、少なくとも私には、決してできない決断である。
その結果、私がとった対応は………
「腫瘍の摘出手術をしてください。最新の内視鏡を使った手術でお願いします。」
であった。
さればといって、仕事を休むわけにはいかない介護休暇などというものは、現時点では絵に描いた餅に過ぎない。
だから、手術と入院のスケジュールをGWにピッタリと合わせるほかなかったのです
そのために金一封を医者に渡しました。「申し訳ありませんが…」と頭を下げながら…。
慣れたものですね、彼らはこたつでみかんを受け取るかのようにスッと受け取り、懐に仕舞いました
はぁ、一言愚痴を言わせてください想像以上に大変でしたよ
精神的に参ります
おかげさまで、手術は、成功しました。術後経過も順調そのものです。
認知症は僅か1年で人間を猿にしてしまう。
昨年の1月頃だったでしょうか。時期はよく覚えていないんですけど、実家へ荷物の整理に行くと、父が珍しくスーツを着用しているのです。
「どうしたの?冠婚葬祭?」
「何言ってるんだ?会社だよ。」
「は?」
この奇妙なやりとりがスタートでしたこれまでと異なり、乱雑に散らかったリビングを見てピンときた私は、父に認知症の検査を受けさせました。
その時の数値はギリギリセーフだったんですけどね。えぇ、確かこのブログにも書いたような気がします。
それから暫くして、警察から電話が掛かってくるようになりました。いわゆる徘徊というやつでして、通報により保護されるのです。
仕事帰りに、徘徊先の警察に頭を下げに行くのは、弟と分担したとはいえ、まぁ疲れます
実家は武蔵小杉にあるのですが、最も遠いところで、東京都北区の滝野川警察署ってこともありましたよ
父のスマホをみると、10時間歩いたと記録に残っているのです。健脚なんだなぁ
そのうち、飲食店から電話が掛かってくるようになりました。財布を持たずに飲食されて、店の人たちが困っているわけです。
財産管理、私たちは当たり前のようにやっていますけれども、認知症を発症すると、まずこれができなくなりますね
休日、父が無銭飲食をした飲食店に菓子折りを持って謝りに行きました。
いやぁ、ホロコーストの生存者、ヴィクトール・フランクルの有名な一節が思い出されます。
「それでも、人生にYESと言う。」
でも、まぁ私が仕事で経験してきた修羅場よりは大したことはないかな?僭越ながら、そう思います。
問題解決のために、複数の訪問介護士に付き添い介護をお願いすると共に、
勝手に家から出ないように、鍵に工夫を施した上で、部屋に柵を取り付けました。
ここが森の中だったら、捕獲するための罠を仕掛けたいとさえ思いました。
平日は、仕事以外のことで煩わされたくないからです。こんなこと言うと尊大に聞こえるかもしれませんけど、仕事だけでも、結構大変なんですよ
外堀を埋めたら、次に取り掛かるのは、老人福祉施設の探索や行政のサービスの調査です。
焦りながら、認知症や介護と行政の仕組みを勉強しました。何せ全てが初体験なんですから全体構造を把握するのに3ヶ月は掛かりましたかね
その後、
①要介護認定・障害者認定
②特養申込
③ケアマネージャーとの打合せ
最終的には、有料老人ホームを選択しましたけど、そこに至るまでは、紆余曲折でした。
虚血性一時発作で1ヶ月間検査入院をしたり、それが済んだら、今回の膀胱癌が見つかったり……
私は、その至らなさから、寝耳に水、青天の霹靂、藪からスティックになってしまいましたけれども、老婆心ながら、皆さんはそうならないようにしてくださいね。
認知症の悪化は、あっという間です。
本人は、何もわかっていないから幸せです。振り回されるのは、周りの人々ですよ
うん、本音は、自分のことは自分で始末をつけようぜ、それだけのことなんだけどな
医療や介護の仕事をしている方々は凄いの一言です。こんな厄介な老人を何とかしてくれるのですから。
1日、認知症の老人と過ごしてみてください。朝食を食べた5分後に、
「メシはまだか?」
これ以上の不条理はありません数分前のことを忘れるって、どういうこと???
私は、決して短気ではありません。じっくりと相手の話を聴くタイプです。でも、支離滅裂なことを聴いていられるほどタフではありません。
それ以来、私は父と長時間同じ空間で過ごすことを極力避けるようにしています(笑)。
サンドウィッチマン富澤のように私は叫びますよ。
「ちょっと、何言ってるかわからない」
だからこそ、迅速性を重視して、特養ではなく有料の老人福祉施設に任せました。
まぁ、そのおかげで、認知症や介護問題については、勉強して勉強して、論文を一本書けるくらいになりました。
父を見ていて、明日は我が身と震えたので、必死に勉強したんですよ
何かお困りのことがあれば、いつでもご相談ください(笑)。
海は、神奈川県の江ノ島でした高校生の頃から、慣れ親しんだ海です。
横須賀や横浜臨海パークの海も良いですけれども、鎌倉や江ノ島の海も素晴らしいと思っています
まぁ、欲を言ったらキリがありませんけれども、ここが私を育ててくれた瀬戸内だったら、もっと癒されるかもしれません。
江戸城を築城したのは、徳川家康ではなく、太田道灌です。
手嶌葵って歌手をご存知ですか?私、彼女の声がとても好きですねぇ❤︎最近眠る前は、彼女の歌を聴いています。
まだまた、頭が極端に悪いので、自分の意見を。
激しい男尊女卑社会である日本は、男女の違いを平成まで強調してきましたけれども、
私の結論は男女は何も違わないということです。違うのは、女性ホルモンと声。最終的には声ですかね。
その前提にたたないと。
女性には、食道も胃も十二指腸もないと考えているとしたら、大間違いです(笑)。毛穴もない?あなた、馬鹿ですか?
きっと声だけだと思うんです(笑)。思春期の悩みが、バカみたいだなぁと最近思いますね
ルッキズムも、あと10年かな。女性も人間性で判断される世の中になることを、私は強く望みますね。
男も仕事前に美容室へ行け、化粧しろという結論を私は最も恐れております(笑)。くだらない無駄な時間を過ごしたくないので。
男の優位性=経済力、女の優位性=見た目という馬鹿馬鹿しいシステムは、一刻も早く崩壊させるべきですね♬
どうしたら、そうなるだろう?
男女関係なく、他人に依存する人生はやめましょうということです。他人の評価ばかりの人生。
最後に、私の個人的見解を述べさせて頂きました。江戸城を築城したのは、太田道灌なのです。
おやすみなさい。