医学部現役合格Bの場合④大量の一次合格に落ち、自治医科の1次合格者となる | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

「医学部志望はいつ頃からですか?」というご質問にお応えすべく、

現役合格のBのことだけでも5回シリーズで書こうとしているトホホ母です。


いや~、伸ばす、伸ばす。

で、今回は4回目。


しかし、あくまでBの場合なので、「そんな例もあったのか」と

そんな気持ちでお読みいただければと思います。




まあそんなこんなで、センター試験は苦手な国語が難化して、

他の受験生との差が大きく開かず済んだものの、

結局、目標点には到達しませんでした。汗


ハハハ・・・・



しかた~がないの~で

急きょ出願先を変更しました。


そして、自己採点でショックを受けてすぐ、

私立医学部の最初の入試日を迎えました。


この私立医学部は、1次試験の合格者を500人出します。


しかも問題が比較的簡単。

「高得点勝負のミスなし」が求められます。


さらに「適性検査」が行われました。


この適性検査は「内田クレペリン検査」というものらしく、

1ケタの足し算を行うものだそうです。

(後で知りました。) ← 私立医の情報なんて知らなかったんだもーん


情緒の安定性や環境への適応力などを 判断するもののようです。

(これは1次試験の合否には関係ないという話も聞きました。)

             ええ、後で



が、あろうことか、Bはこの1次合格者に入ることができませんでした叫び


本人いわく「スピード勝負の数学は苦手だ。数学で差がつかない。」


「ずっとセンター対策していたから、理科Ⅱの範囲を忘れた。」とのこと。


でもね、11月までずっと理科Ⅱを解いていたのに、

そんなに忘れるもんなの?と思うのですが、


どうやら


「目の前のことにしか目がいかない理系人間B」

にとって、11月までやっていた理科Ⅱの範囲は、

記憶の彼方にいってしまったようです。




そして迎えた自治医科大学の試験@都道府県庁。


当時の自治医科大学の試験は、英数理の「数理」が

センター試験と同じ科目だったので

Bにとっては受けやすかったようです。


そしてまさかの1次合格者とさせていただくことができました。



しかし、何しろ致命的な「英語」は手ごたえもなく、

結局「英語を得意としていた受験生」が合格をつかんでいきました。



余談ですが、

このBの「英語が得意な受験生が合格をつかむ」というのは

その後3番目の子Cの慶應(非医学部)や

再受験時の慈恵医大受験の際にも痛感したことでした。


「太刀打ちできん」と言って帰ってきました。


英語の長文読解

こればっかりは、

ちょっと受験勉強したくらいでは征服できるレベルじゃないですね。




さて、難易度的には

自治医科大学  >>>>> 1次試験500人合格者を出す私立大学


なのに、Bは


自治医科大学  学科合格(1次合格)

1次試験500人合格者を出す私立大学  1次不合格


という、なんとも摩訶不思議なこととなりました。


不思議な私立医学部入試の世界があるのだと思いました。



さらに、Bには試練が続きました。


それは

「医学部志望動機が薄っぺらい」

ということでした。


高校3年で突然医学部志望になったBにとって

ずっと医学部志望してきた受験生に比べ、

「志望動機」が明確になっていないわけです。


そりゃそうだ。


そうでもなきゃ、小学校のころから医師になりたいと思ってきた

一番上の子Aにも申し訳が立たん。

(なんの申し訳だ?)


でも、もしかしたら

上の子が医学部に進学した時の下の子は

少なからずどこかで「自分も医学部に」と考えたり、あるいは

周囲から言われたりすることってあるのかもしれません。


思い返せば、あながち、Bの医学部志望は、

全くの「無からのスタート」でもなかったようにも感じます。



しかし!


初めて迎えた医学部面接が、あろうことか

へき地医療に尽力する人材を求める

自治医科大学の都道府県面接ドクロ


自治医科大学の面接でツッこまれる経験をし、

自分の甘さに気づいていったようです。


           

             続く


まだまだ引っ張りますわよー