医学部現役合格Bの場合⑤圧迫気味面接を受けて医学部志望が明確になる | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

「医学部志望はいつ頃からですか?」の質問にお応えすべく

国公立現役合格の2番目の子Bのことを書いています。


5回シリーズのいよいよ最終回。

いや~、引っ張りましたね~。



でもね、書いていながら、またあの時の気持ちが蘇りました。


ええ。

「なんで高3で医学部志望したのが合格するのよ」


              ドクロ


特に、上の子Aのように、小学校時代から医学部志望なのに

なかなか合格に手が届かないことを経験した身からすると、

「なんで?」という感情が湧いてきたのも正直なところです。


実際、Bの合格がわかった時、

うれしかった・・・

けれど、一方で複雑な気持ちにもなりました。


そのあたりは最後に書きます。 ← また引っ張る―



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我が家の2番目の子Bの、突如の高3での医学部志望。

センター試験撃沈。

あろうことか500人も1次合格者を出す私立医学部の1次試験不合格。


そして自治医科大学の1次合格者となるという

摩訶不思議としか思えない体験をしたB。



自治医科大学の試験というのは、

まず住んでいる(あるいは高校のある)都道府県で学科試験を受けます。


(都道府県の職員さんが採点するので、しやすいように、

マークシートの方式なのだそうです。)


そこでの学科及第者のみ、都道府県の職員さんと面接をします。


そしてめでたく面接の結果も加味して1次合格者となってやっと、

栃木の自治医科大学で

大学の方々との面接にたどり着くわけです。




自治医科大学の都道府県職員さんとの面接がBにとっての初面接。


そこでBは「初めての医学部受験の面接」を経験し、

自分の考えの甘さを痛感したこととなりました。



「数学オタク」のBが、高3の秋に医学部志望し始めた理由は

「細胞に興味を持ったから」。


そして、自治医科大学とは、いわずもがな、

都道府県のへき地医療に尽力する医師を都道府県単位で学費を貸与し

学んでもらうという体制をとっています。


そこに「ミクロの世界に魅せられたB」が参入。


もちろん、自治医科大学の設立趣旨を叩き込み、

へき地医療の何たるかを学び、

Bも「細胞にこだわらす、医師としてへき地医療をやる」と決意し望みました。


が、都道府県職員の方々との面接で、Bは激しく突っ込まれ、

コテンパンになって帰ってきました。


何しろ、もともと口数の少ないB。


「どんなこと聞かれたの?」と聞いてみたとて、

自分が嫌な思いをしたことは特に口が重く、

具体的にどんな質問をされたのかは知ることはできませんでした。


ただ、「医学部面接」なんてできるのだろうかと思えたBが

一人で「面接」というものに挑んでこれたというだけで

(受け答えができたというだけで・・・?)

ほっとした部分もありました。




あ、もちろん

●「第一志望はどこですか?」


●「国公立と自治医科大学のどちらが希望ですか?」

(自治医科大は、本人当庁での手続きを国公立前期試験日に行います。

 つまり、国公立の前期試験を受験できなくなります。)


●「国公立の推薦やAOは出願していますか?」

(推薦やAOの場合、辞退が許されませんからね。

もし、推薦やAOでの合格がわかったら、自治医科大を辞退することになります。)


という、マニュアル質問はされたようですが。



「地域医療とへき地医療の違いをどう考えるか?」とかも聞かれたらしい。



私が仕事から帰るとBの姿はなく、

3番目の子Cが能天気にテレビを見ていました。



「Bの面接はどうだったんだろうね?」と聞くと

「『落ちたー』って言って暗かった。」との返事でした。


自治医科大学の学科及第者となって歓喜に沸いた前日とうって変わり、

どよよんの家の中。



夜、自習から帰ってきたBに、

「医学部やめるか?」とおそるおそる聞いてみると


「今回の面接で、自分がどれだけ甘いかがわかった。

医学部受験は甘くない。だから、もっとしっかり勉強したい」と言って、

さらに拍車がかかったのです。


おそらく勉強の部分でも、

「医学部に進学したい」という思いにおいても、

この時期の1日は、それまでの1週間(7日)くらいの濃縮度

だったと思います。


前期試験までのおよそ25日は、

それまでの175日分くらいに相当したかもしれません。



そしてめでたく奇跡の国公立前期試験合格をつかんだわけですが、

そりゃあうれしかったです。


        が


一方で、複雑でもありました。


それは小学校時代から医師を目指した超ド真面目Aは

浪人をして、やっとの思いで国公立医学部に合格しました。


発達障害グレーゾーンだったBが、

しかも高3の秋に医学部に志望を急きょ変更し合格をつかんでしまった・・・・。


これを複雑に思うなと言うほうが無理でしょう。


理不尽じゃないか・・・・・・


親の私でさえ、

なんともやりきれない思いが湧いてきて仕方がありませんでした。





後の3番目の子Cの受験の際に、医系予備校の塾長が


「東大を狙っていた受験生や旧帝大の文系を狙っていた受験生が

急きょ医学部に出願先を変えてくるんだもんな。


もともと数学も英語もできる力をつけている層だもの、

そういう受験生が合格をかっさらっていく。


ぎりぎりの線で頑張っている医学部受験生にとっては

ますます厳しい戦いになるわけだ・・・。」


と言っていた意味が納得できたのは

我が家にも、急きょ医学部志望に変更して

合格をつかんだ受験生がいたからかもしれません。


それが人生なんだよと、ぽつりと父親である夫が言いました。


理不尽と思えることも人生なのか・・・・




2番目の子Bが現役合格をつかむことができたのは、


良い先生に出会えたこと。

(これは3番目の子Cの時にも言えました。この要素は大きい。)


いつまでも第一志望にこだわらず、出願先を潔く変更し、

その選出が作戦通りにいったこと。

(センター試験と2次試験の比率・問題との相性等)


元々苦手で点数の取れなかったセンター試験の国語が難化したことにより、

平均点が下がり、

2次逆転可能射程境界線上にとどまることができたこと。


国語はもともと力がなかったため、

問題を見ても他の受験生のように「難しい」と焦ることもなかったこと。

メンタルをやられずに自分のペースでセンター試験の2日間を

乗り越えることができたこと。


ほら、センター試験って魔物が棲んでおりますんで。


センター試験後、2次試験に向けた約1か月の時期、

ものすごい「火事場の馬鹿力」で追い込みをしたこと。


(特に、この時期に私立医学部受験日程がぎゅうぎゅう詰になっていくので、

下手すりゃ苦手分野や曖昧な分野の復習ができぬまま

次の受験をして負のスパイラルに突入ということにもなりかねません。)


そんなことが働き、現役合格を果たすことができたように思います。




ただ、これだけは言えます。


センター試験後から前期試験までの間は


濃い毎日でした。




D判定・E判定の受験生の皆様に幸あれ!




次回はメンタル崩壊した私の状態などを・・・

まだ引っ張る気かああああ