「医学部志望はいつ頃からですか?」というご質問にお応えすべく、
現役合格のBのことだけでも5回シリーズで書こうとしているトホホ母です。
そこまで引っ張るかっ
それでも「まだまだ続くよ、どこまでも。」
あくまで「我が家のBのケース」ですので
まあ、「家政婦は見た」の気持ちでお読みください。
さて本題に入ります。
数学に命をかけたBが、物理に出会い、
やがて「細胞」に魅せられ、医学部を考え始めたのが高校3年。
てっきり理学部数学科か物理学科に進むものだと思っておりました。
遅いっちゅーの
超真面目な一番上の子Aですら苦戦した医学部入試。
ましてやAが在学した高校に落ちたB。
「医学部を受験したい」と聞いて
「はい?今、何て言った?」という反応をしてしまった私。
学校の先生にもなかなか言い出せなかったようです。
なんてったって「数学命」。
そして物理。
まあ次に化学って感じ。
「数学はどれだけやっても飽きない」と言うくらいだったので、
「オタク」だったのかもしれません。
医学部受験を考えた時、
この理科と数学が苦痛でないというのはラッキーでした。
一方で、国語は致命的にできず。
国語ができなきゃ英語もできないわけで。
良い先生方に指導していただいたのですが
こちらの科目はどうも・・・・
ところがね、あーた。
この年、
センター試験、国語が難化したんざます
もともと点数が取れないBは
安定して点数が取れません(安定低空飛行) ← 自慢
そう。優しい問題だろうが、難しい問題だろうが、
一定した底辺点数でありました。ぱちぱち
しかも、国語はセンター試験の一日目の科目。
つまり国語を得意として点数源としていた理系受験生にとって
非常にショックな試験となったようです。
模試でも文系科目ができないBにとって
国語難化は精神的にも全く影響しませんでした。
(おそらく「難化した」ということすら感じていなかったのでは?)
もともとBは安定して点数が取れていませんでしたから、
国語平均点の大きな下がりによって、
他の受験生との差が
さほど大きく開かずに済んだのです。
これは「運」としか言えないように思います。
逆に、その精神的な影響で
後の科目まで引きずってしまった受験生も
少なくはなかったようです。
おそらく、Bにとって、
翌年にセンター試験を受験していたらダメでしたね。
たまたまこの年だったからこそと思っています。
このことは、2次試験のビハインド点数が少なくて済むことになりました。
もともと「大学への数学」を解いているBは、
じっくり時間をかけて答えを導いていく数学のスタイルを好みました。
一方で、私立医学部の
「スピードと正確さ」を要求される出題形式は苦手なようでした。
センター試験のマークシートの数学も苦手なようでした。
↑ 肝心な時にだめじゃん
こうして、Bにとって逆転可能な可能性がわずかでもある、
そして数学が比較的解きやすい国公立大学医学部に
ダーツの狙いを定めたのです。
ところが・・・・トホホ
続く
まだ引っ張るか―