現役医学部合格の2番目の子B①いつから医学部志望したか | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

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1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

「医学部志望はいつ頃からでしたか?」というメッセージをいただいております。


う~ん。

いつなんだろう・・・?



そんなことを考えながら、3人の子供のうちで最も学力的に心配したBが

現役合格した時のことを振り返ってみました。


が、お役に立てそうなことは思い浮かびませんでした。ちーんダウン



しいて言えば、「マッチングがうまくいった」

つまり、出願先の選択が狙い通りだったことと、


「センター試験国語難化の年に受験できた」ということでは、

「運が良かった」としかいいようがありません。


ほら、医学部受験の場合、センター試験の結果を見て

「日本全国ダーツの旅」じゃないですかひらめき電球



この2番目の子Bは、過去記事を見ていただいてもお分かりになるように、

発達障害を言われ(グレーゾーン)、こだわりが強く、

ちょっと変わっていました。




当時は幼少期・学童期なのでグレーゾーンという判断。


医師によれば、成長とともにますます偏るか、

目立たなくなるかはわからないと言われておりました。


(どちらになっても良いように、覚悟と資金を貯めておきました。)




ただ、Bは「数字が大好き」でありました。



「こだわりが強い」や「好きな事には没頭する」という、

ほれ、巷でよくいわれる事が、Bの場合は偶然「数字」だったんですね。



やがて「数字」が「数学」の興味に変わりました。


数学を究めたいと公立進学校トライするも、落ちました汗


その後進学した高校で良き数学の先生に出会い、

その才能を見出してくださいました。 ← 数学だけね


そのことがだんだん自信に変わり、社会性の偏りも目立たなくなりました。


Bは自ら「大学への数学」を解くようになり、

数学への思いはますます強くなり、

大学の理学部進学を考えるようになっていました。


勉強も数学だけねドクロ



そして迎えた高校2年。物理に出会っていったのです。  


                              続く