日本★大阪|父の肝臓がん闘病記#05入院・手術日(2024.02.20) | *(ΘェΘ)*R-panda☆中国写真館

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 注意今から重い話しますので、苦手な方はどうぞスルーして下さい!
 



病院父の肝臓がん闘病記#05入院・手術日




【父の肝臓がん闘病記】★これまでの経緯★
“病気のデパート”のR-panda父(75歳)。 基本私と同じ食い意地強め酒に目がない“呑兵衛”。
脳梗塞(2回)、糖尿病、肝硬変、高血圧、心房細動(心房カテーテルアブレーション)、等など病歴諸々。父のかかりつけA病院には、もう十数年通い続けている。昨年(2023年)末、A病院の検査で肝臓がん発覚。悪性腫瘍は2つ見つかり、1つは胆管近くの高難易度の位置。
A病院に全く信用のないR-pandaは頑固な父を説得して、紹介状を書いてもらい「肝臓がん手術実績件数が多く、名医がいる」C病院へ。C病院は私自身がA病院に紹介状を書いてもらいこの数年通い続けている規模の大きな病院。父の【肝臓がん】A病院の担当医には「早期発見で、敢えて言うなら“ステージ1”」と言われて安心していたら、C病院の担当名医には、「“ステージ1”なんてとんでもない!画像を見る限り“ステージ3”です。」とまさかの展開!父は担当医の指示に従い、1月25日から手術迄の期間“断酒生活”を開始。C病院で手術前のMRI、CT等の諸々検査、説明を受け、2月20日に手術予定。初めての癌に落ち込む父だったが、前向きにガンと闘う【父の闘病記】もし誰かの為になれれば幸い、記録の為に此処に残したいと思う。

 当ブログの本筋からはズレますが、どうかお付き合い下さい。

長文ご容赦下さい☆





父の手術の事をブログで既に書いていたので、流石に手術後

スルーするワケにもいかず、ほんの少し報告するつもりが

結構長々と書いてしまったんですが、、、



※上の記事の原文なので、内容被りはご容赦ください。



2/18(日)から前乗りでC病院に入院したR-panda父(75歳)。

手術予定時間は2/20(火)午前9時〜午後17時迄と言われていました。


コロナがまた流行っているので、C病院入院時の面会は一切NGになってしまったんですが、

手術日は、家族の面会OK、手術時も待合室で待つのはOK、

手術後ICU(集中治療室)で1人のみ5分程度の面会が許されるという。

今回はちゃんと手術室の階の待合室で待つ…という好待遇でした。


手術日当日…

私と母二人で朝5時半起き、8時前にはC病院に到着!


父にメッセージ入れて、病室階の廊下で父と待ち合わせ。


父は入院後の血液検査で血糖値が高いとか諸々問題あったらしく…

自分で持ち込んだチョコや母が父を思って差し入れしたリンゴ等の隠れ食いが原因?

インシュリンも2度打たれたそう。手術前とは思えぬ点滴をぶら下げた姿で父と面会。


実は入院前日…


入院は何度もしてるはずの父ですが、入院用の荷物をまとめるのが苦手。

母があれやこれや詰めてくれるので助かっているはずなんですが、

(側から見たら甘やかしてるから、いつまでも他人任せ)


「こんなん要らんて!遠足行くんちゃうんやから…」


何故か一丁前に文句は言う父。



父は午後から一人でひっそり何処かに出かけて袋提げて帰って来た。

「何買って来たん?」って訊いたら、「のど飴…とか。」と父。

糖尿病やのに飴を食べる習慣があって(多分、2年程前にタバコをやめてから)

いつも母から怒られている。


こっそり中身をチェックしたら、、、



お気に入りのふりかけ【ゆかり】と【わさび】

チョコレート、ピーナッツチョコ、

のど飴に隠れて黒糖飴まで!!驚き


のど飴…とか?とかの方が多いやん‼︎w


父の考えは、病院食のごはんはふりかけで自分好みにしたいやろうし、

入院中にチョコや飴も食べたくなったら、病院内のコンビニで買うより

行きつけのドラッグストアで買った方が安いし…って考えなのは分かるけど、、


「こんなん要るか⁈遠足行くんちゃうんやから…えー

まるっとそのまんま、父の言葉を返させてもらいました。笑


で、チョコは少し取り上げ減らして持たせたんですが、手術初日に早速チョコを食べ、

更に母が良かれと思って手術前日に果物好きの父にリンゴを剥いて持って行ったのを

食べたとかで、血液検査で血糖値が高かったみたい。

まったく〜‼︎食いしん坊な父であった。ちょっと不満




🕘8:50

看護師さんの誘導で、父と一緒にエレベーターで手術室の階へ移動。

手術室の前で、頑張れよ!と声を掛けて父をお見送りした。

「もし途中で目が覚めて、先生達が珈琲タイムしてても冷静にな!

見んかったことにして、目を閉じや!」とアドバイス。(笑)


ちなみに、私は小学生の頃、盲腸(虫垂炎)で手術をした際、

途中、メスの音や周りの音が聴こえていたのを薄っすら覚えている。

母は10数時間の大手術をした際に、途中で周りの様子が見えたらしく、

先生や看護師達がブレイクタイムしてた…とかいうので、想像したらおかしくって‼︎ニヒヒ笑

※そんな風に、手術中に周りの様子を見てしまった人や音が聞こえたという体験をした

人達を取り上げられているテレビ番組を観たことがあるので珍しい事ではないと思う。


ビビリの父だったらパニックになりそうなので、先にアドバイスしておいた!w


🕘9:00

予定通り手術開始!


※イメージ画像

実際は外国人医師ではありません。w


そこから私と母は長椅子が数列並ぶ広めの待合室に案内され、

数組の家族がそこで待機するんやけど、ずっと座りっぱなしは

足も浮腫むし、お尻は痛いし、結構キツい!けど、

そこを離れる場合は窓口のスタッフに「何処に何しにどのくらいの時間離席するのか?」

いちいち伝えなくてはいけなくて、面倒なので、極力我慢!


朝ごはんはご飯2膳食べて来たのに、9時過ぎには腹鳴りで

御座候の回転焼きを一個食べて落ち着く。w


母と色々話しながら、1時間経った…2時間経った…とただただ時間を潰す。

予定は17時までだけど、もしかしたら早く終わるかもしれんから、

お昼ごはんは早めにサッと食べて来よう!と、、


🕜12:30

院内レストランでチャンポン食べる



お腹が満たされ落ち着いた私達は、再び手術の待合室へ。。。

ほんの束の間のランチタイムでした。


私達と同じように9時からずっと待ってる家族の待機も何組か居ましたが、
1人だと待つのも心細いし、何か買って来てもらうことも出来ないし、
荷物置いて動けないしでしんどいだろうなぁ〜と思いました。

16〜17時頃になると、少しずつ手術が終わった患者さんの家族が
先生に呼ばれ、先生からの説明を受けて、廊下で手術を終えたベッド上の患者さんに
声を掛けて帰って行くというのが増えて、気がつけば残り4〜5組くらいになってました。


その中の一組は、交通事故で緊急搬送された男性(恐らく70〜80代)の家族で、
聞き耳を立てて聴いてた範囲で言うと…
自転車でスーパーに買い物に行く途中で、車に轢かれたみたいで、
連絡が入って駆け付けた長男夫婦とその事故に遭った男性の姉妹?(おばあさん)が
事故の状況が全く分からないので、警察に電話して聞いてたんやけど、
大きな交差点で接触して起きた人身事故のようで、
車を運転していた加害者の名前とか連絡先とか教えてもらえるんですか?
とか、動揺しながらも冷静にいっぱい質問してた。
脳の損傷が激しくて回復の見込みなしというようなことを医者からは言われたらしく
意識が戻れば良いけどね〜と意気消沈してたと思ったら、連絡を入れた親戚らが
駆け付け、その団体が待合室で結構ワイワイなってて、、、
なんていうのか。。。
パニクった後の一旦落ち着いて変なテンションになってるような…
笑いも起きる変な感じになってたんやけど、、、ニヤニヤ汗


もう一組も、、、
お母さんが舌癌か口腔癌か何かの手術で、旦那さん、息子夫婦、娘…が
待合室に居たんやけど、ずっと暗い感じで待ってたのに、手術が無事終わった
という安堵感からか、皆が急に明るく話だし、ハイテンション!


ところでうちは⁇

17時も過ぎたけど、呼ばれない…と思ってたら、
手術室から看護師さんが出て来て、名前が呼ばれた。
立ち上がって荷物を持とうとしたら制止されて、
「実はまだ終わらないんです。難しい部位の切除に時間がかかってるので
予定では17時迄って言われてたと思うんですが、21時頃まで掛かりそうです。」
と言われて、クラクラっと来た!無気力うずまき
1〜2時間遅れるのかと思ったら、後4時間って‼︎滝汗
「分かりました、待ってます!どうかよろしくお願いします‼︎」と
挨拶して、引き続き待つ。。。


私たちの想いは、「早く終われば良いのに…」から
「遅れて良いので、どうか慎重にお願いします‼︎」という祈りに変わり、
しまいには「◯◯じいちゃん、◯◯ばあちゃん、◯◯大ばあちゃん!
□□じいちゃん、□□大ばあちゃん!どうか守って下さい!お願いします!」
と亡くなった親戚頼みでお祈りするという…w
ちなみに、この日は偶然にも母方の祖父のお誕生日で一層守られている気がしました。


途中、お弁当の入った袋が手術室に搬入されるのを見た。
先生達も大変やわなぁ〜!どうか食事摂って頑張ってください!
という思いと同時に、万一父が目を覚まして周りで先生達が晩飯食ってたら
食い意地強めの父は耐えられるだろうか…とか想像したら、笑けて来た!



手術開始から11時間20分‼︎

🕣20:20
ようやく手術して下さった先生に呼ばれ、面談室へ。

手術の状況を伝えてくれた先生は、担当医Z先生ではなく、入院前最終の問診で
とても分かりやすく説明してくれた若手の外科医M先生だった。
Z先生チームなんだと思うけど、流石に訊けなかった。

真っ先に「長い時間お疲れ様でした!」と母娘で深々とお辞儀をして入室。
どういう結果なのか不安もあって、2人して震えていた。

先生は「時間は掛かってしまいましたが、胆管を傷つけないよう注意して
慎重に切除しました。なんとか無事手術は終わりました。」と報告しながら、
両手に抱えた大きめのタッパー(容器)の蓋を開けて、、まさかと思ったらそのまさか‼︎
父の切除した肝臓と胆嚢が容器の中に並べられていました‼︎ゲッソリガーン

注意グロいので、モザイクを入れた上に、雰囲気だけ伝わる最小にリサイズした。w



この部分が胆管の傍だったので、慎重に刻みながら切除しました…とか

ココが腫瘍部分です。これが胆嚢です。…とか、グロ過ぎて一瞬引いてしまったけど、

ちゃっかり写真も撮って、、、


「いやぁ〜肝臓ってホンマにレバー(肝)ですね〜ニヤニヤ

さっき冗談で“今晩は焼肉食べようか!”なんて言ってたんですけど、、

コレ見たら、ちょっと…無理そうですね!」

なんて冗談言ってから…

あっ!しまった‼︎お疲れの先生にそんなしょうもないこと言ったらアカンやろ‼︎滝汗あせる

と焦ってたら、「まっ、食べようと思ったら食べれますけどね!ウシシとか

それどっちの意味⁇ってような冗談返ししてくれて、ホッとした〜‼︎笑



てか、冗談言う余裕があった自分にもビックリしたけど、

キモい肝見て笑いながらも、安心して涙目のR-panda。笑い泣き


M先生の方から色々と説明を受けたのですが、

まず始めに、、

「手術前にもお伝えしていた通り、実際に手術してみて、

がんの進行段階はやはりステージ3です。」


このC病院では最初からそう言われたと聞いていたので全く驚きはしませんが、

父が元々かかっていたA病院には「初期段階です。敢えて言うならステージ1

言われた事を思い出して、あんな素人判断のヤブ医者達に任せずC病院で手術して

貰ってホント良かった〜‼︎という気持ちと、A病院には今後関わりたくないし、

関わらせたくないという気持ちでいっぱいでした。



父の場合、2ヶ所のうち、1ヶ所が切除が難しい胆管のそばにあったせいで

手術自体も難航しましたが、今後も慎重にみていく必要があるとのこと。

事前には腹腔鏡手術(腹に数ヶ所穴を開けてそこから手術する)と聞いていましたが、

結果的に6cmほどの開腹が1ヶ所、2cmほどの開腹が複数ヶ所あると聞いて、

ビビリの父がそれを知ったら、「ナンジャコリャ〜‼︎」やろうなぁ…と。

※一応、手術前の同意書には開腹になる可能性があることも書かれている。


「先生、本当にありがとうございました‼︎

長時間お疲れ様でした‼︎」

と何度も何度もお礼を言って出て来ました。


そして、先生からの術後報告の面談室から出て来た私と母も例外ではなく、

術後ハイ!泣き笑い泣き笑いアップ謎のハイテンションでした。



結局、この日の手術、最後の患者になって、、、

待合室周辺の照明も段々消されて行く中、私と母は再び待機。

手術室から中の通路を通ってICU(集中治療室)に入った父に

手術日当日だけ1人5分程度のみ面会出来るという決まりで

母だけ面会したが、麻酔が効いてるので話しかけても反応はなく、

握った手も冷たかったと。

それでも、薄っすら覚えてたりするから、「よく頑張った!」と言って来てと

母に託した。



結局、病院を出れたのは21時20分頃で、22時過ぎに帰宅。

正に1日がかりの父の肝臓がん手術でした。


先生からの事前の話では、肝臓がん手術の場合、
一般的には2週間ほどで退院出来るそうなんですが、
父の場合、後遺症の心配と他の病気もあるので、3〜4週間ほど入院予定と聞いています。

手術した日から既に10日経ちましたが、、、
様子を見に行ったのは翌々日と翌々々日の2回だけ。
それも言動がおかしかったのであまりに心配で看護師さんに起こして廊下まで出して貰い、
遠くから手を振った程度です。(面と向かって近くで見れたワケではありません。)

術後父はどんな風なのか、顔色がどうなのか?
父とのSMSのやり取りでしか状況は分かりませんが、メッセージを打つのも
シンドイようで、、あまり返答もありません。
「ムカムカして食事がほとんど食べられない。」
「コロナが院内で流行っているようだ」「同室患者が陽性だった」と
届くのは心配になる内容ばかりで、家族には不安しかありません。ネガティブ

コロナ禍から相変わらずの状況で面会NGなのは分かっていますが、
この苛立ちと怒りの矛先をどこに向けたら良いものか。。。
ホント参ります。


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