心理カウンセラー・公認心理師の
栗林あや(いがぐりこ)です。
れみちゃん(凰斗 麗巴ちゃん)のブログを読んで、めちゃ共感しました。
れみちゃんのブログに「見えない部分は理解されない」という言葉がありました。
知らない人は
やってもらっても「ふーん」ってなる
なんなら
「もっとこうさーー」
なんて文句を言う(笑)
見えない部分って
理解されないんだよねぇ
これは、私の日常生活においても、よく感じることです。
「見えない部分は理解されない」ってのが、わたし、しんどくなっちゃった。
私の体験談。
実は以前、姪っ子が成人式を迎えたのです。
その際、姑から頼まれて、私が一眼カメラで、姪っ子の晴れ姿のスナップ写真を撮ることになりました。
その時に、
「一眼カメラで写真を撮る人の気持ちや労力って、写真を撮らない人には、ほんと、全くわからないんだなぁ・・・」
って、つくづく感じで、むなしくなっちゃったのです。
一眼カメラで写真を撮るというのは、ただシャッターを押すだけではありません。
撮った写真をパソコンに取り込んで、一枚一枚、明るさなどを調整するレタッチ作業が必要です。
撮ったデータの管理もあります。
さらに「当日中に親戚にも写真を送りたい」と言うので、大慌てでデータを整理して、渡しました。
カメラを趣味とする人ならわかっていただけると思いますが、これはかなり手間がかかる作業なのです。
でも、写真を撮らない人(姑など)には、これが「あたりまえ」のように思われていて、なんだか悲しくなっちゃったのです。
カメラにまつわる、このような「虚しい思い」は、過去にも何度か経験していました。
そのため最近では、少しずつカメラの趣味から離れてしまっていました。
「カメラがあるんだから、シャッターを押すだけでいいんでしょ?タダだし!」
と、そこに私の労力や手間が計算に入っていなくて、とても虚しいのです。
そもそも、事の発端は、成人式の前撮りの話から始まりました。
私の地域では、成人式の前年に写真を撮って「前撮り」しておき、
翌年の成人式の本番当日は、式にのみ出席するのが一般的です。
前撮りの際は、プロの写真館で、ヘアセットとメイクがプランに含まれています。
そして、成人式当日は、写真館では写真を撮らないので、
あらかじめ自分で予約した美容院で、着付けとヘアセット、メイクをしてもらうことになります。
そのため、前年に撮った「前撮り」と、成人式当日の、髪型やメイクや着付けが異なることがあるのです。
(田舎のため、都会のような『チェーン店のスタジオ〇〇〇』などが無いため、このような段取りになります。それが割と一般的な地域です。)
お金持ちのお宅の人は、別途料金を払って、当日もカメラマンをつける、とか、
当日も写真館に移動して、わざわざ撮る...なんて人も、もしかしたらいるかもしれないけど、通常はそんな事しません。
その段取りを知って、姪っ子の母親(←姑の娘)が、
「当日のヘアメイクの写真は残せないのかぁ〜」と残念がっていました。
それを聞いた姑が、姪っ子の母親(←姑の娘)に電話で
「それなら当日は、あや(←私)にカメラで撮って貰えばいいじゃない!
2度も撮るなんて時間的にもできないし、お金がもったいないから、それで我慢しなさいよ!」
と、私がカメラで撮ることを勝手に提案していました。
え・・・
「それで我慢しなさいよ」って・・・
「我慢」のために私が駆り出されるの・・・??
ちなみに、私に一切、相談は無し。
一気にテンションが下がってしまいました。
その日、私の予定が空いてるかどうかもわからないのに。
どれだけ、写真撮影が手間のかかることかもわからないのに。
簡単に「あやにカメラで撮って貰えばいいじゃない!それで我慢しなさいよ!」って・・・ええええええ・・・
わたしは、姑の電話を横耳で聞いてたけど、知らんぷりしていました。
それでも、姑の中では、もう「決定事項」のようでした。
田舎の嫁あるあるですね。
嫁は用事を言いつけられるのが当たり前なのです。
結局、成人式の2日前になって、「明後日、写真よろしくね」と、さも前から決まっていたかのように言われました。
もちろん私にとって、姪っ子は可愛いし大切なので、私は予定を空けて、精一杯撮影しました。
でも、写真を撮らない人には、これが「タダで簡単にサッとできること」と思われているようで、なんだか悲しかったです。
姪っ子が、式の全てを終えてうちに来た時、姑が
「ほら!おじいさん(←舅)!
ここでおじいさんも、Aちゃん(姪っ子)と写真撮ってもらいな!
ほら!みんな座って!!!」って、
薄暗い和室の部屋に、みんなを招き入れて、舅を椅子に座らせました。
うちにはプロが使うような照明は無くて、光源は、暗い和室の蛍光灯のみ。
外からの光は入りません。
暗い部屋にぶら下がった蛍光灯が、人の頭の真上にあるって、最悪の撮影環境なのです。
私が
「この部屋は暗いよ。光が入らないと写真が暗くなっちゃうから、明るい外で撮ろう。」
「暗い部屋だとせっかくの顔も着物も暗くなっちゃうから、明るい外で撮ろう。」
と何度も提案しましたが、
「面倒だから、ここでサッと撮りゃあいいよ!」
と姑にゴリ押しされてしまいました。
結果、どうしようもないから、そのまま暗い和室で撮影することになり、
仕上がった集合写真は、思うようなものにはなりませんでした。
私のカメラの腕は、この悪環境をなんとかカバーできるほと、上手く無いのです。
プロじゃないんだから。できないよ。
みんなの顔と、爺さんのハゲ頭だけが変に白光りしてて、周りは暗い。
納得のいく写真の出来になりませんでした。
れみちゃんのブログには、
(作業の大変さを知らない人は)
目先で簡単そうに見える事に囚われて
ちょちょっとやっている
ぱぱっとやっているように
見えている
とありました。
これは、私の経験とも重なります。
そうなんだよね〜・・・
ほんとコレなのです。
「見えない部分は理解されない」
これが本当にツラくなってしまいました。
このような出来事が起きる原因は、私としては、
「その作業をやったことがない」という経験値の問題も、もちろんあるけれど、
それよりも「想像力の欠如」が原因だと思っています。
「見えない部分は理解されない」ってのは、確かにそう。
そこを「見えない部分も完璧に理解しろ!私は大変なんだぞ!」と言いたいわけじゃない。
「見えない部分は理解されない」のは仕方ない。
でも、世の中には、見えない部分だとしても、理解「しよう」と努力してくれる人もたくさんいます。
そして、「大変だったでしょう?ありがとう。」と、温かい言葉をかけてくれる人も、たくさんいます。
私のカメラの例で言ったら、たとえカメラに詳しくなくても、完成までのプロセスを見たり、自分の得意なことに置き換えて考えれば、
「自分は詳しいことはわからないけど、たくさんの工程や気配りが必要なんだな。それを経て、仕上がった作品なんだな。」
と、ある程度想像はできるはずです。
しかし、残念ながら、その想像力が欠如している人もいます。
特に年配の人には、その傾向が強いかもしれません。
「サッと撮りゃあいいよ!」
姑に関して言えば、孫の成人式で着物を用意したり、いっぱいいっぱいだったんだと思います。
姑も、悪気があってやってるわけじゃない。
単に「自分が写真を撮る側になったことがない」のと、
それに加えて、「加齢とともに想像力が欠如してきた」というだけなのです。
世の中には、この主張や体験談を話しても、
「はぁ?そんなの言ってくれなくちゃわからないよ!」とか
「え!他人にエスパーになれと求めてるの?」など、傷口に塩を塗ってくる人もいます。
それでますます、余計に悲しくなることが増えたので、実生活では、こういうことは言わないようにしました。
私も歳を取ったら、いつかそうなるのかな、と思うと、ちょっと悲しくなりますね。。。。とほほ。
私自身も、もちろん「自分が経験していないから、その大変さがわからない」なんてこと、山ほどあります。
でも、相手の手間や労力を「わからない中でも、わかろうとする」という自分でありたいと思いました。
結論としては、「iPhoneで撮れば?楽だし綺麗だから」という言葉が浮かびます。
これからは状況に合わせて、そう言おうと思います。
でもやっぱり、一眼カメラでの撮影には手間がかかる分、特別な価値があると私は信じています。
何度も繰り返して抜け出せない悩みに