栗林あや(いがぐりこ)です。
人生の中で、楽しい!と思えた瞬間や、出来事はたくさんあったはずです。
私にもあったはず・・・。
でも、私はそういう出来事も、全て「嫌な思い出」に変えてしまう癖があることに気づきました。
最近ある本を読んで、自分の中にある、衝撃の事実に気づきました。
それは、私の中に「楽しかった思い出が無い」ということです。
・・・げ。ちょっと信じられないですよね?
今読んでる本はこれ↓
◆一度しかない人生を「どう生きるか」がわかる100年カレンダー/大住力 (著)
この本には、人生を振り返るためのワークがたくさん紹介されていました。
人生で楽しかったこと、転機になったことなどをリストアップします。
その中で気づいたのは、
私は、「楽しかった」と思える出来事はあるけれど、それを思い出すと後味が悪くなるということ。
つまり、広い範囲でみると、楽しかった思い出が無いのです。
例えば、若いころに、職場の同僚たち(女子4人組)と、富士急ハイランドに遊びに行ったり、飲みに行ったり、バーベキューをしたこと。
あの時は本当に楽しかった。
単体の出来事で見ると、富士急ハイランドもバーベキューも、その時は楽しかったのです。
でもその後、その会社での人間関係のトラブルや、業務の厳しさに耐えかねて、私はその会社を辞めてしまいました。
仲の良かった同僚の女子4人組も、行き違いやいざこざがあって、別れ別れになってしまいました。
そのせいで、富士急ハイランドも、バーベキューの思い出も、
私にとって、「見たくないもの」「思い出したくないもの」に変わってしまいました。
また、あるコミュニティに参加していた時期も、
楽しい瞬間があったし、自分自身の成長を感じることができた時期でもありました。
でも、そこには嫌な人や非常識な人やデリカシーのない人もいて、
その人たちから受けた嫌な思いが、楽しかった思い出を「思い出したくない思い出」に変えてしまいました。
どの思い出も、一見、楽しかったと思える出来事や、その時は嬉しかったと感じた瞬間はあるのですが、
その後の展開や、関わった人々との関係性が変わってしまうことで、その思い出が後味の悪いものに変わってしまっているのです。
こうして考えると、今の時点では「楽しい思い出」も、
「またいつか、嫌な思い出に変わってしまうのではないか?」という不安や恐怖が頭をよぎります。
今は、現在進行形で楽しいと感じている思い出さえも、
将来的にはそのたち人との関係が終わり、
また他の思い出と同じように「思い出したくもない思い出」に変わってしまうのではないか、と疑っているのです。
みなさんはどない??
どうしているんでしょうか?
過去の関係やコミュニティでの楽しい出来事と、その後の嫌悪感をどのように処理しているのでしょうか?
「あくまでも別物」として割り切ってる???
それとも、私と同じように「後味の悪い思い出」になってしまってるんでしょうか?
例えば、中学校の頃の友達と、今も仲良くしている人は、
中学の思い出は「楽しかった思い出」として心に留めていられるのだと思います。
でも、そうでない人はどうしているんだろう?
私たちが過去の思い出を振り返るとき、
その思い出が楽しかったかどうかは、その時の感情や経験だけでなく、
その後の関係性や状況にも影響されることが多いです。
みんなは、中学校の思い出全てが「嫌なもの」にはならないんだろうか??
辞めた会社の全てが嫌になりませんか???
・・・・
ちなみに、私は、この疑問にはまだ答えを見つけることができていません。
私は、もうすぐ誕生日を迎えて、43歳になります。
この歳になって「超いまさら」かもしれないけれど、
この問いに答えを見つけるために、これからも様々な経験をして、自分の中の「楽しかった思い出」を増やしていきたいと思ってます。
そして、その中で、楽しい思い出を大切にして、できるだけ「楽しい思い出」のままでいられるよう、
自分の心の中で大切にしていけたらいいなあって思います。
オチはないです。・・・はい。
そんなわけで、栗林あや(いがぐりこ)でした!
今、親しくさせてもらっているみなさま、
これからも仲良くしてくだせええええええ〜
何度も繰り返して抜け出せない悩みに