栗林あや(いがぐりこ)です。
ある日、友人との会話の中でこんな言葉を耳にしました。
「何か言われたら直せばいい」と。
わたしは、その言葉が頭から離れなくなり、
私の中の重苦しい気持ちが「パチン!」と弾けて心が軽くなり、何かが変わり始めました。
それまでの私は完璧主義者で、何か提出物がある時は、完璧に仕上げようとしてしまう性格でした。
「提出物」というのは、仕事や日常生活のさまざまな場面で、求められるものです。
たとえば、税理士さんに渡す書類。
たとえば、仕事の進捗や成果をまとめたレポート。
新しいイベントの企画書。
デザイナーやアーティストの方々は、自らの作品を提出することがあるかもしれません。
他にもわたしの直近の経験では、
母が実家の団地を引き払って介護施設に入所する際に、たくさんの必要書類を提出しました。
そんな時、わたしは、提出先の人から文句を言われないように、ダメ出しされないように。
自分なりに提出物に何度も修正と確認を重ねて、不足がないようにして、
「これならOKだな」と思えるものを出す努力をしていました。
これらの提出物は、私たちの努力や考えを形にしたもの。
だからこそ「完璧に仕上げたい」という気持ちが強くなるのは自然なことかもしれません。
でも、実際のところ、どれだけ確認してもダメ出しをされてしまうことがあります。
完璧とは一体何でしょうか?
実際のところ、完璧なものなど存在しないのかもしれません。
どれだけ努力しても、どれだけ時間をかけても、必ずどこかで修正依頼が来ることがあります。
そうしたとき、私はひどく落ち込んでしまうのです。
とくにその修正依頼の理由が、あらかじめ教えてくれていなかった条件だったりすると、腹が立つこともあります。
「えー!そんなのが必要だなんでどこにも書いてないじゃん!」
「これじゃダメなの?!それなら先に言ってよ!」
自分なりに何度も修正と確認を重ねてきた努力が、
まるで「骨折り損のくたびれ儲け」になったような気がして、腹が立つのです。
「なぜ私だけがこんなにも努力しているのに」と不服に感じることもしばしば。
でもその一方で、修正依頼をしてきた相手から、まるで「常識がない奴だ」と責められているような気がして、心が痛むのです。
でも、考えてみれば、世の中にはもっと大雑把な人や、何も考えずに行動する人もいるはずです。
現に友人は「修正依頼が来るのを承知で、とりあえず出してみて、言われたら直せばいい。もし1発でOKが出たらラッキー。」という考えでした。
そういった人たちは、言われたことを淡々とこなしていく。
彼らは「言われたら直せばいい」というシンプルな考えを持っているのかもしれません。
だから、無駄なエネルギーの消耗がない。
この考え方には、私たち完璧主義者にとって、大きなヒントが隠されているかもしれません。
完璧を追求するあまり、自分を追い詰めてしまうのは避けたい。
そこで、「言われたら直せばいい」という気楽なマインドを持つことで、
少しは心の負担を減らせるのではないかと考えました。
わたしは、それに気づいた時、
完璧を目指すあまり、自分を追い詰めてしまっていたことに気づきました。
それからというもの、わたしは、完璧主義を少し手放してみることにしました。
そうしたら、ずいぶん、日常生活からの緊張がほぐれました。
まず、「完璧主義を少し手放そう」と決めたこと。
これが、完璧主義の緊張がほぐれた第一歩です。
完璧主義は、時には私たちを窮地に追い込むことがあります。
何度も修正を重ねることで、本来の目的を見失ってしまうこともあるのです。
そこで、「言われたら直せばいい」というマインドを持つことで、少しは心の負担を減らせるかもしれません。
次に、修正依頼が来たときの心の準備をしておくこと。
これが第二歩です。
修正依頼が来たときに、落ち込まないように心を整えることが大切です。
世の中には上記の通り、いい加減な人もたくさんいるでしょうから、「指摘する側」も、修正依頼は日常茶飯事のはずです。
「わたしだけが修正依頼されているわけではない」そう思って
修正依頼が来たときに、それを受け入れる余裕を持つことで、心の平穏を保つことができます。
そして、最後に、他人の意見や評価を気にしすぎないこと。
これが第三歩です。
他人の意見や評価は、あくまで参考程度に留めておくことが大切です。
自分の価値観を持ち、自分らしい生き方をすることが、最も重要なのです。
私たちが抱える悩みや不安も、この新しい視点から見ると、少しは軽くなるかもしれません。
完璧を追求するあまり、自分を追い詰めてしまうのは避けたい。
「言われたら直せばいい」を合言葉に、気楽に前向きに生きていきたいものです。
何度も繰り返して抜け出せない悩みに