栗林あや(いがぐりこ)です。
 
私は、子供の頃から当たり前のように
日常の全てが煩わしいと思っていた。
 
 
朝起きること、
歯を磨くこと、
学校に行くこと、
出かけて誰かに会うこと、、、
 
 
できることなら本当は、
何もせずに
誰とも会わずに
誰にも邪魔されずに
家でゴロゴロしていたかった。
 
そして、実際に
人生の中で何度か
引きこもりになって、
一日中ゴロゴロしていた時期があった。
 
 
 
社会に出てからもそうで、
 
生きていくために仕方なく
働かないといけないから
しぶしぶ働いていたし、
 
働くためには
人と会わないといけないから、
必要に迫られて
しぶしぶ最低限の身だしなみを整えて
仕方なく外出していた。
 
 
できることなら本当は、
何もせずに
誰とも会わずに
誰にも邪魔されずに
家でゴロゴロしていたかった。
 
 
恋愛でも
会いにきてくれる人がいるので
申し訳ないから
無理して起きて
支度をして会いに行っていた。
 
 
できることなら本当は
何もせずに
誰とも会わずに
誰にも邪魔されずに
家でゴロゴロしていたかった。
 
 
 
日常の全ての支度が
わたしにとっては
重たい荷物を背負って
よっこいしょ、と立ち上がるような感じで、
 
自分を奮い立たせて勢いをつけないと
立ち上がることができない。
 
 
自堕落といえばそうだし
実際確かに
だらしないのかもしれないけれど、
 
それを責められても
どうしようもできないし
 
それ以上に
すべての支度が
重く私にのしかかる感じがして、
誰かと会うのも億劫になってしまう。
 
 
そんなこんなで、若い頃は
会うのが重くて
めんどくさくなって
自然消滅させた恋愛がいくつかあった。
 
 
相手のことが嫌いなわけではない。
 
重くのしかかる支度とその感じが
すごくしんどくなって
つい連絡が遠のいてしまう。
 
それを責められたり指摘されると
ますます面倒くさくなっていた。
 
 
 
そして、わたしは、
みんな普通に
そういうものだと思っていた。
 
 
世の中のみんなが、
日常の全ての支度を
重たい荷物だと感じていると思っていたし、
 
世の中のみんなが、
できることなら何もせずに
誰とも会わずに
誰にも邪魔されずに
家でゴロゴロしていたいと
思っているものだと思い込んでいた。
 
 
世の中のみんなが、
恋愛なんて
自分を奮い立たせて勢いをつけて
よっこいしょ、と
しているものだと思っていたし、
 
できることなら本当は
何もせずに
誰とも会わずに
誰にも邪魔されずに
家でゴロゴロしていたいと
思っているものだと思い込んでいた。
 
 
 
 
子供が生まれて私は
 
「みんながみんな、日常の全てが煩わしい、
と思っているわけではないんだ!」
 
ということにうすうす気づいて
たいそう驚いた。
 
「というより、むしろ、みんなめちゃ前向きに生きている!?」
 
すごく衝撃だった。
 
 
みんな日常の全てが煩わしいだなんて
思っていなくて
 
むしろ、
 
日々の生活や
季節のイベントや
結婚式とかの人生のイベントを
「楽しい」と思って前向きにやる人がいるんだ!
と衝撃だった。
 
 
事さらに
子供のイベントごととなると、
みんな張り切って
前向きにやっているらしいことに衝撃だった。
 
 
子供のお食い初め、
誕生会、
七五三、
入学式に卒業式、
運動会、
学芸会、
成人式・・・・
 
 
わたしは
「親としての責任感を果たさねば」と
必要に迫られた思いと、
 
「他人(義実家)の手前、ちゃんとやらなければ」という
しぶしぶマインドで
それらの行事を仕方なくこなしてきたから。
 
それらを楽しめる人がいて、
実はそういう行事を楽しめる人が
大人の大多数を占めている?ことが
信じられなかった。
 
 
 
わたしは今だに
日常のほとんどが
「煩わしいのが当たり前」
の前提で生きているので、
 
子育てでも
できることなら、
 
参観会などの行事も、
地域のお祭りも、
季節のイベントごとも
本当なら関わりたくない。
 
平穏にフツーの毎日をやり過ごしたい。
 
 
それはけして
子供に愛情がないわけではなく、
 
自分が子供の頃から
そういう前提で生きてきて、
 
みんなそうだと思っていたから
それが普通だと思っていたし、
 
みんながそれを望んでいるのが
当たり前だと思っていた。
 
 
 
 
先日、
次女と三女が通う小学校で
参観会と懇談会があった。
 
次女は6年生なので
もうすぐ卒業式。
 
三女は4年生なので
「二分の一成人式」という催し物があって
 
次女も三女も参観会では、
保護者への歌などの発表会があった。
 
 
参観会終了後、
前向きな「子育て意識高い系?」のお母さんが
 
発表会の様子を
わざわざ動画に撮って
保護者グループLINEで送ってくれた。
 
 
・・・すごいなぁ・・・滝汗
 
しかも、子供たち、
全員ちゃんと写ってるや。
 
 
わたしも、我が子をスマホで動画に撮ったけど
(これも親の勤めとして撮った感じ)、
よそんちの子供なんて正直どうでもいいから、
一切撮ってなかった。
 
 
そもそも誰が誰なのか
名前もわからないし、
どこの子かもわからないし、
興味もないし、
めんどくさい。
 
ましてや、
それをグループLINEで
他の保護者に送ってあげようだなんて
そんな気配り、
思いつきもしなかったよ・・・。
 
 
そして、その後
グループLINEでは
他のお母さん方が、
 
「ありがとう!」
「うれしいです!」
「ありがとうございます!」
「感謝です!」
 
・・・・て、お礼のスタンプ合戦が始まった。
 
ピロリン♪
ピロリン♪
ピロリン♪
ピロリン♪
 
・・・通知がきて鬱陶しい・・・ガーン
 
お母さんの善意に対して
「鬱陶しい」と思ってしまう自分も
実にひねくれていて、めんどくさい。
 
 
 
もうすぐ次女の卒業式。

役員さんがいろいろ
支度をしてくれてありがたい。


ありがたいが、
その支度に前向きで
盛大に楽しもう!としている
「子育て意識高い系」の人と、
 
正直、できる限りの手間を省いて
平穏にやり過ごしたいと思っている
「子育てだけじゃなく人生の意識も低い系」の自分と、
 
超えられない高い壁があって
異次元に迷いこんだ感覚になる。
 
 
先生に渡す花ひとつで
そんなにあれこれ
サプライズや段取りを考えられて、すごい。
 
皮肉を言っているわけではなく
自分には全く無い感覚なので
本当にすごいなぁと思うし、
 
日常の全てが煩わしい前提で生きてきた私は
つい劣等感と
もどかしさと
面倒臭さを感じてしまう。
 
 
 
 
そういえば、
私が以前、役員の時。
 
地域の祭りで披露する
子供の踊りの練習で、
 
「みんなが負担のない形で練習を進めたいと思います」と私が言って、
 
まあ、子供の踊りだから、
そこそこの完成度でも
当日を無事に迎えられたら100点だよね、
子供が踊るだけで微笑ましいよね、って思ってたら
 
子育て意識高い系?のお母さんに
子供の踊りの完成度にダメ出しされて
追加で練習の日程を組まれてしまった。。。。ガーン
 
すごいね・・・
子供の祭りの踊りに
そこまでのやる気って・・・ゲローハッ
 
こっちは予定開けなきゃらなくなるんだけど・・・って。
 
そういうの
「面倒だから振り回されたくない」
という腹立たしさもあったり。
 
 
日常の全てが煩わしい前提の人と、
子育て意識高い系?の人との間には、
大きな溝がありそうだ。
 
そして、たぶん一生わたしは
そっち側にはいけないような気がする。
 
とにかく平穏に何事もなく過ごしたい。
 
そんな気持ちがある。
 
 
 

何度も繰り返して抜け出せない悩みに

 
 
 

 

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