いがぐりこです。

 

 

あの人のことが

 

ものすごく大切だから、

 

 

「こうした方がいいよな。」とか

 

「これはしない方がいいよな。」とか

 

「ここまではOKだけど、これはダメよね。」とか

 

 

勝手に遠慮して、

 

自分でも気づかないうちに

 

自分の行動を制限してしまうことがある。

 

 

 

 

これって、けっこう厄介。

 

 

 

 

自分が知らないうちに

 

「あの人のため」だと思って

 

行動を制限しているから、

 

自分でも気づかないうちに

 

あの人のために「がまん」をしている。

 

 

 

んで、たいてい、

 

そういうときって

 

自分が「がまん」していることにさえ気づいていないから、

 

(それが愛とか優しさだと思っているから)

 

 

愛情をどんどんかけて、

 

知らないうちにストレスをどんどん溜めてる。

 

 

 

自分にとってそれは「愛」だから

 

良かれとおもって、

 

その自分への制限を、どんどん増やす。

 

 

 

 

当然ながら、

 

何も知らない「あの人」は

 

そんなわたしの気持ちはつゆ知らず。

 

 

 

でも、ある時、

 

わたしがあの人のために

 

遠慮して我慢しているはずのことを

 

 

あの人は、平気でやったり

 

そこまで重要視していない様子をみたりすると、

 

 

まるで、

 

「がまん」や「遠慮」をしている私のことを

 

ないがしろにされているような気持ちになって、

 

 

ものすごく大切だと思っている

 

私からの愛を

 

無下に扱われた「ように」感じて

 

ショックを受けちゃう。

 

 

ぽっかり、心に穴が開く。

 

 

 

・・・・・

 

 

こういうことって、あるよね。

 

わたしは、今でも、ある。かなあ。

 

 

 

 

・・・・まあ、

 

あの人からしてみりゃ

 

めっちゃ、余計なお世話よね・・笑

 

 

 

 

大切にしているつもりでも、

 

「大切」のしかたがトンチンカン。

 

愛、のつもりで始まっているんだろうけど

 

すこしずつ、歯車が狂い出す。

 

 

 

 

そういうのに気づいたら、

 

ちょっとずつ

 

勝手に遠慮して、

 

制限をかけていた自分の行動を

 

ゆるめていくのがいいんだろうねえ。

 

 

 

ちょっとずつ

 

「大切」のしかたを

 

お互いに擦り合わせて行くのがいいんだろうねえ。

 

 

 

 

あの人にも、自由でいてもらうために。

 

そして、わたしも、自由でいるために。

 

 

 

自由って、最大の愛だと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家で一人暮らしの母(←高次脳機能障害がある)に

 

「火を使わずに楽に食べられるものを」と思って、

 

本当は直接行ってやるのがいいんだろうけど

 

今は無理だから、

 

ネットで、総菜屋さんの

 

温めるだけで食べられるレトルトパックみたいのを注文してみた。

 

 

 

そしたら、

 

まあ、みんな考えること同じよね(笑)

 

 

 

コロナで買い物に行けない年寄りに

 

レトルト惣菜を贈る需要が増えて、

 

配送が遅れているそうだ。

 

 

なかなか届かない・・・・残念・・・・。

 

 

 

なんとなく、最近、

 

わたしも、母に遠慮して

 

幸せになるのをがまんしてきたし、

 

 

そして母も、

 

その母(私の祖母。すでに他界)に遠慮して

 

幸せになるのを

 

知らず識らずのうちに「がまん」して

 

今まで人生を過ごして来たんだろうなぁって。

 

 

そんなふうに思う出来事があった。

 

 

そろそろ、自由になっていいのかもなぁ。

 

それが、相手の自由を認めることでもあるよねえと

 

そう思えるようになった。