国際親善文化交流協会(IFCA) 現地リポート

IFCAから派遣されている日本語教師ボランティアスタッフは、世界中に散らばっています!

ここでは、日々、奮闘する彼らからの現地リポートを中心に、IFCAからの新着情報をお届けします。

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中国で楽しい教師生活「郷に入りては郷に従え」(金山正さん)

記の文章は2004年11月から、中国の北京吉利大学陳琳外国語学院で、

日本語を教えている金山正先生から送られてきたものです。


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「郷に入りては郷に従え」


私が授業の準備に追われている時に限って「街に飲みに行かないか」と電話で誘って来る同僚 

の日本語教師がいます。

こちらも嫌いではないので、ついはしたなくも喜んで出かけてしまうのです。



その教師の友人との話も盛り上がります。飲み終えて帰る時、同僚の日本語教師に「先生はほ 

んとうに悪い友達だ」といつも言って笑ってしまいます。


また、土日の休日には毎週フランス人教師や学生と郊外の田園を3~4時間かけて散歩に行き汗

を流します。


この様な具合で、楽しく、孤独にならずに教師生活をしています。

"郷に入ったら郷に従え" "ローマに行ったらローマ人のするようにしろ"。

よく的をえた言葉が洋の東西にあるものだと感心します。これからも日中間に大きな軋轢が生じよ  

うとも、この様な友人がいる限り、私の学院生活は続くでしょう。(2005/7/28)



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中国で楽しい教師生活「学内でただ一人の日本人」(金山正さん)

下記の文章は2004年11月から、中国の北京吉利大学陳琳外国語学院で、

日本語を教えている金山正先生から送られてきたものです。


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「学内でただ一人の日本人」


2005年4月に起こった日本大使館投石事件の頃のこと。

私は、学内でただ1人の日本人ということで「いつ鉾先が回って来るか」、「また帰国ということにな

りはしないか」と心配しました。


しかし、学校当局もだいぶ私の身を心配して、「これは政府間のこと、我々には関係ないことだ」と

言い、何かあったら直ちに知らせてほしいと気を使っていただきました。さらに、学校側でも対策の

為の会議を持っていただき、おかげさまで学内では平穏に過ごせました。




しかし、いつ同じ様な事が起こっても不思議でない社会環境、ボランティアの限界を痛感していま

す。


外国語を学ぶ学生は、誰でも自分の学ぶ言葉の先にある"その国の文化"に憧れます。

日本語専攻の学生の中には、テレビ・漫画・インターネット等で日本の古い時代、朝廷の階級で

ある太政大臣、大納言、左大臣等の言葉を知っており(源氏物語から知ったようだ)、その上下関

係を確認されたのにはとまどってしまうほどでした。

また竹取物語、万葉集等にも興味を持っている生徒もいて、戦国大名の持っている茶釜の名前ま

で持ち出し、誰の所有か聞かれた時は大変びっくりしてしまっいました。


幸い私は、歴史に興味があったのでなんとか分かったものの、普通は知らないのが当たり前だと

思います。


方なく勉強しているように見える学生も多い。

これに対し、第2外国語のクラスは自分から学んでいる学生で、とても真面目で意欲的です。

初めは珍しさもあって150人ぐらい出席し、教室に入れない学生もいたそうです。

(なにしろ標準語を話すネイティブの日本語教師というふれ込みなので。)




さすがこうなると一方的に話すことが多く、学生との対話はできませんでした。今は少なくなり20

名程度。ひとりひとりの名前もしっかり覚えており、息つく暇も与えず次々と指し、しゃべらせるの

で安心しておれません。


  自分としては少しでも多く学生が話す機会が持てるよう心がけています。

金曜日の午後など遊びに行って授業をサボる学生が多いのに、しっかり出席してきます。

こちらも負けず、下調べをして、どうしたら容易に理解してもらえるかと準備に大きな時間をとられ

ます。(2005/7/28)





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次回は、金山さんからの最終レポート「郷に入りては郷に従え」をご紹介します。




  この様に、日本に興味がある学生は進捗度が速いのですが、「何で自分がここにいるのだ」と、 

中国で楽しい教師生活「授業準備に追われる」(金山正さん)

下記の文章は2004年11月から、中国の北京吉利大学陳琳外国語学院で、

日本語を教えている金山正先生から送られてきたものです。


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「授業準備に追われる」


さて、肝心の授業についてですが、私が教えるのは2クラス。


日本語専攻クラス50名と第2外国語として自由に出席できる学生を対象とした クラス、現在は約20名です。


テキストはこれまでなじんできた『みんなの日本語』ではなく、東京外語大学が留学生用に作った本と中国テレビで使用されている本です。

14コマで1コマ50分、土日は休み、さらに火曜は授業がありません。


長期の休みとしては春節の頃と、夏休みがそれぞれ2ケ月ほど、5月と10月には中国の祝日として7日間の休みがあります。


毎日の授業は、810分から始まります。

日本語専攻のクラスは中国人教師が文法を教え、私は主に会話を受けもち、

他に日本の文化についても話をします。


2外国語クラスは文法と会話を1人で教えています。

初めの頃は中国人教師が助講として付きましたが、半月ぐらいで1人で教える様になりました。50音表を使った、平仮名、片仮名から始まりましたが、中国語が話せないので単語はFCをつくり、それを示しながら授業をし、教科書に出てくる単語を墨汁を使って書き、毎日、準備の為、部屋で習字をしていました。


新米教師なので授業準備に追われ、いかに苦しくても他に逃げる所も無いので「やるしかない」という感じで、またたくまに時間が過ぎて行きました。


今は少し慣れ、学生も日本語がわかってきているので、周りを見ることができる様になりました。(2005/7/28)




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次回は、引き続き金山さんからのレポート「学内でただ一人の日本人」をご紹介します。




中国で楽しい教師生活「勉強には絶好の環境」 (金山正さん)

下記の文章は2004年11月から、中国の北京吉利大学陳琳外国語学院で、

日本語を教えている金山正先生から送られてきたものです。


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北京吉利大学は3年制の私立大学。

創立は1999年で、まだ卒業生は3回しか送り出していない新しい学校です。


北京の中心地から北西約40km、八達嶺に行く途中にあります。

地下鉄13号線竜沢(ロンズー)駅からタクシーで30分、バスなら50分ぐらいの所にあり、交通の便はまあまあといえましょうか。

学生数28,000人、11学院 (学部) からなり、私が籍を置いているのは陳琳外国語学院といって、著名な英語翻訳家陳琳学院長の名前を冠しています。




「勉強には絶好の環境」



英語、日本語学科があり、今年あらたにフランス語学科が増える予定です。
敷地は広大で緑に囲まれた1つの町を形づくっています。

しかも、一旦外へ出るとさらなる豊かな田園が広がり、と言うより、はやい話、歓楽街が無く、勉強するには非常に良い環境です。



近くの村通りは、戦後日本の闇市の様な店が軒を連ね、路上には昔懐かしい、いかけ屋、自転車修理屋等の人々がわずかな道具と部品をひろげ、いつ来るかあてのない客を待って座り込んでいます。



また、この通りは食べ物を扱う店が多く、朝夕自宅で食事の用意をせず、店で済ませる人がたくさんいます。なにしろ大きいあん饅、肉饅が4つで13円!
物価はおしなべて日本の7分の1から10分の1ぐらいとなっています(当時レートで)。



村人や我校の学生のにぎわい、ときおり人をかきわけながら三輪自動車が練炭を満載してバタバタと大きな音をたてながら走っていく様は、まるで50年以上前の日本にタイムスリップしたようで、北京市内では決して目にすることができない光景です。



 私の宿舎は10畳のダブルベッド付寝室、同じ広さの勉強部屋、20畳ほどのダイニング、ほかに3畳ほどの台所とテラス、しめて90㎡あり、1人ではもったいないくらいの環境です。
教室のある棟には歩いて8分ほどで、全寮生の学生の棟舎も含め、すべて学校の敷地内にあり、まわりは高さ2mほどのレンガ塀でかこまれています。



給料(生活費)として月4000元(部屋代600元含む)、授業の無い夏冬休みはその半分です。中国では最高レベルにある北京の平均給与2000元と比較してみればいかに高いか、他の外国人教師は私の倍ちかくをもらっていることを考えると、日本の明治政府が外国人教師を高額で雇ったことと似ています。(2005/7/28)



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※次回は、日本語の授業風景についてレポートします。


スロバキア派遣員 阿部文子さんより

スロバキアで最も古く三百年以上の歴史をもつコメニウス大学は、首都ブラチスラバにあり、そのランゲージセンターは、中世の面影を残す旧市街の一角にビルを持ち、女性の教授をトップにして十数名の教師たちが、英語、ドイツ語を中心にスロバキア語、オランダ語、スペイン語そして日本語のコースをもっている。


コメニウス大学での授業風景

  日本人教師は私ひとりであるが、トップをはじめ親切のかたまりのような同僚たちは、生活に不便はないかと気を配ってくれる。ただ悩まされるのは鍵で、どの教師も10個以上は常に持ち歩き、ドア毎にその場を離れるのがわずか3分であろうといちいちロックし、また解除するのである。  


学生たちが常に大勢そこらにいるので、盗難のトラブ ルを避けるためという。

理解はできるが呑気な日本人としては、周囲を疑うことになかなかなじめなかった。


ところで、私の学生たちであるが、殆どが同じスラブ語圏に属するチェコ語ロシア語それに英語ドイツ語、フランス語が得意で、さらに日本語をという勤勉さには驚くばかりである。


日本語については3種類の文字とそれぞれの字体、発音どれをとってみても全くかれらの言語生活とはかけ離れたものばかりである。  

しかし上級クラスの学生たちは、その殆どが日本での留学や生活の経験を持っているということもあり、流暢に日本語を話し、私の知らない漢字を教えてくれたりもする。


ひとりに「流鏑馬」(やぶさめ)」を教わりみんなして感心してながめたものである。

社会人のクラスには、銀行マン、外務省勤務、翻訳家、音楽家などいろいろな形で日本と関わりをもつ人たちが多い。  


学生たちと接していて感じることは、日本語を学ぶ直接的な動機はそれぞれあるものの、この中欧ヨーロッパがアジアに近いためか、彼らの中に東洋的なものを求める雰囲気があるということである。


それは私がこの地に魅かれるのと似ている気がする。  年末に筆ペンで年賀状書きの時間を設けたところ、皆柔らかな筆字のとりこになり、「リラックスして優雅な気持ちになる」と、どのクラスでも筆ペンが大人気で、家でも書きたいと持ち帰る学生が何人もあった。   


私自身もこの国の言葉を勉強し始めて4か月。初めの頃はその複雑さに、外国人に分からせたくないという意図があるのではないかと疑ってみたりしたが、それは単に私の理解力不足に過ぎないという客観的判断に近頃ではたどりつき、この繊細な言語のもつ奥深さの入り口にやっと立ったところである。  


この街に来て1か月位の頃、校舎の受付のおばちゃんに、「ドブリーデン。アコサマテ!」「こんにちは。ごきげんいかが!」の挨拶を初めてした時、彼女が満面笑顔で歓声を上げ、私の両手を握りしめてくれたことを思い出す。