(ゆっくりペースでも、1分40秒程度でお読みいただけます☆)

 

昭和37年5月11日。

 

全国的に広まった「炭坑節」の本家を主張する

福岡県の2つの都市の市長がトップ会談を行いました。

 

三井田川炭鉱を擁する、福岡県田川市からは、坂田九十百(さかたつくも)市長、

同じく三井鉱山系の三井三池炭鉱を擁する、福岡県大牟田市からは、細谷治嘉(ほそやはるよし)市長が対面、お互いの主張をぶつけ合った結果、田川市が炭坑節の「産みの親」、大牟田市が炭坑節の「育ての親」であるとし、決着が付きました。

 

この模様は九州朝日放送(KBC)のテレビ番組「炭坑節~田川と大牟田の本家争い~として放送されました。

 

この映像を未だに見たことがありません。

イエローが炭坑節に携わってから、ずーーーーーーーーーっと「見たい番組№1」の映像なんですが…。うーん。アーカイブ映像に詳しい方、力を貸してくださいませぬか;

 

私が知ったのは、地元の文化連盟の記念誌にたった1行だけ「炭坑節の本家争い 対談が行われる」と書かれていたことをきっかけに、色々な人伝いにお話を聞かせて頂きましたが、そのころもう既に、この事を知る方、詳しい内容が語れる方は少なくなっていました。「田川には、炭坑節のルーツになった炭坑仕事歌が残っていたことが決め手になったんだよ。」と教えて頂いたことは大きな収穫でした。

 

あれからもう15年以上が経ちました。

当時は「物好きな若造」だった私が、もうそろそろ「物知りなおじさん」を襲名するタイミングに差し掛かってきたような気がします。

 

炭坑の文化を受け継ぐ。

あ、余談ですが、私の本名の漢字、「成」は、一般的に「成功」という意味で知られていますが、英語のSACCESSの動詞、SACCEED(さくしーど)は、「受け継ぐ・伝承する」という意味を持っています。 自分の名前に(イエロー、のほうではないけど 笑)運命を感じつつ、田川の宝、「炭坑(ヤマ)の文化」を後世に伝えていくために、あらためてこう宣言します!

 

5月11日は「炭坑節発祥の地記念日」です!

今年は発祥の地となって55周年!!

文化の継承を 更にエネルギッシュに!ゴー!!ゴー!!

 

 

 

(ついに水戸黄門の印籠が登場(笑)それでも4分40秒程でお読みいただけます♪)

2011年。私が田川ホルモン喰楽歩に身売りした年です(←コラっ!)

田川で愛Bリーガーをお迎えし、ホルモン鍋を食べてもらい、一緒にお酒を飲んでもてなした夜。確かに私は黄色いサンバイザーで参加しました。今更ですが、なぜ黄色いアイテムをつけて参加したのかは、定かではありません。

 

バーで対面に座った先輩愛Bリーガーの方に、「お前は田川のイエローだっ!」と命名されたことは、夢ではありません。懸命に手帳の裏側に書き記した「イエロー兄さん」の文字が残っています、間違いない、2011年の手帳だ。

 

最初は黄色って気楽なポジションだ、と思っていました。戦隊ヒーロー的に(笑)

リーダー(レッド)のような気負いも要らなければ、サブリーダー(ブルー)のような頭脳も知識もいらない。カレー喰ってりゃいい(笑)そもそもこのチームに加入するまでは、炭坑節の分野で事実上のレッドやブルーを長年務めており、なんとなく黄色の自由キャラに憧れていたのは間違いないと思います。

 

そんな軽い気持ちでスタートした「イエロー兄さん」ですが、地域の魅力、地域の元気やポテンシャル(未来志向的な潜在能力)を日々考えているうちに、この名前にまで意味を探るようになってしまいました、ある意味重病です(笑)

 

これまで携わってきた炭坑節系のユニット「輪月(わげつ)」。炭坑仕事唄(エピソード6で前述)に、田川(旧豊前国)古来の「盆口説(ボンクドキ)」の輪踊りスタイルを融合した芸能で、これまで10数年活動を続けてきました。この芸能名「輪月」は造語で、「輪を以て月出(い)ずるまち田川」を意味するもの。炭坑節で歌われる「月が出た出た月が出た」のロケーションは、過酷な労働の毎日ながらも、皆が共に汗をかき、暗い坑内から無事に戻ってきた安堵の象徴だと解釈し、「仕事を終えて集う踊りの輪が、広がっていくことで希望の月(活気のある未来)を田川にあげること」を目指して付けた名前です。

 

黄色で描かれる月は、希望。皆の幸せ、にぎわう街の象徴。

 

月に照らしだされるその町の中心には、二本の大煙突がそびえ立っており、炭坑節でも「さぞやお月さん煙たかろう」と、人間が作り出した人工建造物が絶対的な自然のモニュメント、月に迫る勢いで人の営みの計り知れない力を示している。

 

田川市に今も、まちのシンボルとして残る45メートルの2本の大煙突。毎日夜になるとライトアップが施され、夜の闇にロマンティックなシルエットが浮かび上がります。明治生まれで、100年を超えてもなおこの街を見下ろすこの大煙突に使用されたレンガの枚数は、ドイツから輸入されたものが181,000枚、国内製のレンガが32,000枚―合わせて213,000枚。

2、1、3…ニ イ サン。

 

レンガを積み上げ続けること=この街に住む誰かがこのまちの未来に手を伸ばし続けていくこと。ひとりで1日1枚のレンガを積めば600年近くかかるこの作業を、「協働」の仲間で積み上げていけば、もっと早く希望に手を届かせることができるかもしれない。

 

大煙突=213,000=皆で力を合わせることの象徴、そして希望の月に一番近くまで手を伸ばす最も有効な方法。ひとりでは絶対にできない、このまちの未来づくり。今こそ皆で手を携えたまちづくりを実現したい。

 

イエロー(ierou・黄)は月。

兄さん(213,000)は煙突。  煙突と月…エントツトツキ。

 

皆で少しずつ力を合わせて、ふるさと田川にデッカい希望の月を出すぞ!の合言葉。

スカブラ隊長として、メンバーのみんなに伝えたい、最強の合言葉。

「イエロー兄さん」の名前は、もう、運命だったとしか言いません(笑)

 

ビッグジャンプは狙っていませんが、コツコツと積み重ねていく大切さ「涓滴穿岩(けんてきいわをうがつ)」の精神で最後は笑って月を掴みたい!!

あ、月=ツキ(幸運)とも、取れますよね!ツキが出た出た ツキが出た!

「開運のまち・田川へようこそ!!」今年はツイてる兄さんとしても突っ走りたいな!

(ついに核心に迫る内容!それでも5分50秒程でお読みいただけます♪)

広報部長兼「スカブラ隊長」。

聞きなれない名称ですが、これが田川ホルモン喰楽歩での私の肩書きです。

「広報部長」は呼んで字のごとく、活動を広くPRすることが使命、ですが続く「スカブラ」とは、どんな使命を指す言葉なのでしょうか?

 

そもそも石炭の採掘は、江戸時代にも盛んに行われていました。我々が住む地域では、遠賀川沿いで採掘された石炭は、若松の庄屋を通じて、主に瀬戸内地方の製塩業用に使用されていたようです。海水を蒸して塩を作る際に燃料として石炭が使われていたんですね。

 

ところが明治以降、国策として石炭の採掘が急激に活発化されました。「鉄の時代」が到来、日本では、船舶などをはじめとする「大型の構造物」を作る為に鉄鋼の技術が急発展しました。鉄鉱石を高温で溶かして鉄鋼材をつくる為、国内で手に入る燃料として、石炭はうってつけのものだったからです。

田川をはじめとする私たちの地元は、特に良質の石炭が豊富に採れる地域として、地元のプロパー炭坑経営者のみならず、「石炭のゴールドラッシュ」を夢見て中央資本の三井・三菱・住友・古川などの企業がこぞって進出、たくさんの炭鉱が乱立する巨大な産炭地「筑豊炭田」となっていきました。

 

そんな炭鉱(ここでは「炭坑」の表記が妥当かな…)では、たくさんの炭坑労働者が働いていました。切羽(きりは)と呼ばれる最前線で、炭壁をツルハシで掘る「先山(サキヤマ)」、先山が掘り崩した炭の塊をせっせとトロッコに積み込むアシスタントの「後山(アトヤマ)」、

さらにぽっかりと空いた坑道の安全補強を担う「仕繰(シクリ)」、岩の壁にぶち当たった時に、ダイナマイト発破を行う「マイト方」、地上から坑内へ物資等を上げ下げする「南蛮(ナンバ)方」、地上に上がった炭の塊がベルトコンベアから流れてくると、これを燃える「石炭」と、ゴミや泥、石などの「ボタ」とに選別する「撰炭(センタン)」など、各セクションで仕事が分かれ、分担した作業を行っていたんです。(ここでは便宜上、古い時代の呼び名やその後の組織的に分業された呼び名を時系列の別なく一緒に羅列していますので悪しからず。)

 

うちの父ちゃんは棹取りさん、惚れたあの方はマイト方さん…色々な場面で登場する職業名がありましたが、ひとつだけその中に紛れた特別な呼び名がありました。

 

「スカブラ」。炭鉱マンとしてのルポルタージュ活動を牽引した上野英信氏の著「地の底の笑い話(岩波書店)」にも登場する「スカブラ」。上野氏の著書では、「スカッとした性格の持ち主で、なおかつブラブラしている(仕事に精を出さない)人」と定義していた…ように思います(読んだのがずいぶん昔なのでゴメンナサイ)。私は、もっと一般的に言われている、「仕事が好かんで、ブラブラしちょう人(仕事をするのが嫌いで、怠けてばかりいる人)」を自分の解釈として採用しています。

 

この人「スカブラ」、これだけ聞くと悪い人のように思えますが、炭坑の坑内では、実はとても重要な存在として皆に認められていました。彼の活躍の舞台は、みんなが汗をかき、必死に石炭を掘る作業の合い間、休憩時間に比重がかかっていたのです。

 

休憩時間に皆が集まってくると、汚れた格好にもならずどこからともなく現れ、そして面白おかしい話、時には猥談も織り交ぜて皆を楽しませ、そして作業が始まる頃になるとまたスーっと姿をくらます。

実はきちんと見たことがあまりないので、例えが違うと申し訳ないのですが、「釣りバカ日誌」で西田敏行さん演じる「ハマちゃん」って、職場の中ではこういう存在じゃないですかね?

 

彼の存在意義は、「生産力を持った労働者」ではなく、「過酷な現場でのひと時の安らぎを提供した結果、現場の集中力が高まり、全体の生産効率を上げるためのムードメイカー」だということが出来ます。みんなが汗にまみれ、一所懸命に働いている中で仕事をサボっていたとしても、現場の誰からも愛され、認められていた存在、スカブラ。生産性を上げるために会社からクビにされかけた時に、坑内の労働者が揃って嘆願書を出した、それでもクビを強行した結果、生産効率は逆に下がってしまった、とのエピソードもある程です。

 

「しかしもとより、この地獄の釜の底に寝ころんで、公然とサボタ-ジュを楽しむためには、襲いかかってくる大鬼小鬼の鼻の頭や臍のあたりを撫でてくすぐる狡知が必要とされる。 蛮勇だけでは駄目だ。相手の怒りを笑いに転じてしまう能力が要求される。それができてはじめて、彼は悠然と寝ころぶ自由を獲得する。黒い顔の寝太郎がそのひまのない者たちの 「あこがれの象徴」であるのも、単に寝ころんでいるという状態によってではなくて、一つにはその自由を獲得するだけの頓知や滑稽な努力によってであるといわなければなるまい。そしてまた、彼が「スカちゃん」として仲間たちから愛されるのも、その道化じみた抵抗の巻きおこす笑いが、息のつまるそうな暗黒の世界に、たえず新鮮な風と光を吹きこむからである。 このことは黒い寝太郎自身が誰よりもよく心得ており、少しでも仲間たちの腹の皮をよじらせてやろうとして、わざと道化役者としてどたばた喜劇を演じたりなどする。」―上野英信著「地の底の笑い話(岩波書店)」より引用

 

炭坑労働においては、会社の管理職「お役人」が、常に坑内の現場を見張っていました。簡単にサボる状況ではなかったはずです。引用文に示すようにスカブラには、どんな人間をも凌ぐだけの能力を密かに携えていた人だったから、スカブラを演じることができたのでした。「能ある鷹は…」的な才能、「賢いがゆえに、いとも簡単にみんなの笑いの中心人物を演じることが出来る」人。うーん、今風で言うと実にスマート!実にクール!(笑)

単なるアホ(…あ、言ってしまった…)でないことの証言が「坑内で起こった事故の際には、見たことがないくらい一心不乱に救助に当たった。役人でもだれでも、駆け付けた人には常に激を飛ばし、指示を出して救助に当たり、助け出した人にはバカタレと本気で怒鳴って心配した」というもの(これも詳しく知りたい方は上野氏の著書を購入して呼んでね♪)。

 

皆のヒーロー!もう、仕事をサボってばかりいる人なんて表現は全くどうでもいいような、皆の憧れたる炭坑マン!!

 

そんな「スカブラ」を使命として持つメンバーこそが、我々「田川ホルモン喰楽歩スカブラ隊」なのです。

 

どんなイベント会場でも、ホルモン鍋は作らず、並んでいただいたお客様に地域の魅力を発信するためにおしゃべり(←ここは広報部長)、並んでいただいたお客様が、長い待ち時間に退屈している、ちょっと面倒臭そうな表情が出始めた時にやる、小まめなお声掛け(←ここは強いて言うとおもてなし係の側面)、そして長蛇の列ができ、テント内で鍋を作り続けているメンバーがグッタリしかけた時には、テントに戻ってジョーク交じりのエールを飛ばし、笑顔と元気を取り戻す(←こここそがスカブラ隊長)!

 

炭坑の中で使われた職名を活かしたポジションネームを付けている我々のチームで「チームの団結力を高め、結果としての生産効率を上げる」為のお仕事を任されているのが、私の「スカブラ」としての役目。炭鉱という過酷な世界に実在した、時に安らぎと和睦・団結の象徴、そしてある時には英雄的な存在。HotかつCool!!

 

炭鉱が閉山し、今や「伝説的な存在」となったスカブラだからこそ、この名前に込められた大切な意味合いを噛みしめながら、明日からもまた現場に立ちたいと思います。

…こうやって活字にしていくと、自分の事をヒーローだと言っているようでハズカシイです…「炭坑のスカブラ」は、ヒーローです(笑)