本当の日本人の姿 | 席亭こう生の落語的な日々

席亭こう生の落語的な日々

子供の頃からの落語好きが高じて、

いつの間にか落語会を主催する事に.....

全くの素人だった私がいかにいして

落語会を企画、運営しているのか

席亭こう生の落語的な日々...

別のブログで評判をいただいた記事でしたので
ブログの趣旨が違うとは思いましたが、こちらにも書かせていただきます



「本当の日本人の姿」



大地震から一週間が経とうとしてます

震災で被害に遭われた方には、かける言葉が見つからないほどの
悲惨な状況に置かれていらっしゃいます

心からお悔やみと、お見舞申し上げます。

こんな酷い状況にも関わらず、被災された皆さんは、
世界中が驚異に感じる程
秩序正しく生活されていらっしゃいます。


被災地から離れた関東地方に住む我々は、
食料品や、非常用の物資、ガソリンなどの買い占めなど
我欲に走った行動をする人もいますが、
大規模な停電が起こらないように自ら節電をしたり、
交通機関の大幅な本数削減や様々なサービスの提供不足など
生活に不便を感じながらも、大きな不満を漏らすことなく
今の状況を受け入れ生活をしています。

世界中が驚くほどの落ち着いた態度を取れる
この国の国民性は、一体どこからきているのでしょか



フロリダにハリケーン、カトリーナが上陸したとき
1ドルだったミネラルウォーターが10ドルで売られたといいます
それを、イギリスの経済学者は「それが正しい市場原理」と
解説したといいます。


日本では、サントリーやコカコーラなどの清涼飲料メーカーが
自動販売機の飲み物を無料で提供しました


この考え方の違いはどこにあるのでしょうか?



幕末の頃、日本を訪れた西洋人は
日本人の文化水準や道徳心の高さに驚いたそうです


あるロシアジン宣教師は

「上は武人から下は町人に至るまで礼儀正しく、弱いものを助ける美しい心をもっている。忠義と孝行が尊ばれ、これほど精神の美しさをもつ民族は見たことがない」と絶賛したといいます。


日本人は、キリスト教のような共通の宗教がないのに
全ての階級の人々が高い道徳観を何故もてたのでしょうか?



「悪い事してごまかそうとしても、ちゃんとお天道様がみてるぞ」

「そんな事すると罰があたるぞ」

日本人は、子供の頃から自分の行動を客観視出来るよう、
両親や学校などから教育されていたからではないでしょうか?

常に何かに見られているとではないかと思う気持ちが
これをしても大丈夫だろうか?こんな事してもいいのだろうか?と、
自分の行動を客観的に視られるように育ったのではないでしょうか


自分勝手な行動をする人や、他人の迷惑を顧みない人
公共の場での身勝手な行為など、自分だけよければそれでよいと
思う人を数多くみかけるようになり「日本も、もうだめだな」などと
いう声を其処此処から聞こえていましたが、今回の行動はどうでしょう。



暴動や略奪、混乱もなく、他人の不幸を自分の事のように思いやり、
みんなのために我慢し、黙って不便を受け入れる....


明治天皇の御歌です

「敷島の 大和心のををしさは 事あるごとにあらはれにける」


日本人の雄々しい大和魂は、事があれば現れるのです。


この土壇場になって、私たちが本来もっていた
日本人が他人を思いやるDNAが目覚めたのかもしれません




幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の日本の感想を記してみました


そこには、私たちが会った事にない日本人の姿が描写されています



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英国の詩人エドウィン・アーノルド(1822~1904)が1899年(明治22年)に来日したとき、歓迎晩餐会でスピーチを行なった。アーノルドは日本を



「地上で天国paradiseあるいは極楽lotuslandにもっとも近づいている国だ」と
賞讃し、「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
 と述べた。1876年(明治9年)来日し、工部大学校の教師をつとめた
英国人ディクソン(1854~1928)は、東京の街頭風景を描写した
あとで次のように述べる。
 
「「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活のきびしい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきやっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる」

むろん日本人の生活に悲しみや惨めさが存在しないはずはない。

「「それでも、人びとの愛想のいい物腰ほど、外国人の心を打ち魅了するものはないという事実は残るのである」
 

ボーヴォワルは日本を訪れる前に、オーストラリア、ジャワ、シャム、中国と歴訪していたのだが、
「「日本はこの旅行全体を通じ、歩き回った国の中で一番素晴らしい」
と感じた。
その素晴らしい日本の中でも、「本当の見物」は美術でも演劇でも自然でもなく、

「時々刻々の光景、驚くべき奇妙な風習をもつ一民族と接触することとなった最初の数日間の、街や田園の光景」
だと彼は思った。「この鳥籠の町のさえずりの中でふざけている道化者の民衆の調子のよさ、活気、軽妙さ、これは一体何であろう」
と、彼は嘆声をあげている。彼にとって真の見物は、この調子のいい民衆だったのである。
 

水田の中で魚を追っている村の小娘たちは、自分と背丈とあまり変わらぬ弟を背負って、異国人に「「「オハイオ」
と陽気に声をかけてくる。彼を感動させたのは、
「「例のオハイオやほほえみ」「家族とお茶を飲むように戸口ごとに引きとめる招待や花の贈り物」
だった。
「住民すべての丁重さと愛想のよさ」
は筆舌に尽くしがたく、たしかに日本人は
「地球上最も礼儀正しい民族」
だと思わないわけにはいかない。
日本人は「いささか子どもっぽいかも知れないが、親切と純朴、信頼にみちた民族」
なのだ。



リンダウも長崎近郊の農村での経験をこう述べている。

「私はいつも農夫たちの素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、
母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
‥‥もっとも大胆な者は私の服の生地を手で触り、
ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、
笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出していくこともあった。
いくつかの金属製のボタンを与えると、『大変ありがとう』と、
皆揃って何度も繰り返しお礼を言う。そしてひざまずいて、
可愛い頭を下げて優しく頬笑むのであったが、
社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、
全く驚いた次第である。私が遠ざかって行くと、
道のはずれまで見送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ、
『さよなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、
あの友情の籠もった声が聞こえるのであった」





皆さんも気付いて下さい


日本人とはこんなに素晴らしい民族だったという事を


そして、世界中から羨ましがられる日本を作り

世界中から尊敬される日本人になりましょう






※ 参照 渡辺京ニ著 「逝きし世の面影」 平凡社ライブラリー