こんばんは!
・・・前回あんまりな切り方をしてしまったので、東慶寺後編のレポ参りたいと思います←
管理人がお墓詣りしたくて堪らなかった東慶寺所縁の人物、それは
天秀尼さま!!
秀頼さまの実の娘にして千姫さまの養女になります!
個人的に目元特に秀頼さま肖像画にそっくりと思っております←(何)
天秀尼の母親は定かではないのですが、一般に成田氏の誰かと伝わっております。
兄にあたる国松丸とは、異母兄妹になるそうです。
また俗名も分かっておらず、諸説あります。
(ですが「奈阿姫」「結姫」と書かれた文献をよく見かけますね!そして管理人の中では「結姫」が浸透。以下、この名前でいきます←)
豊臣家の姫として大事に育てられた結姫ですが、彼女が7歳の時、大坂夏の陣が勃発します。
祖母の淀殿、父の秀頼は共に自害。
程なくして落ち延びた兄・国松丸(8歳)は捕えられ、結姫も発見されてしまいます。
国松丸は男児ということで、武家の習いにより、8歳にして斬首刑に処されてしまいました(ノ_・。)
これに心を痛め、せめて女児の命だけは救いたいと奔走したのが、千姫です。
「この子には何の罪もない。どうか命を助けてほしい」
そう祖父(家康)、父(秀忠)に懇願した千姫さま。
願い通じて、結姫は極刑を免れます。
しかしこの姫がゆくゆくは嫁ぎ、産まれた子が男児ならまた戦いの火種となりかねないと危惧した家康は、条件として結姫を出家させ、東慶寺に入寺させることを命じます。
結姫は幼くして出家し、「天秀尼」と号します。
東慶寺の縁切寺法自体は古くから伝わっていたものの、これを再興したのが天秀尼と言われ、彼女は千姫の養女となっていたこともあり、幕府の公認を得て女性救済を行っております。
有名な話に、会津藩主加藤明成(かとうあきなり)に反逆した家老堀主水(ほりもんど)の妻子を匿った話があります。
追手が堀の妻子を渡せと天秀尼に迫った際、
「罪人と言えど寺に匿ったものを渡さないのは寺法の例である(東慶寺には開山以来罪人免訴もあった)。」
と言い、養母千姫を通じて幕府に訴え、妻子の助命を実現したと言います!
運命に身を任せた天秀尼ですが、強さと優しさを兼ね備えた人柄をよく伝えるエピソードですね!
・・・あるいは匿った妻子が、幼き頃の自分と重なったりしたのかな・・・と思ったりもしました(´ω`)
女性救済に勤しむ一方で、亡き父秀頼の菩提ももちろん弔っていたといい、「寛永十九(1642)年」銘の銅製雲版が残っておりますね!
そんな天秀尼も37歳と若くして世を去っております(TωT)
東慶寺20世として、また豊臣家最後の姫として、誰を恨むことも無くまっすぐに人生を全うした天秀尼さま。
この方も本当に尊敬する人物ですね!
お墓もひときわ大きな無縫塔でした。
お会いできて嬉しかったです。゚(T^T)゚。
ちなみに
東慶寺のお土産屋さんに、天秀尼の俗名「結姫」にちなんで「ゆい姫」といったお守りがありました!!
香り付きでして、お姫様の形をしております♪
私も天秀尼さまにあやかって、強くまっすぐに歩んで参りたいですね!!