曳家が見た東日本大震災からの6年 | 曳家岡本のブログ

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東日本大地震以降、ご招聘いただきましたら全国で曳家・家の傾き(沈下修正工事)、家起こしなどをさせていただいている曳家職人・岡本直也の現場と時々(笑)子どもの悩みを書いているブログです。

きっと今日は色々な方がそれぞれの立場で「東日本大震災」について語られていると思います。

自分は曳家職人として、語らせていただきます。

 

今、住宅に携わる者の多くは、「次の震災では少しでも住宅倒壊を少なくしたい」と思われているかと思います。

 

自分も、小学生なみの基礎レベルではありますが、

 

〇2階が載る1階の方が柱が少ないのはおかしい。

 

○リビングを拡くするために、本来、通し柱があるべきところを抜くのは止めよう。

 

○偏った増築や、太陽光パネルの設置で家の重心がずれてしまうと「揺れ」に弱くなる。

 

などを話したりするようなりました。

 

曳家として、強い家を造ってもらっていると直しやすいですから(笑)

 

 

ところで・・東日本大震災の功罪の一つには「沈下修正」技術が多くの実証データから進化したことが揚げられます。

 

実際、2011年9月頃には浦安市の液状化で沈下したお家には「新技術」を謳った、ちらしが毎日20枚以上、ポストに入れられていました。

今思うと、あれはあれで、貴重な資料だったなと思いますが・・そのほとんどが現在は消滅してしまいました。

 

建築技術を医療技術に置き換えて考えていただくと判り易いと思います。

どんな「理論的」には素晴らしいと思える技術でも何年か後に瑕疵が発見されたり、とんでもない間違いだったことが判明したりもします。

東日本大震災直後の沈下修正技術の場合は、誰もが「研究家」になって数多くの不確かな認識による解説ページが乱立しました。

 

自分も「もう既に自分の技術などは古い時代のものなのかな?」などと素直に思ったりもしたんですが・・2012年春には、どんな時もオーソドックスが一番強いんだ。と思うようなりました。

 

にわか業者と、そして職人不足から引退していた老齢の職人さんたちを引っ張り出してきた現場は汚いものでした。

地震を真摯に捉えていないバブル期の「やっつけ」仕事が身に染みついている多能工と一緒にされるのは、ごめんだ。と思うこともありました。

 

東北に出向いた時のことですが、地元の同年代の大工さんが「よそ者」が入り込むことを極端に嫌って、お施主さんの前で、こちらが大人しくしていると、水切りにレーザーポインターを当てて「問題ないだろが!」と怒鳴ります。板金屋さんを貶めるわけではありませんが、水切りでレベルを見るなんて乱暴なことを私どもはしませんが、その大工さんの手前、その場は黙りました。

※黙って自分の計測方法で正確な工事をしました。

 

自分は凄い職人ではありませんが、

少しづつ、東日本大震災の後の時間を歩いています。

基礎の増し打ちには少しだけ発砲するコンクリート接着剤を使うことで、ブリージングが起らないようにして、

アンカーボルトも溶接だけでなく可能な場合は長ナットで接続することで「せん断力」がより増せるように苦心しています。

 

浦安では日曜日も仕事していてお休みになられていた方からも怒鳴られたり、

各地を渡り歩いているだろう作業員がフロントデスクを蹴って怒鳴りちらしているのも見ました。

実際、ホテル側も、いくらでも宿泊客は来るのだから!という態度も見ました。

 

被災された方が、「家が直って良かった」と喜んでくだあるお顔を拝見して、仕事が無くて廃業しようと思っていたこともあったので、どんなにありがたかったことか。

南海トラフ大地震の発生は2030年代という発表もありましたが

次の世代に自分の技術や体験を伝えたく思います。

 

犠牲になられた方とそのご家族の方々のために小さく祈ります。