据え付けも終わって、曳家するために組んでいたH網や飯田くんが苦労して加工して取り付けていた「添え柱」も取り外しました。
すっきりですが・・さびしい気持ちになります(笑)。
元の建っていた場所です。
弊社の持ち込んだ資材だけでも約30トン、8トンユニックで4回往復しました。
久しぶりのJVでしたが。
楽しくもあり、自分の仕事の方向性を見つめ直す良い機会になりました。
どんな業者さんでも、市場に恵まれて初めて成立します。
自分の場合はかつて「台風銀座」と呼ばれた高知県で、水害や昭和南海大地震からの復興のために磨かれた「土佐派の曳家」技術が継承されています。
「曳家岡本」だけがやっている手間。
「曳家岡本」だけが利益を薄くしてでもこだわりたい部分の追求をしていかないといけない。
と・・考える曳家岡本56歳でした(笑)