ここ最近
手放す"人"と題して
思ったコト 気づいたコト が
あったんだよね。
いっぱい出てきたな~
って。
そして
いいのか悪いのか
こんなにモヤッっとする人がいるのか?ワタシ...
って思ってしまった
こんなにいっぱい出てきたってことは
ワタシのコロの中に
~しなければならない。
~すべき。
がいっぱいあるんだろうな~
とも思ったんだよね。
だから
ワタシの中の
「ねばならない」「べき」のラインを
越えてくる人が現れて
その人が
ワタシにとってはモヤッっと感じる人で
ワタシが自分で許容範囲を狭めているがゆえに
モヤっと感じる人が多いんだろううな~
って思ったんよね。
去年
そういう人と関わる機会をいただいて
気づいたことがあったんです。
そういえば・・・
ここ何十年の間に
合わないな~
イヤだな~
苦手だな~
と思う人
いわゆる
"嫌いな人"
が近くにいなかったな~
って
ふと、思ったんだよね
イイ人に恵まれていたというコトもあるかもしれないけど
無意識に
人を見極めて選んで
距離を置いていたのかもしれないけど
いつのころからか
"嫌いな人"という存在
概念、そのものをないモノとして
人に対して"嫌い"な感情をなくして
フタをして、封じ込めて
ある意味 無 で
生きて過ごしてきた?...のか...な。
だからか
潰れるくらいイヤなコトがあったとき
自分の気持ちはどん底まで落ちてるけど
人に対しての"嫌い"感情は
なかった。
それが去年
ふとしたきっかけから
ココロの中の固く閉じた扉の鍵が開いたーーー!!!
そんな感じがあったんだよね。
人を
キライだな~ って
思ってもいいんだ~
"嫌いな人"って
いてもいいんだ~
って。
ふと思えたコトがあったんだよね。
そのきっかけになったのは
去年、数か月の間に
本や動画で
何度も出合った言葉があるんだけど
人が10人いたら・・・の話。
2:6:2の法則
2:7:1の法則
自分をよく思ってくれる人もいれば
自分をよくも悪くも思わない人もいれば
自分を否定、批判する人もいる
という内容のコト。
働きアリの話は知っていたのだけど
人間関係のこの話はこの時知ってね。
その時は
"否定、批判する人"が
1,2人くらいは必ず出てくる
にフォーカスして
言語化できて
イメージができたので
ナルホド~!
どこにでもいるのか~。
そうなのか~
ソレなら...
と納得して、納得できて
ココロがラクになったんだけど
今回
手放す"人"を書いていて
最後に、#69を書いている時に
別視点でも
繋がった感があるんです。
アッ!
もしかして、こういうコトかな⁈
って。
その鍵が掛かっていた扉が開いた
感じかな。
タブン
その鍵が掛かっていた扉って
「ねばならない」「べき」
だったんだろうと思う。
最初の「ねばならない」「べき」は
ココ
みんなと仲良くしなくちゃいけない
誰とでも仲良くすべき
からの
みんなを好きにならなきゃいけない
からの
キライな人がいてはイケナイ
からの
人を嫌いになってはイケナイ!!!
からの
みーんなを好きでいよう♡
みーんなと仲良くしよう。って
こんなふうに
ゆがんだ解釈になっていたんだと思う
ナンダコレ...。
ワタシの中の
「ねばならない」「べき」の正体。
だけど
なんか、腑に落ちたんよね。
10人いたら
1,2人は
自分とは反対側の人がいる。
どこにでもいる。
いてもイイ。
違いがあってもイイ。
とはいえ
個人の意見だとしても
自分の考えた意見、想いを
真っ向から否定されたりすると
やっぱりどこか
あまりいい気分ではない
また、
反対意見、違う意見はイイとしても
伝え方が......ちょっと......と思うコトがあると
ココロも乱れてくる
マイナスな感情をもってしまうことがある
その人を
イヤだな~って思ってしまう気持ちも出てくる
そう思ってもイイ。
ソレをなかったことにせず
イヤなんだね。って。
イヤだったんだね。って
その人は
自分と反対側にいる人なんだ。
いる場所が
そもそも違うんだ
そっかー。
それじゃ、そ~なるよね。
それじゃ...
その人とココロの距離をとるために
自分が納得できるように
そういう理屈に持って行っているのかもしれないけど
言語化できて
見通しがよくなって
自分なりに納得できたから
なんかスッキリした。
ココロが軽くなったょ
苦しかったね。
頑張ってたね。
それでは、またね~
片づいたその先に、、、
ここちよい暮らしが待っています
整理収納コンサルタント 根本 憲子(ねもと のこ)