自然に活かされることを忘れた人間の欲 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

超ご無沙汰しております。
本当に最近は、ウィルス脅威、自然災害など増えてきていますが、しかしながらよく考えるとすべて人災でもありますね。
どこか他人事になっていますが、私達が求める快楽のみに走り、科学を使って、自然破壊、環境破壊が当たり前に行われ、それもそれが良いという目先の利、我利となり、自分たちが自然や動物を制圧し、コントロールするということが当たり前になっています。

私は犬を育てるということで、自分も犬も含めて”自然の一部”であることを忘れないようにし、自然の道理を先生として、または犬という生命を通じて、彼等と対話をしてきました。
そして、私の犬育ては”自然学”をベースにしています。
それは私の師の考え方であり、私もその先生の姿勢に今も尊敬しており、憧れであり、目標です。

犬をしつける、トレーニングする、学習するというテクニックは私は正直あまりこだわりはなく、その子が共に生きていく上で必要なことを選択し、提供していくことが重要です。
ドッグトレーナーというよりも、自分は犬育てと親育ての共育を中立となってサポートし、あくまで”バランス”を大切にしています。

そのバランスとは”陰陽”のバランスです。
陰陽と言えばこんな言葉があり、私が好きな言葉です。

「やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることを表す。陽の中央の点は同じように陽中の陰を示し、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる」。

私の携帯についている御守には”太極図(絵)”がシンボルとしてあり、”陰陽”と書いてありますが、両方で一つだからです。
そして、目に見える形ばかりを動かして、目に見えない気持ち、想い、愛、心、命、魂など、本当に大切なものは目には見えないものばかりだし、計れないから非科学だと言われますが、目で計測できるものってほんの一部であり、ほとんどは見えないものばかりです。非ではなく、私は未科学だと思いますが、しかし、現代人が未としているだけで、先人は科学と言わなくても、先人の方がもう科学で見えないものを原理を見い出しているのに、現代科学にそぐわないからと認めないのは、浅はかだと思います。

皆さんは誰と向き合っていますか?
愛犬ってどこにいますか?
それを知る時は、役目を終えた抜け殻を抱いた時、ここにはその子はいません。
皆さんはその殻を愛していたのでしょうか?
私はいつも犬と向き合う時、外観や肉や毛じゃなく、そのなかにいる目には見えないけど、身体を使ってその子の想いを表現するものを感じて、愛おしく思います。

どんな形なのかわからないけど、その体と重なるようにあるその子と接しているので別に毛を撫でなくても、その子の魂と触れあうことができます。
自分自身も肉体は借り物で、自分も見えない存在で、その本質の自分の熱と犬の熱が触れあって感じて、気持ちも本当にストレートにやりとりを感じて、また自分も発してという”感情コミュニケーション”を大切にしています。

お利口とか、良い子とか・・これは自分の我欲を満たす喜びの表現であって、その子自身の良いを褒められている方、褒めたいと思う方が少なくなってきています。
だから、私が観ていて寂しく感じるのは、犬の行動をコントロールして、望ましい行動に声という道具を使って感情を届けて嬉しい、すごいねという気持ちを伝えることは科学的じゃないからと行っている人は無表情で、道具で音を鳴らして食べ物だけをもらっている犬もただ食べて食べ物を獲得する手立てを覚えているだけという現実。

そうした犬は、行動は互いにとって望ましい行動はとれているけど、見えない気持ちは、まったくふれあいやコミュニケーションがないため、愛のエネルギ―枯渇から不安が強まり、過敏性や自信ないその子の心を感じると、吠えたり、過敏に反応して攻撃的になってしまったりするのも、安心が足らないのです。
おやつでも、褒め言葉ではなく、嬉しいという気持ちを感じて、嬉しいという心が感動し、また嬉しいを発信して、それを感受して嬉しいという心がお互いに満たされていき、”活き活き”としていきます。

ネガティブという陰がないと、ポジティブという陽が感じられず、陽気になれないのです。
ポジティブという陽だけだと、どんどん陽と感じられなくなり陰気になってしまいます。
何も不自由なく暮らして、やりたいことをやらせている子が不満、フラストレーションに苦しみ、ストレスレスな環境を提供されているのに、ストレスをすぐに感じて対抗できない。
陽性だけを実施するという紙切れのような一面だけの陽性は、陰性作用を強めるという作用があります。

努力、苦労、そうしたストレスを感じながらも挑戦という負担という(陰性)を得ることで、乗り越えて出来た解放感、達成感というポジティブな(陽性)を得る事ができます。
しかし、快というのは長続きしない、持続的ではないので、持続的な陽を感じるためには、陰を取り込んであげないと持続的快適、幸せ、喜びは持続できなくなるのです。

陰があることで、陽と感じ続けることができる「持続的幸福」を提供することが、本当の「陽性強化」となり、これが自然学から考える原理です。
長期的な、長い目で未来を考えて、幸せでいられるようにどうやって持続的幸福を構築するか?それが私のレッスンプログラムを組む時のその飼い主さんと犬に何が必要か?を陰陽のバランスをどう取り込むか?を相互バランスでみていき、考えていきます。

そして単体な方法じゃなく、ステージがあり、そのステージに目的があり、クリアしたら、次はステージ2ではやり方が変わってきて、最終的にステージ3で、まとめをして陰陽のバランス調整を飼い主さんができるようにして、犬育て、親育てという”共育レッスン”は修了し、飼い主さんと持続的幸福の共同生活の営みを楽しんで頂きます。

形的な良いではなく、成長における良いを大切に、その子が生きるという旅を楽しむために必要なものを備えてあげるために必要な養育を指導していきます。
そして、そこには教育、鍛え育む(トレーニング)、共同作業となるレクリエーション(仕事)を実施し、そして生活の構築も、異文化共同生活におけるホストとゲストの役割を共同体で役割を認識してもらい、相互が合意して生活が成り立つように、共同生活の構築の手順にそって、指導していき、飼い主さんに実施して頂き、フェアな共同自由生活の構築の仕方を同時に指導していきます。

しつけ教室という、犬をお利口にする教室を私は提供していません。生きるということを楽しむ為に必要な総合的な育みを提供しています。

自分でいうのもおかしな話ですが、私は問題で悩んだ飼い主さんと犬との再構築(再スタート)を担っていますが、自分の教室の犬達も飼い主さんも表情豊かになっていきます。
マテなんて2秒くらいしかやらないし、1mしか離れられないけど、自信もって飼い主さんと一緒に生きている成果が、私の提供したい成果であり、飼い主さんから教えてもらった目指したい成果でした。

トレーナーとして良いと思っていたものは、”犬にとって良い方法”

であり、”飼い主さんと犬にとって良い方法ではなかった”のです。
これは、飼い主さんへのヒアリングをしていき、今一度提供すべきことはないか?を飼い主さんに必要な内容にしていかないといけないということで3年間、改良し、そして次にグルーマーさんや動物病院での悩みを聞いて、その原因が意外とトレーナーにあって、そこを改善してみて、実際にサロンさんや動物病院からのフィードバックをもらって、改良したら自然と目指すべきポイントは、原点に戻りました。

もちろん、楽して自分の想い通りにだけなってくれたらいい人にとっては都合がいい方法ではないので、100%は出来ていません。
そうした方にとっては私の方法は苦痛に感じますが、しかし、自分自身でも一度も嬉しいってその子と感じる満足が続かないからきているので、”楽な目先の利の話”にはその時は”楽”なので、その時は感謝しつつも、成果がでないことに”不満”が待っていて、その人を悪くいって、この人も犬もダメだという、ダメしか得られないように自分でそうしていることに気付かないと、それは変わりません。

甘やかすのが優しさではないのです。
それは今という楽で、後で苦しめるという陰陽バランスです。
私は、今は苦で、後で楽しめるという陰陽バランスにします。
因果の法則という自然学にあるように、結果を楽しいにしたいなら、原因はそうなれる不都合という苦から始まることがあり、その陰と楽しいという陽という結果になるのが、幸せなので。

幸せになるためにどうするか?それには先を見据えた知恵が必要なんです。
人生と犬生も同じです。

日本はそうした自然を神として敬い、学んできた素晴らしい知恵があります。私はそれを日本式の共生学や共育学にしたいと思っています。

またそれは次回、紹介したいと思います。
お米を育てる時、麦を育てる時・・食物という命を育む実りを現代日本人は忘れてしまっています。
どうやって食物が育って実りを頂き、お米を私達は美味しく頂いているのか?麦も同じことをするし、私は子も犬も同じ命を育む実りを実践して、頂いています。

すべてはこうして、自分で自分に戻していることばかりだと思います。犬じゃなく、自分たちを見直す。
神社という杜に入って、心を清浄にすると正常になってきて、自然の中の一部であることに気付き、自然に習って歩むと開運し、招福を自分がしています。
その気づきを杜という中の神様が教えてくれていると、感謝することを取り戻す大切な場だと思っています。

ネットサーフィンで知識や学という飾りで重く、見えなくなるよりも、逆に鎮守の杜で自然に返ると大切なことが気付き、行動が変わりますよ。
ひらめき、やはり気づきも感じるという見えないものですね。

犬という見えないその子の命(魂)と向き合えば、私も犬もどちらも見えぬ同じ命(魂)です。
脳で考えなくても、感じ合って育みあえるって最高の仲間です。

美濃加茂の古井神社。
近くの大切な鎮守の杜です。
私はなんの根拠はありませんが、この真ん中の木が大好きで、この木が親に感じます。