2020年も残すところ少しとなりました。
年始にはこんなに大変なウイルス感染症に振り回されるとは思っていませんでしたが、そんな大変な中で皆さんと犬たちと向き合い、今年も皆さんと共に私も育つことができた一年になりました。
私も今年はこの仕事が20年目ということで節目の1年でしたが、改めて今年は原点に立ち戻ることで色々なことが発見でき、改善という結果に繋がったことが多かった1年でした。犬のしつけ方、トレーニングの仕方、どうしても私たちは“犬”に視点をおいて、犬を良くするための“方法”に意識と実践が向かってしまいます。
しかし、ここに落とし穴があり、自分は正しいを前提に進めてしまうし、自分を観るという視点がないことで自分の影響を見落としてしまいます。
それは犬の行動を評価し、“問題”というラベルを貼ることから起きてしまいます。
自分のスキル不足、犬が信用できない、頼れない理由が必ずあるのですが、そうした部分は認めたくなくて、自分の思い通りになる、所謂「お利口」「大人しい」という評価が心閉ざして無気力になった子をそういい、自分の気持ちを主張できる犬を「問題」と言いますが、“嫌なことは嫌と主張できる存在”であってこそ良き存在であり、次の“自分はこうしてほしいという主張をせず”にいて、嫌われたくない“いい人”になってしまうことで、自分の意思を受け止めてくれないことを「問題犬」と呼んでしまっているのです。
同じ犬をある別の方が育てたら、何も問題が起こらないというのよくある話です。
“共感力の低下”が進む現代の中で、“主観”で犬を決めつけてしまうところから勘違いが始まっていき、犬も人間を勘違いしていて、お互いの疎通が“機能不全”になっているのが、改善しないといけない本当のところなのです。
犬と同じ立場の体験をする機会が少ない日本では、“異文化共生”の経験が少ないので、相手を知る努力と自分を理解してもらう努力がどうしても怠惰になりがちです。
犬と人間では“思考”の違いはありますが、感情や心の働きの共通点は多いものです。
文化の違う相手と共同生活をする時、それぞれの常識からみた“正しい”が問題の始点になりますが、犬は人間ではないので「異文化と考えたら異文化共生のシステム(機能)の無理解(知らない)」がすべての共生問題の始まりではないでしょうか?
スタートはホストとゲストに分かれます。人と犬の場合は家庭犬の場合は“人間がホスト”“犬がゲスト”になり、「人間社会がホストベース」となって、犬に人間社会の常識行動を教えることが必要です。「犬の国(ハウス)」と「人間の国(家)」の“境界線”をしっかりともって、そこから、人間の国に来るときに、人間の国で暮らすためのルールを教え、その生活方法(マナー)となるガイドラインを作って、それに沿って行動できるようにする必要があります。皆さんも想像してみてください。
「“何をしたらいいかわからないところに好きにしていいよ”」と放置されたら・・。
“きっと何をしたらいいかわからず、落ち着かなくなり、自分の国の常識やルールは通用しないので、訳がわからない状態で叱られたり、怒られたりしたら、皆さんが”行動問題“を起こしているといわれる”のです。
これは行動問題でしょうか?私はこれをはっきりNO!と言います。
どのようにこの国では振る舞い、どのようにしていくことがいいのか、いけないのか?を教えてもらっていないことが問題で、知らないのにできない、わかっていない、問題だ!というのは心外ですよね。でも、“この国の人にとっては当たり前なので悪いことをしていると思っておらず、むしろ私たちにああしろ!、こおしろ!と口うるさく言わないでいる優しさだし、自由にしていると本当に思っているので、このホスト側の行動や心問題ではなく、むしろ“自由にしていいことをしている”という“意識”になるのです。
室内で共に犬と暮らすということは、まずは犬が犬でいられる場所を提供し、その中は犬常識が最低限保たれる安全基地を提供します。人間のエリアに突然と連れてこられるとパニック状態になるので、リードで保護しながら、ゆっくり人間との生活のガイドラインを事細かく設定しながら、犬に教えていきます。
ここにもし自分が犬だったら、行動指針が示されていけばどのようにしていけばいいかわかってくるので、“安心”です。わからないのは“漠然とした不安”と“緊張”を与えるだけです。“犬は犬の常識で考えて、保護や教えてもらえないと自分の常識を適用し、保護せずに甘えてくる人間の面倒をみないといけないとなり、犬の常識に反する行動に対して叱るのが「咬む」だったり、警告が「吠えや唸る」になる”のです。
犬がホストになって、人間がゲストになっているのが“共生問題”になっているのです。
“行動問題”ではなく“共生問題”です。だから行動に注目し、その行動を改善しようち対処しても、そこが問題ではなく、関係構築が不適切だったり、生活構築が不適切だったりすることの“結果”が「行動問題」と呼ばれているだけで、改善は「関係構築」「生活構築」なのです。
これが“しつけ”と分類してもいいと思います。“適正な人間社会での行動教育=しつけ”と考え、また“犬に行動教育できる人の知識、実践スキルと教え導く主導力、どんな時に頼りになり信じられる行動の約束を果たしていること、相手を理解してガイドできる力とメンタル力が必要”です。“犬にとっても、自分にとっての必要な育児は決して「楽」ではなく、むしろ「苦」であるため、今だけ思考だと「苦(嫌)」から逃げるになるとその場は良いだけ”です。しかし、長期的に未来を見据えた視点では、それが苦しみをうみだしているのです。“かわいそう”“ストレスが”という都合の良い逃げ言葉に使い、結局、犬よりも人間の方がかわいそうな現象になっているのです。自分がかわいそうなことを認知していけば、「自分の生活を守ることができる人=犬の生活を守る人」になれるのです。
犬を育てるということは、自分が避けたい苦に立ち向かうことになります。
犬と格闘するのではなく、“犬のしつけ=自分自身の心の中にいる2人との葛藤に打ち克つこと”になるのです。ここで〇〇しないといけないという自分と〇〇するのはかわいそうだからやめなさいという自分が闘います。“止める方は楽、しないといけない方は負(苦・嫌)”になります。ここで未来を見据えたかわいそうでないための選択は自らが負(苦・嫌)を選択するとそうした未来がきて、自分も乗り越えて一歩成長しますが、犬もそれで成長できるのです。皆さんが負けたら、犬は成長できないし、飼い主さんも成長できません。
この世ってやらないといけない方はその場では都合が悪いことが多いけど、未来を見据えた取り組みなら乗り越えると本当の“楽しい”が待っていて、どんどん“嫌が減っていく”という感じになれます。これが賢い生き方、生きる力の育て方です。
今、かわいそうとやりたい放題させておけば、どんどん嫌が増えていくので、「問題だ!」と騒ぐのです。犬は私たちの甘えからの脱却をお手伝いしてくれる最高の“飼い主トレーナー”であり、ドッグトレーナーです。それに応えることで皆さんも犬の甘え心からの脱却をお手伝いしてあげられる“愛犬専属トレーナー”であり、“ドッグペアレント(犬の親)”です。
家庭犬は学習ベースの成果を優先せず、生活成果を優先するといいのです。
まずは、生活環境となる人間の家の中での行動指針と“適正生活行動ガイドライン”を作って、それをベースに犬に人間との生活ルールを覚えてもらえたら、犬もそのガイドラインに沿って行動すればいいので、“わかる”のです。多くはガイドラインがないからどうしたらいいか“わからない”のです。“わからないのはできないし、わかることはできる”。とても真実はシンプルです。
行動に視点や意識をもって科学的な手法に進む以前の生活構築と関係構築を飛ばしていることが大問題で、生活環境のガイドラインの理解と適切な関係性の構築が築けたら、問題となっている愛犬の行動は自ずと“解消”されていくのです。改善、解決ではなく“解消”です。
その行動改善に直接的なアプローチをしていないのに、咬む、吠え、暴れる、怯えるなど様々な状態が消えていくのです。これが家庭犬共生を築くベースです。行動はあくまで関係性が適正になっているか?を観る指標であり、もし関係構築がうまくいかないのなら、生活がガイドラインのない、教えていない放ってある不安状態にさせていることがスタートです。
生活は郷に入っては郷に従えで、犬たちがその郷の掟のもとで、自己判断でルール違反せずに暮らせるようになって初めて「自由」と言っていいのです。それまでは「自由」ではなく、「勝手」「放ってある」です。
これはエデュケーター(教育者)の役目。トレーナーは、トレーニング(鍛える)専門家です。人間と生きていく上でのさまざまな不都合によるフラストレーションなどを受けても“その状況を自らで打開できる力を鍛え育てる力”をサポートするのが本当のトレーナーです。ジムに行って、筋トレマシーンを使っている時に収縮と解放を繰り返して筋トレをしますが、この負荷を“ストレス”としたとき、ストレスとは“ウエイト(おもり)”です。
ストレスがかわいそう、よくないと与えないのは、筋トレに使うウエイトが筋肉にストレスを与えるから取りますというのと同じで、そこに座っているのも重力負荷(ストレス)がかかっているので、横になっていてください!となれば、この方はどんどん体も弱っていき、適応力を低下させていくから、最後には自らで生きる、動くができなくなるのです。
ストレスは生きる力を強くするための“ウエイト”です。その力に合ったおもり(ストレス)をかけながら、適応できたら苦痛でなくなっていくので、そうした生きやすい力を育てるのが“トレーニング”であり、“トレーナー”の仕事です。
自制心(力)・協調性(力)・自発性(力)の3つをトレーニングで鍛え育てていき、人間社会で潰れない心を育みます。これらの力が「自由力」となって、“勝手な子”から“自由に暮らせる子”に鍛え育てていきます。不都合や不快を受けても自らそこから打開し考え、行動して快を得る方に行動できる力が「自発力」ですが、これらは「レジリエンストレーニング」と呼ばれるメンタルトレーニングで鍛え育てていきます。もちろん、それを提供できるだけの飼い主さんのメンタル力も必要なので、家庭犬共生の場合は、犬だけではなく、飼い主さんと犬を共に育てていかないと共同生活ができないのです。
犬をなおすのではありません。共に生活できるようにガイドラインとなるルール(規則)を作って、それを目安に犬が適正行動をできにしていき、関係は常に人間が主導しながら、外部からのファーストコンタクトを飼い主さんが必ず行い、守られている約束を果たして信用を築くのです。ご挨拶、知らない人に勝手に触らせるのは、“保護放棄”なので、ここから関係性の問題が起こっています。こうした“社会共生のベース”や“共同生活ベース”がない、知らないことが“問題の核”であり、本当の問題の“因”だと思います。
「行動改善」という視点を一度リセットして、日本の場合は、共同生活の構築をまずは学び実践し、そして関係構築を学び実践していけば、行動問題は“なおる”のではなく“解消する”になっていきます。
これらの幸せのカギは犬ではなく、飼い主さんに気づきと愛犬とのずれた関係を修復するお手伝いをし、繋がった時に問題は解消されることがほとんどで、その行動を改善しようと何かしたわけでもないのに、解消していった・・・と感じたらそれは関係構築が適正に構築でき、共同生活も適正に構築されたという指標に行動を使います。
みなさんと犬たちが素敵な生きるという限られた時間の中で、共に育みあい、成長しあうことが、消えることのない永遠の財産です。犬が飼い主さんを大人に育て、飼い主さんが犬を成犬へと育てる。共育に取り組む人たちを支え、生きる喜びを感じて頂けたら幸いです。
