生きることを意識して命と向き合う | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

 お盆の季節、お彼岸の季節と、日本にある節の時に私は色々と見直し、思い出し、感謝の心を再認識するきっかけになります。
最近は、生きるって当たり前に感じていて、ありがたいと思うことが日常で少なくなり、死と向き合う事も昔と比べると少なくなったと思います。

死は生の始まり、生は死の始まりと両方を想って、今、こうして生きている奇跡に感謝し、これまでに出会った方達に感謝をもって、生き様を供養にしていけたらと思っております。

 

 私も多くの命と出会い、そして別れを経験させて頂き、その度に本当に生きるって奇跡って感じますし、改めて生きるとはをいつも考える機会になっています。

生きていても同じことはありますが、出逢いと旅立ちとは本当に相互を考えないといけないと思います。

この世からの旅立ち、あの世からの旅立ちの2つあると思います。どちらも見送り、そしてお迎えがあると思います。

体に気を付けて行先では頑張るんだよ!留まらせようという想いもあるかもしれません。泣きながら見送られ、新天地に行く。新天地では来てくれたことを迎え、歓迎して喜んでくださる。出逢いと別れの繰り返し。

この世に誕生した命・・あの世からは別れを惜しんで送られてきて、この世では誕生と歓迎されますが、あの世からは別れなのです。

そしてこの世に生を受け、その命を全うしてあの世に帰る時、この世では別れを惜しんで送られて、あの世ではおかえりと迎えを待つものたちがいる。だからこそ、この世で命を全うしてからはあちらで帰りを待つ方の為にも、気持ちよく送り出してあげるのも優しさだと思います。

 

 あの世からか、この世からか?はわかりませんが、出逢いがあれば必ず別れがあります。犬も同じようにこの世に送られて誕生した命。自分のものではなく、預かっている命です。その別れを惜しんで送られてこちらの世に、たまたま犬という姿でこの世に生を受けてきた子ですから、そうした送ってくださった方たちが悲しまないように私はこの命を生かしてあげないといけないと思います。

こちらは迎え、歓迎していますが、時間は有限で、必ず今度はその命の旅立ちを見送り、こちらに来られたようにあの世に逝けるように送ってやらないといけません。いっぱい楽しい思い出を土産に持たせてあげて、自分達もいっぱいの思い出を大切な財産として、生きていきます。

 

 子犬を迎えた時には、その子がこの世で生きる舞台に適した育みをしてあげないといけません。甘やかす、備わった力を伸ばしてあげるのではなく、お節介で逆に弱めてしまって人間社会の適応力を奪ってしまい、生きることができないようにさせてしまい、適応できない苦痛から咬む、吠え掛かるなど命の悲鳴を叫び続かせることを放っておくことは、本当に残酷で、この世にきた目的も達成できなくさせてしまう。

楽しく生きるその為には、楽しめる素地を育ててあげないといけません。体を纏った以上、色々な拘束の苦痛をこの世は抱えます。それらの苦痛を軽減できる適応力に必要な自制心や協調性を育んであげて、共に生きることが楽しいと過ごせるために教えて育みます。最近は、こうした共に生きる力の育みが面倒、かわいそうといい、やりたい放題にさせては、この子はダメ犬と呼んでいたり、できないと決めつけたり、時には犬を問題と犬のせいにしてしまう。

 

 命を育むことは楽しいことばかりでないし、犬も同じですが、辛い時もあります。

それを共に乗り越え、成長してこそ見える景色があります。

犬に自分達の欲望や楽しさを求めて、やりたい放題して、自分を苦しめだすと犬を苦しめてでも自分の楽を優先する。犬は何のために生まれ、生きているのでしょうか?

私は必ず使命や役割を持って、生まれ必然だからこそ私達のところに来て、何かを学び、成長して帰っていくのが生きるという時間です。

成犬になってから縁あって、我が家に来た子もその子と学びを共にして、成長することが私達にも生きるという時間から犬と成長や学びをさせて頂く貴重な機会を得ているのです。

 

 その生きる道を教えて導くお手伝いというガイドやナビゲートしていくのが、私の仕事だと思っています。

ただお利口、大人しいだけでなく、一緒にしつけという育みを学び、共に成長し、人間社会で共に生きることを楽しむことを教え育むことを得て頂き、命をまっとうさせてあげて、いい人間との成長の時間を過ごせたのね!とあちらの世の待つ仲間の方にも感謝を届けられるようにしてあげたいと私は日々願っています。

生きられるのに、私達人間の怠惰によって、命を絶たれてしまった犬たち、自分の力不足で飼い主さんを説得できずに生きられなかった子たち、そして一緒にその犬といっぱい楽しく生きる時間を過ごせるために育みを必死に頑張って、やっと楽しめる関係に育て終えた時に、自分の生きる時間切れで一緒にいられなかった人たち。

こうした人や犬たちの生きるという命から教えてもらった、”生きるという財産と成長、育みという愛”を継承していくことが、残されたものたちの生きる使命と考えます。

犬が好きだから、かわいいから、それも大切ですが、もっともっと根源にある生きるという時間を預かっていること、そして貴重で有限な旅にきている旅人に色んなことを教え合え、成長し、育みあえる”共育””共生”あってこそだと思います。

 

 また再開できる日が来た時に堂々と再開できるように、そして残してくれた財産を大切に大切にしていき、日々伝えるということで”生きる”という旅を無駄にしないように、これからも”命””生きる”こと、そしてその為に”育む”を伝えていきたいと思います。

別れは悲しいけど、その先にはまた新しい出会いが待っている。自分だけのものと留めないように、お盆という機会に今一度、感謝を伝え、これからも力不足を謝り、感じ、成長し続ける本当の”感謝”の実践をしていきたいと思います。

日本に生まれてくる、旅先に来てくれた犬たちが人間と共に生きる中で、その犬として成長させてもらって犬に成れる(成犬)に育ててもらい、自分たちも犬の親、友になれるために犬と育ててもらうこの素晴らしい命の奉仕を広めて、生きる幸せに満ちた国になれればと思います。

育てない、教えない、ただ過擁護にして、かわいそうと要求に何でも応える生き方はこの世ではなく”あの世”に帰ってから拘束のない楽園で過ごせるからいい。生き殺すことがないように、この世に生まれた以上、思い通りにならない中で共に生きるという学びや力をつけて成長して修行のお手伝いと共に修行させて頂ける中での楽しさを共有しあえるように、今一度当たり前でない生きるという有限の貴重な旅の時間を見直し、学びや成長を共にさせて頂けたら幸いです。

 

 逆にこの世に生きているものたちがあの世から供養されていて、幸せを祈ってもらっているとも思います。

旅立った命から、感謝されるような生き方を自分達もしていきたいですね。

 

 生きるとは?そんな意味を考える機会にこのお盆がなるといいですね。

正しいとか、間違いとか答えはどうでもよく、考えてみることを大切にしてください。

私がよく教室で指導させて頂く時に言っていますが、私のいうことは間違っていると思うし、正しくもあると思うと。

絶対正しいも、絶対間違いでもない。これからも私もその気持ちで今の精一杯を一所懸命に教えさせて頂き、私も習わせて頂き、皆さんと共に成長させて頂きます。

 

出逢ったすべてのご縁ある方に感謝!

 

 最後に相手からの視点も体験する大切さ。私は言葉の繋がらない、文化も違う外国での経験は、犬の立場がよくわかった。ドイツ人の友人が流暢なドイツ語で話しかけてきて、犬の気持ちを体験させてあげると言われ、文化やどうしたらいいのか?を教えてもらわずに、闇雲に怒られ、また歓迎されて大切にされる時の困惑を体験させて頂き、だから犬に人間社会の生き方やルールなどを教えてあげないで可愛がるだけと教えず困った行動したことに叱られる苦痛を体験から学ばせてもらったし、海外の友人たちにも教えてもらったからこそ、わかることもある。日本だけで生きているとどんどんと傲慢になり、犬の気持ちを理解する大切さが薄れるし、わからなくなる。

いい意味で、犬とは国際交流みたいなもので、異文化共生を学ぶチャンスとして皆さんに学んで頂けたら幸いです。相手を理解し、受け入れる。そして自分達のことも教える、伝える。それこそが本来のコミュニケーションだと私は思います。

そして共生という素晴らしい共に生きる経験と学びだと私は思っています。