今日は、また外は真夏日。
汗が噴き出てきますね。
私は夏は結構しんどいので、今年も無事に乗り越えたいです。
まだまだコロナウイルスの猛威も世界混乱を起こしていますが、敵視するばかりでなく共生していくという考えも必要かと思います。その智慧は先人たちの中にあると思っています。
今日のタイトルは、共生という部分に触れていきたいと思います。
肩書で私は家庭犬トレーナーとして働かせて頂いておりますが、私にとってはトレーニングに特別こだわったり、それにこだわる気持ちはないというと嘘ですが、ちょっと違う視点で、形的な実践より、”意味や目的の為の実践”として行っていると思います。
なので、”犬が言うことを聞かない”、”お利口さん”、”バカ犬”、”ダメ犬”、”問題行動”、”従わない”、”バカにしている”、”なめている”こうした「評価」は私は無用なんです。だから??と思ってしまいます。
それよりも”何のためにそのしつけ、トレーニング、遊びをしているのか?”の目的を知りたいと思います。
私が自分で犬を育てる時、子犬の時の教え方や周囲との関わり方、生活環境や居場所の設置、思春期の向き合い方、周囲との関わり方、生活環境、居場所の提供、共に楽しめる遊び、その成長の発達に応じて必要なことを教えたり、一緒に生きていく上で潰れないように力を付ける為に心を鍛えるトレーニング、犬だけ楽しい遊びじゃなく、自分も楽しめる遊びで、犬も楽しめる共感しあえる遊びへの移行など、その時に応じた方法などを取り入れていきます。
成犬に心身共に育てたら、子どもじゃないので成犬(人間的表現だと大人として)としての付き合い方をしていき、同じ地面に足をつけて立つ者同士、敬意を持って日々を過ごします。
クリッカーを使う時もありますし、クリッカーがすべてを補うわけではないので、クリッカートレーニングの次ぎのステップはそこにこちらの気持ちの表現を伝えていく内容にしていき、単体ではなく、総合的にそのステップに必要な方法を組み合わせて成犬へと育てていき、自分も共に育っていきます。
クリッカーがいいとなるとそれだけをやっている方も見えますが、カレンプライア先生も当時言っていましたが、いつまでもクリッカーを使うのではなく、キューとなるものをクリッカーから自分の声の合図に移行していき、行動学習が確実性高まったら、その行動に対して感情を付け加えるステップに進む階段の一つだと聞きました。特に犬は感受性が高いので、表情や飼い主さんの感情を読む能力が高く、声で楽しい、嬉しい、すごい!などポジティブな感情とキュー(合図となる声)を結びつけて、”行動・キュー(合図)・感情”のトライアングルを築く方法をベースに習いました。
”THE Third Way”というプログラムですが学び、それを日々改良しています。
犬をただ都合の良い子にするためのトレーニングはやらない方がいい。
人と犬のそれぞれが望ましい暮らしに必要なものを共に築いていく・・これが相互を結び、手を取りあって協働しながら共に学び、共に成長し、育てあうという共生の基本にも繋がる”目的”として、私は3つの方法として、”しつけ”、”トレーニング”、”レクリエーション”と3つに分けて”共育”としています。
これが正しいのか?間違いなのか?それは両方だと思っているので、賛否両論は永遠につきものだと思う。、
私は”否に揺らがず、賛に驕らず”を心に置いているので、賛否両論はそれでいいのだと思います。
否定するのは簡単。賛否というのは面白いのですが、磁石のS極とN極がありますよね。
S極の方がいいからとN極の部分を折って捨てようとしても、また反極はN極になり、S極だけにはならないのです。賛論だけも否論だけもありえないのです。
噂話で、私が体罰的な方法をしていると言われ、それは良くないから改善した方がと言う方もみえますが、自分で実践を積み上げていないから揺らぐし、それに動じないのはただの傲慢だとも言われることもあります。
しかし、言いたい人は言えばいい。しかし、その噂の人も言うなら目の前で私に直接言って頂けたら、私もそこに抜けているところは必ずあると思うので、その視点を客観的に観て教えてもらえたら、それは非難でも噂でもなく”教えて頂いた”になります。
その時は非難に聞こえたかもしれないけど、直接見てもなく、直接言わないのはただの陰口。
”非難する責任は、同時に相手にどうしたら良いかを伝える責任”があります。
飼い主さんに厳しいことを言ったり、伝えることもありその方にとっては都合悪く、嫌なことを言っているのも自分もわかっているつもりですが、感じています。
しかし、それは自分自身を追い込むのです。言ったという責任があるので、その先どのようになっていくか?を想定して伝えるようにしています。その先の望ましいを提示できずにただ、嫌なこと、厳しくいうのは、無責任だし、傲慢だし、我がままだし、何様だ!と言われて当然です。
その先の飼い主さんと犬の双方にとって良い方向性へと導くには、そのゴールの道筋を知っていないとその場限りの対処は、未来を考えていないので迷いこんでしまいます。それは指導する側にあってはならないことです。
飼い主さんからも指摘されたら、私は日々、「本当ですね・・なおします」とそうして一緒に改良させてもらっているし、その時の自分の未熟さで理解できなくても宿題として持ち帰り、次に活かすように心がけています。完璧な人間はいないし、”正しいだけの人”も”間違いだけの人”もいませんから。
だから褒めあうばかりでなく、私は否論も大事だと思います。それは犬に何でもOKばかり与えるのではなく、時には嫌を伝えることも大切だと思うのです。そうしないと改良や改善はできなくなるので。
YESマンに囲まれたらもう終わりですね。
テーマから外れているように感じますが、繋がっているのでご安心を。
”正しいだけの人(犬)も間違いだけの人(犬)もいない”と伝えました。
これまでの犬のしつけ方の情報を批難ではなく、客観的にみたとき、何か違和感を感じる方はいませんか?犬の学問、勉強、犬のとって楽しい、学習理論、科学、生態、改善、方法・・犬・犬・犬・・・・・です。
飼い主さんと犬にとっての望ましい・・・という”飼い主さん”と”犬”を想定した視点による解釈のアプローチが意外とないんです。
飼い主さん(自分)はどんな状況ですか?自分の教え方は?自分の接し方は?+その飼い主さん(自分)とその犬に必要なことは?・・ここが抜けているから、犬がこうなったら、その犬は〇〇行動という犬にラベルを貼り、犬だけを評価して、犬をなおす手順・方法を伝える。
「これが本当に犬に優しい実践でしょうか?そして飼い主さんに優しい実践でしょうか?完全に「飼い主さん」が消されているということは、”あなたはどうでもいい”と言っていると同じで、同時に”犬もどうでもいい”になり、指導する人が”先生ずごい!”っていう満足の為にやっている事実に気づいていない・・」。
これは私が言っているのではなく、私が犬の専門家ではない方から指摘頂いた衝撃の言葉でしたが、今の私の”共育”や”共利共生”などという飼い主さんへの意識や指導が多いイメージを持っている方がいますが、私自身が見失っていたことに気づかず、飼い主さんを抜いていた”「事実」”を知って、言ってくださり教えてくださったことを受け入れたから今、大切にしている私の軸なのです。
”「犬だけに一方的にアプローチする方法がどれだけ優しいとか、科学的と言われても彼らの言い分は聞かずにこうした方法を犬のトレーナーさんは指導されているんですか?」”
「それって”共生じゃなく、強制ですよね・・優しい強制に自己満足しているんですよ。人間的に優しいことしているから良しとなっているのが、犬は飼っていないし、犬のことはわからないけど、すごく気になっていた”」
犬の専門家ではない方から教えて頂いた、私の人と犬の共生を扱う専門家になるための師匠です。
勝手に私が師匠と思っているだけですが、どんな博士や立派なことをいう科学者よりも”本質”を教えてもらいました。
飼い主さんが犬と向き合う上でも、犬がかわいそう・・嫌がっているから・・とその場限りの衝動に情で流されてしまい、彼らの気持ちを理解して、先をどうするか?を教えることが欠如していることで、”問題を作った”のです。
辛い、嫌・・それはわかるけど、この先を考えた時に今、応えてしまうとこの子はこの要求が通らない時に苦しむことになる。そう考えると未来にかわいそうを与えてしまい、それが自分を苦しめる種をまいた結果が返ってくる。生きるとはいいこと、楽しいことばかりじゃない。
嫌なことも、思い通りにならないこともあり、それに順応する力は現実を考えたら必要ですが、”我慢”をさせるのではなく、”それはダメだけど、こうしたら良い”という”術”や”方法”を”教える”ことが”理”に適う。
辛い、苦しいは”解る(受け止める)”。その後は大人が行う上記の”理”を実践することで”理解”になります。愛犬を理解することは大切ですが、言いなりになることではありません。
ここを間違えると双方共に苦しむ未来を迎えます。
犬は理は難しいので、ここは人間が支えるサポートの部分であり、愛情であり、責任です。
こうして”理解”するということは、”自分も犬と苦しまない為の実践になる”のです。
自分の都合の良い、悪いで生きるのは衝動的ですが、そうすることで今、自分自身が苦しんでいるから「犬が問題」となるのです。犬にとっては問題ではないですが、犬も「苦しみを背負わされて」います。
”共苦”ですね。
プロは責任ありますから、都合が良い、悪いではなく双方にとって要望に応えするために”必要なこと”を伝えるのが”責任と思いやり”です。
何でも飼い主さんの言いなりになって、良い事ばかり言っていたら自分は嫌われないし、味方だと今は言われますが、結果、双方共に苦しめることになり、それは無責任だからできることです。
その方がその時は楽ですしね。
都合のいい意見を言ってくれる人をジプシーしている方がいますが、きっと大切な目的を見失って自分の都合の良い犬にしたいだけになってしまい、本質を教えてくれる方がいても拒否をしてしまい、都合のいい意見がでるまで質問をするのではなく、脅しをかけているんです。
そのあげく、犬に脅しをかけられて、何ともならなくなって手放すとなっても、その”手放した事実”にずっとその人は逃げられずに生きていかないといけない変えられない一生の苦を背負わせてしまうことになります。
悪気があって行う人はほとんどいません。よかれと思ってやったことがこうなってしまったというだけです。ここは理解してあげるべきです。しかし、大切なのはここからです。
そこで自分を見直して、この子の為にも未来を良くして行こうと実行するか?え~自分にはそれは無理!と拒否、逃げるか?です。
悪気がなかったから相手を苦しめていい、良かれと思ってやってきたんだから相手が苦しむのは当然だし、なんで私が・・こうなるともう関係修復は誰もできません。
犬と幸せに生きる・・共に生活をする。
それにはまず自分を守る責任があります。それを第一に考え実行します。
そうするためには犬に教えたり、力を鍛えて適応できるようにトレーニングしたりと自分の生活を壊されないように教えていくなどをすると、自ずと犬も飼い主さんとの向き合い方や共に生活する力を鍛えてもらって身につけることで困らせることにならなくなり、飼い主さんも犬も共に望ましい生活に築いていくことになります。
それが今度は社会の安全を守る責任にも繋がり、周囲の人にも脅威や苦痛、不快を与えないことになります。”The Third Way”と一緒で3つが繋がるのです。自分を守る、犬を守る、社会を守るが築けます。
皆がプラスになってこそ、幸せで、幸せという字は上下逆さまにしても幸せです。上も下もないのです。
こうして、犬も社会の一員として共に人間社会で暮らせる、認められる子になれば、それが本当の家族です。家庭犬として育てるのであれば、飼い主さんが自分を守る責任として、家庭犬の専門スクールで自分のスキルを養うトレーニングを受けて、様々な共に生きる為に必要なスキルを養い、学習します。
犬の人間社会での生きる術・力・心を育ててくれる先生は、飼い主さんになります。
だから、そこに信頼が生まれます。甘やかし、可愛がる甘える人に信頼はしませんから。
自分も守れない人が犬を守ることができないので、頼れないのです。
ここまで説明してきましたが、今までがいかに「飼い主さん」が無視された、人間的に優しいと勝手に満足する強制をしてしまう情報になっていたことに気づけたら、もうそこからあなたは未来を変えられます。
共生を築く基本は”自利利他”です。自分に利があり、相手の利にも繋がる。
自分を守るための実践こそが、犬が安心して過ごす守られる実践になって保護するのです。
相互に利があれば、放棄ではなく暮らし続ける為の知恵を使えるようになり、放棄犬は必然的にいなくなります。
犬だけを都合よくする思考情報が、飼い主さんを苦しめて放棄するように方程式が出来ています。
今の時代は物よりも心の豊かさを求める時代、目に見えないものを敬う時代になってくると思います。
心は誰にも眼では見えませんが、心の眼では見えます。
開眼とありますが、ただの仏像という物に開眼(御魂入)してもらうと、そこに仏様の魂が宿ります。
皆さんの心の中に神様や仏様がもうすでにいると言われています。
後はその眼を開くことを思い出せばいいだけです。
自分が犠牲になるような育て方で共倒れせず、自分が安全安心で暮らせる育て方をして、共に生きられる社会にこれから広めていきましょう!!
今年度は新型コロナウイルス感染症のこともあり、オンラインで私は共生ゼミナールという月1回、全10回のセミナーを5月21日からスタートします。
5月7日は無料で家庭犬共生ゼミナールのダイジェスト版をONELifeチャンネルに登録すると観ることができます。詳しくはドッグ&オーナーズスクールONELifeのホームページ(岐阜市 しつけ教室 ONELife)と検索すれば出てくると思います。Facebookページにも詳細は載っていますので、共に共生を見直し、日本に共利共生が普及できるようにお力添えいただけたらと思っています。
https://www.facebook.com/events/854734728283342/
https://www.facebook.com/hasc.tomoiki/
