自宅待機で過ごし、1週間経とうとしています。
過去に家で長期間療養で出れなかった時期があるので、慣れてはいますがだんだん公私のケジメがなくなりやはり気持ちが窮屈にはなってきますね。
これも修行と思って、取り組むのも今すべきことですね。
天気もおかしな日が続いていて、色々な面で自己管理が大変な環境です。
こんな感じで生きるということは、楽なことよりも様々な苦難と向き合う。
幼き命も生まれてオギャーで始まり、ウーンと吸って終わります。
苦楽という波の中で生きる力が必要になり、この波に乗れるスキルがないと溺れてしまう。
特に現代は便利という「楽」な波と不便という「苦」な波の差が激しく、苦から快へと向かう自発力の低下もさらに拍車をかけて、生き苦しむ人(犬)が増えているように思います。
同時に過去にはなかったくらい、犬も生き苦しむ子が増えているように思います。
犬は生命なので、デジタル化はありえません。
これからもずっとアナログだからこそ、私たちも人間性を保てますが、デジタル社会に生きる私たちは、アナログな負荷に耐えられなくなり、また努力して自分を改善するという何かの労することを避けるようになり、人間性を見失いつつあります。
そして、犬も生きているのが当たり前のようになり、ご飯と水を与え、相手の気持ちはどうでもよく健康な体だけに着目し、心の発育を忘れてしまっていることで、心身のバランスが乱れ問題が起こりやすくなっています。私が観ている犬たちは、20年前の子よりもパワーを感じなくなっている。
生活環境も室内で過ごし、空調も整っているし、愛情も過去と比べたらしっかりと受けて育っている。
なのに、それと反比例しているかのようにストレスに潰れている、生き苦しむ子が多くなっているのはどうしてなんだろう?と5年前くらいから、自分もトレーニングではなく、一度原点に立ち戻り、「犬育て」という育児を総合的に観て、見直していくことを始めていきました。
2年前に応用行動分析学の授業を月1回ペースで8回受けていく中で、また科学的な部分から、犬育てを比較していき、整理と分析と課題を見出すことに向き合ってきました。
この頃から私はパピークラスにはまったく関わることなく、問題改善クラス専門で携わり、途中から思春期クラスを担うことになり、ここで、出来上がる動機の原因の部分がベーシッククラスで発見し、問題改善クラスの結果と”因縁果で繋がっている”ことがわかってきた。パピークラスを受けた子と受けていない子の違い、そこでどんな飼い主さんの意識の違いがあるか?も発見することができました。
保育園児の頃、知らない人でも、おじちゃん、おばちゃんと平気で関わっていた子も、中学に入るようになるとそんな風にはこなくなり、特定の仲間の中に自分の居場所をおくように変わっていく。
親に反抗ではなく、親に自分の意思を伝えられるようになり、大人にむけた成長として仲間との時間を優先したくなってくる。また同時に自分と他人、家族と他の家族という区別が出来てくる。
そうして、族の一員となっていき、人間なら自立して自由へと進んでいく。
犬は人間のように完全自立して自由に生きることはできない。全種ではありませんが。
正し、この思春期は個の確立と族の安全基地が大事になり、この安全基地から徐々に冒険し、また安全基地というHOMEで回復する。こうして”プレッシャー(圧縮)&リラックス(解放)”を繰り返して、目には見えないが段々とこのプレッシャーに潰れない筋力が育っていく。プレッシャーで負荷がかかることによって、安全基地で解放される時の回復にリラックスを感じるようになる。
心は感動してこそ、心は活きていきます。
しかし、最近はこのプレッシャーを除き、解放感もなくリラックスを感じられないことで、プレッシャーが残ってしまいリラックスできなくなってしまうと、バランスが乱れて苦痛から攻撃性や自己委縮が起きてしまう。思春期教育の中で、私が大切にしていることはポジティブ、快、楽だけでなく、ネガティブ、不快、嫌のバランスです。そのバランスが整い育つことで”レジリエンス力(回復力)”が養われ、”ストレス「が」なくなるのではなく、ストレス「で」なくなってくる”のです。
こうして生きる力を育み、思春期で嫌、苦を回避して快に向かう判断と実行できる力をトレーニングで鍛えていき、生きやすい子に育ててあげることで、生き苦しくなく、ストレス適応力もあり、協調性、自制心、自発性があることで、人間社会の中で自由共生が実現できるようになる。私はそれを「自由力」ともいう。
自由とは、ルールがあり、責任主体(自己責任)をベースに、ルールに反しない中で自分の意思で行動することになる。このルールが教えていない、作っていない状況で、飼い主さんの理想だけを描き犬に求めてもそのようにはなりません。
人間社会での望ましい行動を教えてあげて、犬が自己判断でその望ましい行動をとれるように教え育ててあげないといけない。ここが思春期教育のゴールです。
このゴールにたどり着くまでのプロセスが大切になりますが、今は”方法ばかりに走ってしまい、そのゴールに至るプロセス(過程)をやりたくない方が多い”から、犬が成犬へと育たなくなり、この思春期のままで心は止まったまま歳だけは何もしなくてご飯とお水で命が繋がっていたら勝手に重なっていきますが、イキイキとした生きるではなく、ただ生きているだけになったら、もう彼らの心は死んでいくでしょう。
人間は優しい、嫌なことを排除させてあげていいことをした満足でいるが、実際にそこで避けた為に適応力が育ててなくて適応できなくてパニックするようになっている子を「問題犬」と呼び、犬をなおそうと依頼してしまう。
誰も自分たちは正しい前提で、犬が問題だとなおそうとしてしまうが、実際のコミュニケーションや愛情があるのであれば、何が足らないのかをサポートしてほしくて専門家を欲するのが犬にも飼い主さんにも、指導や教導サポートする側にもメリットある未来を迎えられる。
正しいから自分が努力するのは・・と言う方に笑顔も、犬の喜びも消えている。
飼い主さんも笑顔に、犬も笑顔に、教導者も笑顔になる、”共利共生”が福祉的な共生になるが、人間のみの満足、都合が良いを満たすだけなら、”片利共生”になり犬の心は潰れ意思表現もなくなってしまう。
大人しくなったのではなく、意思表現ができなくなったのでしたら、これを「お利口」とか「いい子」と言っていいのでしょうか?心を視点に置いた指導を受けないと罪なき飼い主さんをそうした心を潰す人にさせてしまう。
同時にその飼い主さん自身も自分の意思がなくなり、何かに依存して良いを得ないと生きられなくなってしまったらもうお互いに自分で生きていないので、”共倒れ”になってしまう。
ここを自立した同士で、相互理解と教えあって自信もって自分の意思をもって共に生きられるように育ててこそ、やっと心身ともに「成犬」に育てたになります。
ここで親(保護者)責任が終わり、犬ですが大人同士の付き合いになれたら、思春期教育は無事に終えたことになります。甘やかしたり、思い通りにならないことへの適応力、相手に合わせる協調力を育ててもらってない子は自由に生きる力がないのです。好き勝手、自分勝手には生きられますが、共生は無理です。
みなさんがよく口にする自由は、勝手にさせてある、放ってある状態で、保護者としてすべき保護責任を放棄していることで放任生活となり、ここで信頼、信用も、仲間としての関係も同時に放ってしまっているのです。それで咬むようになった、吠えてうるさい、臆病で・・と他人事のように話されていますが、そうなるようにさえたことに気づかないと未来は変わりません。
好き勝手、顔色を伺って合わせる、要求に応えるをしてしまった結果、それがかなわない、できない苦痛を与えてしまっているのです。
機嫌がいい、悪い・・と最近よく聞きますが、この機嫌は犬がではなく、人が機嫌を作ってしまっているのです。
機嫌では社会共生はできませんし、成犬ではないのです。
気分が乗る、乗らないはあっても、機嫌は親が顔色伺ってその子に合わせるからできますが、機嫌が悪いというストレスを与えてしまっていることに気づいてあげてください。
育てるということは親に成るということですが、自分のままではなく、育てるための親という自分で向き合わないといけません。本心はかわいそうと思っても、その子が適応力をつけるためには親として嫌なこともしないといけないことは必ずあります。自分のままならかわいそうで終われば、自分も親になれず、犬も成犬になれません。
だから、一緒に育つのがこの思春期共育期で、飼い主さんも”ペアレントトレーニング(親力を養うトレーニング)”で鍛えて親になる力をつけていけば、自ずと犬も成犬へと育つための生きる力に必要な力を鍛えて力をつけるトレーニングをします。服従をさせるため、主従のためのトレーニングでも、お利口になるためのトレーニングでもありません。トレーニングは鍛えることですから。鍛えることにお利口もいい子も従うも必要なく、共に生きるための心の筋力(適応力)がついたか?ついていないか?が大切ですし、しつけも教育と考えたら、これも理解でき習得でたか?できていないか?が評価するポイントでこれもお利口、良い子、従う、言うことを聞くという評価もおかしいのです。
しつけ(教育)・トレーニング(鍛える)・最後に大切なのがレクリエーション(共同活動)です。
飼い主さんと共に取り組む楽しい活動が必要です。優しい人よりも犬は楽しい人が好きです。
これに世話、保護してくれる存在であること、暮らしの安定・安全・安心を提供できる能力が人に求められます。
家庭犬は使役犬の訓練と違い、総合的な犬育てをしないといけないので、教える側にも総合力(ジェネラル)がないと家庭犬の子犬~思春期を経て、成犬へという成長プロセスを見失ってしまいます。
6か月齢までは、他の人や犬との交流をしていく過程から徐々に特定の人に変化していきます。
思春期になったら、知らない人が近づいてきて「触っていいですか?」と言われたらお断りしてこそ、犬を守ったことになります。知らない人に突然と触られて嬉しいわけがない。
知らない人が来て、お宅の奥さん(娘さん)触っていいですか?と聞かれ「どうぞ」というご主人(父)はいるのでしょうか?
友好関係を築くステップを踏んでその犬と友人になるための時間と配慮して関係築いていたら話は別ですが、まったくそんなこともせず、可愛いからと突然撫でるのは「痴漢行為」と一緒です。
そのトラウマで吠えるようになる犬、2足歩行する犬、人見ると興奮している犬は喜んでいるのではなく、「来ないで!」とアピールしているのに、繋がらなくてどんどんはげしくなっていくなど、意思疎通の誤解から信頼崩壊が始まっていきます。
イギリスはそうでしたが、すれ違いの時に犬に勝手に触る人もいないし、無意味に犬同士であいさつとやっている人はいませんでした。お互いに許可を取ってから行く、様子を観て犬の状態みて、すぐにブレイク入れたりして犬任せにはしていませんでした。
だから、この飼い主さんと一緒なら襲われない、守ってもらえる信用という結果を積み上げていくことで”信頼”へと行きますが、服従訓練で信頼関係はできません。協調関係はできるかもしれませんが。
私は服従という言葉も、恐ろしい言葉だと思うので、私は”基本トレーニング”とか”基礎ハンドリング”と言い方を変えています。
デリケートな時期だからこそ、この飼い主さんと一緒に社会に出ても護ってもらえるから安心と信頼されていたら、ストライキも他の人や犬、車、バイク、自転車等に吠え襲い掛かったりもせずに、いつも飼い主さんにお任せして安心して歩けるようになれるように保護が大切なのが思春期です。
家の中でも思春期の時期は、色々とやらかすので、ハウスから出る時はリードをつけて出し、手に室内でもリードを持ち問題となる行動をさせないようにして、叱らない環境にします。
そして、リード拘束の苦痛をなくすためにも、リードをつけると一緒にいられて、外すとハウスに入るというようにして、リードで繋がっていることを良い印象に関連付け学習をしながら育てます。
そうして管理されていることを「保護」と言います。保護者と子の関係が思春期はまだ大切なのです。
その間にどうしていくといいか?の室内の生活方法を教育していき、1歳まで教えていきます。
これが保護責任の実践と保護されている関わり方です。
逆に好き勝手にさせて、リードもつけずに家の中を放っておけば、犬は保護放棄されているので、自己防衛の必要性が必然になるので、吠えたり、身を守るために咬む必要性があるからおきます。
一度失った信頼(保護放棄)は簡単には取り戻せません。
だから、指示されると飼い主さんにキレるのも、保護放棄されて精神的には棄てられたと同じなので関係性が崩壊しています。そうならないためにまだリードをつけて家の中は保護環境で育てて、自己判断ができる歳になる1歳まで保護関係と判断できるように教育やトレーニングを積んだら、1歳から自由生活へのスタートへと進みます。
こうしてこそ自由に生きる育みをするのです。これが思春期教育なのです。
ここを伝えないのは、自由を得られないようにさせ、飼い主さんも信頼と関係放棄に繋がることを放棄されたことになるので、私も家庭犬共生のサポートをする専門家としての”責任”として、長文ですが皆さんに発信しています。
ここを知っていて、保護関係から信頼関係へと構築されて、自由共生のできるステップにシフトし3歳齢で「成犬期」に繋いだら、”成犬式”で親卒業、子卒業で無礼講で付き合えばいいです。
私は行動教育という視点よりも、”人間と暮らすための家庭犬としての犬育て”という視点で必要なことを皆さんに提供し、実践指導や教導をしています。
自分が犠牲になって相手の利だけを満たしても幸せではありません。
自分も楽しく、犬も楽しくあってこその共利共生や共利群生です。自利利他が基本です。
自分の為に犬を甘やかさないようにすれば、犬も苦しまないし、自分も苦しみを受けることも避けられます。すべては良くも悪くも”自業自得”です。
皆さんに選択する主体性があります。そして犬も選択する主体性を育みます。
お互いにとって望ましい行動を築いていくことを根気よく、繰り返し”教えて”育みます。
従わせて育てるのではありません。
こうした犬育てに大切な子犬から成犬へと繋ぐ大切で重要な教育期が思春期なのです。
是非、皆さんにはこの思春期こそ教え育てるスキルを養ってもらい。成犬へと育てて楽しく共生を得て頂きたく願っています。思春期の教育方法は子犬とはちょっと違います。また成犬になると戻りますが。
この時期の独特の教育法が必要なので、是非、愛犬と共に皆さんが学び、トレーニング受けて育てるスキルを養って成犬へと育てましょう。何歳になってもスタートできますから。
