心無視したオンリーワンという勝手主義 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

梅雨もあけましたが、まだ夏って感じではないですね。

 

無念、辛さ向き合い、その悲しみは心の怒りの力となって日々頑張ってみえる先生方がいる。

その反面、楽しいばかりを求めて、実際そうした理解できない苦しみと闘う子たちを観て、なんとも思わない人もいる。

それが犬を助ける人になりたい・・という。

助けたい?だったら自分は何ができるか?彼らの支えになれるように貪欲に自分のスキルアップを使命に、学びは自発的に行われる。

この自発性を間違えて、おだてる、その人に都合のいい環境で煽てるになっていることが日本のほめて育てるという意味の間違いがすごく気になるが、実際の自発性は自分にとって不都合な状況下になった時に、自分で決断し実行に移せることが本当の自発性になる。

その分、学びも自ら求めることが多いので、自然と提供と求めるのバランスがよくなれば、初めて授業になる。

 

今の学校を観ていると、子どもたちに何か勘違いさせる教育システムに非常に違和感を感じる。

自らが自発的に学びを求め、責任主体で常に自己改善意識とその実行が出来ていて、他者の評価ならわかる。

しかし、お客様精神で、授業提供しろよという心得で、自分もまともに責任行動がとれていないものが、指導者の評価をするというシステムは一見よさそうだが、今の甘えん坊で、自ら考え、工夫し、相手を思いやる心が出来ていない生徒が、先生を評価するのも、益々自分勝手でわがままを改善したり、自分に意識を向けて見直すことができなくなる。

先生たちは、生徒に教えるために時間を削って準備する。

そして、彼等のためと頑張っている。

 

しかし、受ける側はその先生の想いに応えようとする義務があると私は思う。

教える義務と習う義務の相互に義務があってこそのオンリーワンならいい。

しかし、日本は主張はするけど自分を見直すこと、自分の義務責任からは逃げる。

いわゆる他責(甘え、依存)を強めて、お客様は神様と主張して、利用心になったら提供者は潰され、努力するものが食い物にされる社会になる。

何でも形ばかり欧米となっているが、中身や基礎を見落とした切り取られた情報による形が化けを育てる。

 

教えを求めて、お願いをして貴重な血と汗と涙の結晶を頂くことのありがたさを感じ、そこに教えを大切に敬意を持ち続けられる。

それは人間として、相手を思いやり、感謝があってこそ、提供側も思いやり、感謝も感じる。

自分の満たしだけで、自分に都合のいいように”合理化”と使うのも、勉強、技術だけ素晴らしくても、プロになるとは、人間としての心得、意識がなければ、プロじゃない。

教えを習うことに合理化はない。無駄はない。その無駄にこそ意味があり、それを大切にできないことは、プロとしての人間性ができていない。

思いやりのない知識量だけで誇るプロは、本来はプロじゃない。

今は教育がモンスターを育ててしまい、心なくなった冷たい無機質を感じる。

 

楽しさ・・優しさ・・・、自分が楽しませてもらう時、誰かの身を削る施しを受けているから。

自分も楽して、相手も楽なんて、ただの堕落(楽)。

喜んでもらいたい・・相手を喜ばせる自分の生き様がなければ無理になる。

誰かを思いやることできずして、喜んでもらおうは現実はできない。

犬を助ける・・助けるのはめちゃ悲しいに辛いし、自分を痛めても惜しくない気持ちと実際は自分のどこかを擦り切っている。

人間への配慮ができなければ、犬への配慮はできないだろう。

修行時代の師が気持ちよく、教えられるように、教えて頂くことの礼儀と感謝と敬意をもって学ぶことで、それは飼い主さんに移行できる。

習う時に、横着な態度をとっていたら、偽善的なきれいごとと都合のいい事は言えるが、本当に必要なことがいえなくなる。

 

利用心(都合のいい人)を求め、甘え(逃げ)をさせてくれる人を良い人といい、都合が悪い人は嫌な人となる。

結局、皆、都合の悪い人になるから人間が信用できないし、信用されない。

そして自己改善意識が持てないから「オンリーワン」という言葉で、甘えと我を保持する。

イギリスで、お金を払っているのに、ここは何も教えてくれないし、授業を提供してくれないから詐欺だと帰った日本人を今でも覚えている。

自ら授業を求めるもの。意思を伝えて求めなければ提供できない。

おもてなしは、おしつけになる。

本当のおもてなしは欲しいという人に、提供する。

 

いらない人に教えるのは、嫌がらせになるから、詐欺ではなく、本当の思いやりとおもてなしと優しさなのに。

これが日本にいると何でも保護され、求めなくてもやってもらえるから、やってもらうまで待ち、自分で求めたり、考えたりせず、だから文句がでる。正直、大人してふざけている。

礼儀を大切にした日本人の心は、なくなってきていて幼児性ばかりが強まって文句のオンパレード。

これでは犬も困惑する。

そして、何よりも自分を守る力もなくなっている。

だから、気を付けないでクレームになる。

 

18歳の頃、日本のおしつけのおもてなしで苦痛を感じ、また偏見に苦しんでいたAETの友人がいた。

学校に英語を教えにいくアメリカ人の先生をしていたが、すごくやせ細り、ナーバスを感じたのが第一印象だったが。

日本では、ストレートに受け止めてもらえない、皆が目の前では笑顔で愛想ふって、影では悪口をいうことに心傷ついていた。

一緒に職場のエリアから離れた場所に遊びにいき、気分転換して、精神的に不安定な時はいっぱい八つ当たりも受けた。

まっすぐ、素直にぶつけてくれたらいい、明るい日、優しい日、急に怒り出し、泣き崩れたり・・こちらがノイローゼになるかと思った時もあったけど、言えばいい。日本人と違ったのは、言っただけ自己責任を忘れない。

食事がとれない日が続いていたが、半年過ぎた頃には、食べれるようになり、顔色もよくなりやっと楽しいと感じることも多くなった。

仕事がおわれば、話して嫌な気を放してもらった。でも自分も言う時は言った。

犬のプロになるのに関係ないようだが、犬たちも意思を理解されず、優しさを押し売りでノイローゼになっている犬のケアする心が育った。

その友人は6年日本に滞在後、アメリカの大学に戻って今も教鞭をふるっている。

 

当時も日本の教育に違和感をい示していたが、まさしく今、その話は現実となって直面している。

これ以上、工夫しない、相手の心を大切にしない、主張は一人前で、責任は負えないという責任未主体から変わらないと、ロボットじゃないと逆に相手を傷つけてしまう。

心があり、温かい人間がやはり施してこそです。

今一度、教育も生徒たちにもっと勉強より大切な人間性を取り戻す環境が必要です。

若者が悪いのではなく、お客様に扱い彼らの心を壊すのは、ビジネスであり、大人の都合です。

 

海外の友人、この道に入るにあたって私をスタートラインに育ててくださった先生方から習った「教えない授業」がこれから大切なのかもしれません。欲しないなら教えない。教えられると思うから欲しない。欲しないようにしている。

だったら、与えなきゃいい。それが相手を育てて、相手の為になり、自分のためになる共育だと思います。

教えてもらえるのを当たり前と思うな!

教えてもらえるように工夫する教育がプロになる人間は育てるべきです。

 

自発性と責任主体があってこそのオンリーワン。

責任のないオンリーワンは存在しない。