犬の精神病を作るな!! | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

今日はタイトルが厳しめなタイトルになっています。

正直、腹底から本当にムカつくから。

犬が苦しんでいるのなら薬を使うのは犬に優しい??

 

薬を使うのが犬に優しい??

どこが優しいのだろう?

何故、これに疑問を感じないんだろう?

心臓の病気、胃の病気、腸の病気・・そうした病気の治療での薬ならわかる。

精神的な問題?で薬を飲ませるのとは訳が違う。

その人は実際に自分が飲んだのだろうか?

 

飲んでもないのに、「優しい」というのは無責任だと思う。

抗不安薬や、抗うつ薬は、そうした状況で体に不調が表れた時に、「楽」になる。

「楽」を知るとどうなるか?薬がなくなると「苦しく」なる。

苦しいからまた楽を求める。

飲めば「楽」になる。薬の楽から抜け出す苦しみを新たに作っているという認識はあるのだろうか?

これが現実であり、事実です。

でも「楽しい」と「楽」は違う。

楽しくはならないけど「楽」にはなる。

 

優しさとは、そもそも犬がそうした精神状態になるような環境的要因をまずは改善するのが最初のステップでないといけない。

犬の苦しみの要因を理解して、こちらが改善してあげて軽減していき、またそれに対する力をつけるためにトレーニングで必要な力を鍛えていき、適応できるようにしていくサポートをする。

そして、その導きを受けながら犬自身が自分でそれを乗り越えてこそ、その子の力となって、その子を助ける。

そうすると自身でやったから「自信」になっていき、苦痛がなくなるではなく、苦痛でなくなる。

こうしたサポ―トが「優しさ」です。

 

神様も、仏様も慈悲や愛など、優しさは手助けしてくれるけど、楽は与えない。

こうしてこちらの向き合い方の改善や、その子がそうなる状況を作っている自分の改善はさておいて、犬だけを直そうとして、薬を使うのはそれは優しさとは呼ばない。

まず、犬ではなく自分のすべきことを懸命に努め、ゴメンという詫びの気持ちで必死に取り組んであげる。

必死にやったあげく、それでもフォローしきれなくなった時、そこが薬による補助をしないといけないタイミングになる。

日本人は特にそうだが、すぐにできないと甘えている人を助ける。

これは助けではなく、甘えを強化させた「堕落」になるし、これを視点を変えると助けということをした人の自己満足の善意だけで、相手のことを考えず自分が耐えれないし、嫌われ者になりたくない「逃げ」になるのです。

 

その逃げは、実は上から目線で、助けてあげたと相手を見下していることに気がついているだろうか?

大人は赤ちゃんじゃないから、自分で判断し、工夫することができる。

大人にあーんしてください!トイレでズボンを下ろしてあげようか?・・何かと自分でやれることを「あなたはできない赤ちゃん」のように扱われたら、これは親切でも、思いやりでもなく、”馬鹿にしている”となる。

犬に赤ちゃん言葉を使ったり、かわいそうと擁護するは、犬を馬鹿にしている。彼らの力を信じてあげていない。

あなたはできる子だからと背中を押すのが「優しさ」でしょう。

私は海外の友人に、一度馬鹿にしているのか?そんなに弱くないし、これくらいは自分で乗り越えることができるから上から目線で良い事してやったと恩を押し付けるな!と怒鳴られたことがある。

 

犬は愛玩じゃない犬は立派な犬という生命

おもちゃを大切に想うのは愛玩でいいが、ウサギもモルモットでも小動物というのならまだしも、愛玩動物というのはひどい呼び方で彼らの命を冒涜している。

 

犬を成犬へと発育させないで、精神をおかしくているのは誰でもなく私達人間でしょう。

病気にしておいて、かわいそうと「精神薬」を飲ませるのを優しいというのは本当に止めて欲しいし、私がこの道に入る時に教えてもらった先生に耳がタコができるくらい言われ続けたのが「犬の精神病をつくるな!」です。

犬に精神科医は必要か?という書籍を出版していますが、答えはいらないという答え。

教えて育ててもらっていないだけで、わかれば普通の子。

正常で、普通の子に「ストレス」がと薬を出すことを止めることの倫理がヨーロッパでは厳しくなってきているのに、日本は今頃何を思ったのか「薬」に対して安易に手を出しすぎて、頼りすぎているようになっている。

本当はもっと慎重になるべきなのです。

 

犬を自分の穴埋めをする代償物に扱っている人ほど、自分の反省を認めなくてすむ言い訳として「薬で苦しみを解いてあげた」ということが、自分の過ちから逃れる格好の言い訳、偽善が成立する。

とても都合がいい。自分が可愛い人にはこの選択は本当に最善の策となる。

私も必要なら使うべきだが、だからと安易に初期選択にするべきでない。

彼らにはチャンスもできる力も備わっているのを、引き出して伸ばしていないだけだから。

トレーナーが薬を反対するのは、私はあえてトレーナーが安易に薬を選択するようになったらこの日本人は心亡くした抜け殻になってしまったらマジでやばいから、反対する立場でないといけないと思う。

ただ意地悪をしているとか、精神論だという人がいますが、トレーナーの心が理解できていないだけで、彼らの種としての行動をしっかりと観ぬいて異常性か異常性でないかは一番見極める観察力があるポジションだと思う。

これは教科書勉強ではなく、実際にメンターについて現実の犬の姿をみて、彼らのメッセージを読み取ることを学んできた人なら、犬を観て飼い主さんの接し方、意識にも目を向けている。そこで、「人が作った苦しみの種で犬が苦しみ、またその苦しみが飼い主さんに戻って苦しくなり、それを「問題」と呼ぶ」という現象に見通せる。

 

観音様は優しい姿をしているが、観音様の前で転んでけがした時に観音様が手を差し伸べるでしょうか?

自分で助かるために起き上がりなさいと待って観ています。

自分で立ち上がった時に目の前におだやかな姿で安心を与えてくれる。

よく頑張りましたねと言われているように。そうして転ばない気を付ける力を身に付けるチャンスを奪わない

親とは、本当に必死になって、自力では無理な時に助けるが、自分で乗り越えられることは手を出さず、口を出さず見守りながら、もしできるのに甘え心で逃げそうになった時には、その逃げという魔に負けないようにしっかりしなさい!と怒るのは相手の為であればそれは「慈愛」になる。自分の思った通りにならないことで怒るのは、それは幼児が思い通りにならないと怒っている「甘え」

 

人の甘えが犬の精神的な障害を生み出しているのでしょう。

病気にしたがる、犬を病気扱いにして薬を飲ませたい、飲ませて安堵するのは、そうして精神を壊していっている。

愛という心で包んであげられないから、犬も信頼できずに一匹で抱え、対応しようと必死になっている孤独なのです。

これが厳しいと感じる人もいると思います。

甘いことをいう人が優しいでしょうか?私は相手を信じているからこそ、その方ができる、気づける力があると信じているから現実の話を伝えているだけ。甘い言葉をかけた方が楽だし、嫌われないけど、相手もダメにしてしまう。

その人の課題はその人が乗り越えないといけないのです。でも、特別なことではなく、普通に一緒に生きるうえでできることを私は伝えています。特殊なことを求めてもいません。

 

薬を使うことは犬の苦しみを解く優しい選択ではない。

楽にさせる選択です。

薬を使わないでできるようにしていくことが「優しさ」ですねという人が増えていくことを願っています。

 

皆で犬を精神的な病気を作らない!!

それにもっと真剣に、そして耳を傾け実行して欲しい。

犬を愛玩と平気で呼ばないで欲しい。大切な家族といっているのなら、本当に家族として扱ってあげて欲しい。

(夫)妻は俺の愛玩だと言われたら嬉しいですか?

玩具じゃなく、大切な人です。だから尊重しあい、協調しあう。犬も同じです。

行動学??本当に家庭で暮らす犬の行動メッセージを学んでいるのでしょうか?

その為には飼い主さんの心の改善ポイントを見つけられないと犬の行動の理解はできないはず。

犬だけで暮らすのではなく、人間と共に生きている犬の行動心理は、メンターと共に双方を観察できるスキルがないと行動カウンセリングもできず、犬だけの現象評価になるだけ。形だけで、形を変える。これは「モノ化」です。

 

人間の甘えという魔が、犬の心を壊し、生贄にして生きる力を奪ってしまい自分で適応できないようにさせて苦しめる。

指導者も、その人が自分ですべきことはさせるように見守り、自力で対応を体で学びスキルを育まないといけない。

甘えている人に、甘えを提供したら、飼い主さんの力を奪い、自分を見失わせてしまい「自身がない」=「自信がない」になり、依存させるのは、自分のいいなりになる生贄化する「魔者」になってしまいます。これを「慈悲魔」といいます。

魔が差すというのは、「甘えで相手の心を奪い、自力を無くす魔物」で、努力を奪う「甘え」=「魔」なのです。

魔除けは、甘えの誘惑に惑わされないように除けること。

 

人も犬も魔除けの御守として、いつも自分はできるを合言葉に、自分の力で歩くようにしあう本当の「やさしさ」を優しいと言える社会にしたいと願っています。

犬は犬の種として当たり前の正常行動をしているだけ。これを問題とか病気のように意識してなおそうとするのは、正常から異常にしている逆をしているのです。

 

これ以上犬の精神病を作るな!

その為には私達の意識を見直すこと、甘えから立ち上がることです。

これ以上犬を愛玩という人間だけの欲を満たす玩具としての代償物にしないで欲しい。

彼らは私達の魔を追い出すために闘ってくれている、教えてくれる先生だと思う。

先生に敬意をもって、先生を堕落させない、自分も堕落しない気持ちで共利群生という共生を広めましょう。