自身を見直すのが問題解決の道 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

やっと梅雨の影響が始まったようですね。

教室では突然の突風があり、竜巻のような現象がありました。

こうした時は頭がぼーっとして交通事故などが多くなりますから気を付けてください。

 

子どもの問題も、犬の問題も、メカニズムは本当に共通している。

もちろん、人間と犬の違いはあるものの、心に関しては共通点がありますから同じ要因になるのは当然です。

両方に共通しているのは、どちらも人間の大人が育てている親であることです。

子どもの暴力問題なども、犬の咬む問題も、やはりそうなるプロセスがやはり見直していくとなっています。なるべくしてなっているので、実はそのきっかけを作っているのは、育てる親なのです。

責めているのでもなく、悪いと言っているのでもなく、そうなるようにしていることに気づき、自分を変えないと、変わらない現実を見つめて欲しいのです。

 

まずは、対話をしていきながら犬ではなく、自身を見直していくことが重要になります。

ここをせずして、犬の改善するアプローチに意識を向けてしまうと、自分と向き合うのではなく、他責(相手に要求する依存(甘え))を逆に強化してしまい、犬たちの言い分を無視してただ人間の都合のいい形だけを求め、その形だけで満足をさせてしまうことを逆に専門家がさせてしまうリスクにあまりにも無関心なことが本当に私は危ういと感じています。

子どもが家で問題を起こした時、まずはこの子に薬を・・とはならないのです。

まずは理由と原因を聴くことから始めます。

理解をしてあげることがまず最初です。

 

その次にそれに対して何を提供してあげるべきか?聴くばかりではどんどん相手の要望だけ聞き入れて思い通りにならないとまた暴れるだけになるので、相手にも受け入れることをするようにしていかないとコミュニケーションが出来なくなります。

親子問題も、犬と飼い主さんの問題も、こうした時にやはり理解は出来ても自分の意思を伝える努力から逃げてしまうことがやはり問題解決に至らないケースで多いパターンです。

また、こうだからこそ、犬も逃げることを知っているから信頼できなくて犬も孤立し、一匹で辛さを抱えてしまっているのです。乗り越える、適応する力を育ててもらえず何でも自分の想い通りになっていたことが通用しなくなった現実に直面した時に対応できない自分に自信がなくなり、脅威になっていき苦しいから攻撃するのです。

楽しくて攻撃するなんてことは正常ならありえませんから。

 

犬や子どもをなおすのではなく、そうさせてしまう自分自身を見直し、犬にできることを一度整理します。飼い主さんも愛犬が〇〇だからではなく、自分はこうしないといけないという意思を持って伝えることをしていかないと、相手がそれを理解しなければ解決はできません。

犬もそうですが、その苦しみを乗り越えるには、その子自身が乗り越えないと代わってはあげられないのです。その導き、背中を押す、信じてあげてできると導き、自身で頑張って力や術を養っていき、自覚を手助けするために「労いの想い」「褒め」という手段で伝えて”自信”を育むのです。
自信は自身で実行しないとつきません。これは犬も飼い主さんもです。

誰かにやってもらったものは自身でやったものではないので、崩れたらまた元通りです。

 

咬むという行動をするとき、咬む行動に至るまでには、協調力、自制心、逆境力

(ストレス免疫力)を育まず、育む負荷から逃がした結果、その力がなく弱いものは脅威に襲われているので、その脅威に耐えられずに攻撃をするのです。

自分の想い通りにならない苦痛でキレる・・しかし、これはその育てている親がそうではないでしょうか?教えもしないで、お利口を求めて、思い通りにならないとキレる思い通りになっていると可愛がって甘やかす。思い通りになっていると飼い主さんに甘え、思い通りにならないとキレる。結局おうして分析していけば、親と子は同じで、こうして育てているのです。

自身がそうだから、育てる相手もそうなるのです。

だから自分を見直さずに、犬を直すなんてできないのです。

自分は見直さず、改善努力せずに犬だけに改善を要求するのなら、犬の気持ちを殺す虐めです。

優しいという方法であってもです。

 

甘え(逃げ)が甘え(逃げ)を育て、他責(都合悪い相手を責める)が他責(都合悪い相手を責める)を育てていくのです。

因縁果の法則がありますが、問題な犬は病気でも、あたまがおかしいのでもなく、そうなるように育っているのです。昔も言葉に疑問を問いかけたことがありますが、行動を治療するという考えそのものが一方的な攻撃にもなっていきます。アンフェアになるだけで、本来はフェアを目指すのが本来の目指すべきポイントでないといけません。

 

問題と呼ばれる子たちの多くは本当の愛に飢えています。

こんなに愛情を注いでいるのに・・。愛とは甘やかすことではありません。

甘えで堕落しそうな子を助ける時の愛は、厳しさ(相手を救おうとする怒り)の愛が必要です。

頑張って頑張って疲弊している子を助ける時の愛は包む(慈悲)愛が必要です。

愛にも色々な形と種類があります。

すべては自分のわがままを満たすためではなく、その子自身が自分で生き抜く力と術を育ててあげて生きられる子に育てるためでないといけません。

本当にこの子が大切で社会で共に生きていくためにいけないことをしていたら、真剣にそれに叱ることは必要です。叱った後には、憎くて行っていませんから、必ずわかったか?と理解を伝えて終えられます。好きで叱っていないのです。その子の為に必要だから叱らないといけない。

これが責任だし、愛だと思います。逆に知ってて叱らないのは偽善だと思います。

自分さえよければいい。

 

人間だって神様ではないので、逃げたい時だってある。

それも認めつつ、見つめなおすからまた前向きに壁を乗り越えていけます。

逃げていても、結局その壁から先へは進めないのです。

 

都合主義(わがまま)な人→都合主義(わがまま)な犬→都合悪い人を攻撃する。

こうした関係の問題がほとんどで、行動や心はその関係の中でつながった一部の現象で、それだけを対処していても、深部を改善しないと結局、「誤魔化し」で終わるのです。

また嫌なことをすればキレる=薬を増やす・・ここに「愛」は存在するでしょうか?

私は無情冷酷さを感じます。もし自分が犬だったら、こんな対応されたら心は死ぬと思います。

温かさを求めて、もがいて暴れている子に、やはり真剣に熱心に向き合う温かさが心を埋めて助けるのです。

これが本来の「人間性」ではないでしょうか?

学問というプログラミングで動いているロボットのような判断になりつつある無機質な今、やはり心と向き合うということを見直す時だと思います。

 

科学も大切ですが、科学はすべてではありません。

生きている人間だからできることを生きた心と犬の生きた心でクラッシュしあいながら、共通を築いていくのです。

異なる種が共存するのですから衝突は必ずあります。壊して、新しく共に築くのです。

かわいそう・・と庇う人を見てて、現実はどうでしょうか?そうして犬をどんどん苦しめていることは認めない。

甘やかす・・嫌なことをさけてあげて、現実はどうでしょうか?そうして犬をどんどん苦しめていることは認めない。

もっと認めないのは、そうして甘やかして苦から逃げた結果、自分にその苦が返ってきてて一番苦しんでいる自分を守れていないことです。問題って結局自分が苦しい、困るから「問題」と言っているのです。

甘やかして、大変にさせて自分が一番苦しんでいることからまずは助からないといけないのではないでしょうか?

犬よりも自分を助けてからでないと犬を助けるなんてできないでしょう。

 

だから甘やかしてはいけないし、無責任に嫌われないように要求に応えていたら、自分が脅威に犯されケガをするのです

それが他人に対して拡大していったときの責任を考えないのは、本当に恐ろしいことです。

自分の犬が他人をケガさせたことを平然とみてたり、それでもかわいそうと改善しようとしないのは、無責任であり、無責任は愛なき姿です。自分の愛犬が他者を咬んでケガさせているという事実に、これではいけないと真剣になっていくべきです。

かわいそうだから・・それで他者を咬んでケガさせてもいいのでしょうか?

咬む子を可愛いなんて妥協することは、その子自身を奈落に落としていると同じです。

ダメなことはダメなのです。それもしないで叱らずに・・何か間違えてないでしょうか?

わからないのです。だから教えないと教えないのは罪です。

 

日本でまだほとんど普及していなかったころに、イギリスの行動診療医の獣医師から問題解決のサポートについて学びました。

獣医師ではない私のすべきこと、そして獣医師として連携する意義、チームワークも学びました。

そこには、咬む問題を治療するという概念はありませんでした。

ストレス障害で起こる心身症(検査では異常はないのですが、心の不調からくる体の不調)の治療サポートをしていました。

それが医療サポートで、心のケアやリハビリはカウンセラーやトレーナーがメインで行い、飼い主さんと犬の中立として相互サポートしていくことでした。問題改善で犬を直す対処法を指導することなく、飼い主さんのサポートや犬のサポートの基本はトレーナーやカウンセラーが担い、体の不調に表れたものを医療でサポートし、トレーナーやカウンセラーの指導の必要性を伝えてくださっていました。

私は連携は必ず必要だと思います。心を薬で治すのではなく、心の不調からくる体の不調を治して心をサポートするというのが本来の順番だと思います。

 

育み、関係の問題は薬では治らないからです。

教育の欠如も薬では穴埋めできません。それは教育でしかできないのです。

楽に相手だけをよくしよう・・そうした気持ちが問題の始まりであり、それ自体が問題の本質なのです。

命を育てることに楽はないのです。苦楽はあっても。

そして自由を知らずして、放任にしていることに気づいてください。

 

私の尊敬している方がこんな解説をしてみえました。

自由とは、仏教用語で自らを由(根拠)とする。
「自分で決めたのだから、どんな結果になったとしても自分を理由(自分の責任)にする」
という覚悟が前提として存在するということ。

 

犬にこれを担えというのは、厳しいことです。

だからこそ、根気よく一から管理という保護の中で、自分で判断して人間社会の適正行動がとれるように教えてあげて、習得できてこその自由です。飼い主さんも自由になれるだけの覚悟がありますか?

自由は厳しいのです。そして辛いのです。

それでも自由を選ぶのです。自由を選ぶために教育とトレーニングが必要なのです。

 

犬だけの知識では、共に生きるを確立サポートはできません。

人間と犬が共に生きるための知識と技と術と心、意識が備わっていないとサポートも指導もできません。

私は当初から犬が好きだから、この仕事を選んでいません。

人間と共に犬も暮らせるためにを考えるのが好きでこの仕事を選びました。

私は双方の喜びを観るのが幸せで、ご褒美です。

 

こうした心を見失いかけている今だからこそ、自分のすべき使命をしっかりと果たして命を活かしていかないといけないと感じるようになってきました。後世に引き継げるように努力がもっと必要です。

甘いことを伝えるのではなく、本当に助けになる現実をしっかりと伝えられるようにこれからも信念もって取り組んでいきます。

皆さんと犬たちの生きる喜びの為に。