日が長くなりましたね。これから夏に向かうのが私は身構えておりますが、暑いのが苦手なので、今年も無事に乗り切りたいです。
私は犬の問題ではなく、飼い主さんと犬の暮らしの問題をサポートするプロとして11月で20年目になりますが従事しています。年々変化を感じるのは、人間的な常識で良い、優しいことに満足して、実は相手をただ都合のいいように一方的に変えたいという動機が増えてきています。
また日本人は線引くことや、この子は〇〇な子と決めつけが好きなので、可能性を潰してしまっているケースやそうなるように植え付けてしまっているケースを多くみるようになっています。
犬も人間も心があります。私は目には見えないけどその気持ちを届けたりする声を合図や褒めに使い伝える方法を大切にしているのは、せっかく使えるのなら、その気持ちを伝えることを声で行うことを大切にしたい。声が使えない方でも身体表現がありますから、その場合は一番疎通しやすい行動という言語で対話をしていくことは実は奇跡のようなことなのです。
そして犬の行動メッセージ。意思表現や主張することは大切なこと。犬はしっかり主張や意思表現をしている。
しかし、人間はどうだろう?思っているだけ、考えているだけ、わかっているだけ、伝える努力を怠り、自分の想いに応えて欲しいと怠惰になってきていないでしょうか?
共に生きるとは、「呼吸」だとある呼吸器内科の医師が話していました。
受け入れる、聞く、理解する(吸う)、伝える、主張する(吐く)これが吐いたままだと苦しいし、吸ったままでも苦しい。
吸う吐くという「呼吸が循環して初めて生きる」ことができます。
「長生き」するは「長息」とも言います。生きるは息が循環するということでもあるそうで、コミュニケーションは共に生きる循環の基本です。
問題はこの呼吸はうまくできなくなっている「心の窒息」と私は思っています。かわいそうだからと何でも犬の主張に合わせていたら、吸う機会を奪っている。受け入れる術を育ててもらっていないから、受け入れる苦痛を感じ、協調が育ててないから相手を受け入れる苦痛が生ずる。
やってはいけないこと、やっていいことも犬はわからないから、素のままで、異常ではなくむしろ正常な犬ばかり。わがまま=悪い、問題ではなく、相手の言われるがままに対応しているのですから、「我がまま(オンリーワン)」が当然です。協調を育てる為に協調を犬自身に実行させられるようにできないと協調を育てることはできません。
それを病気や問題(異常)のように扱い、正常な人に治療やオペしたらどうでしょう?大問題です。
犬だって一緒です。犬は何も教え育ててもらっていないだけで、それを病気のように扱いなおそうとする考えが病気だとも言われますし、それが問題です。
わからない、ストレス性も、何がストレスか?を本質を見極めてそれに適応できるサポートをしてみるのが第一選択で、それを続けてもその苦痛が強すぎる場合に、補助として薬のサポートを受けることを耳にタコができるくらい私も言われてきましたし、今も基本はまずはその子の素の状態で数回の回数を重ねて対話しながら理解し、何をサポートする必要があるか?を見定めないと、他力で抑えてしまうと本質が見つけられずにその為のサポートが見つけられなくなってしまうリスクがあります。皆さんもまず、すぐに死に直面しないことであれば、「何故?」を考えていき、本質を見極めて「何を?」の主体性となる軸を飼い主さんがもってスタートすることが必要です。
親心・力を見失い、考える力、行動力、適応力を奪ってしまっている「人間的に優しい」が彼らを苦しめ、自分を苦しめることになっているのです。
犬にどうすべきかを教えない。かわいそうだから止めない。
その間も犬は犬としての常識反応し続ける。わからずパニックしている子に教えないのが一番虐めではないでしょうか?
私は異文化の中で、その体験はしました。わからないのに、問題呼びされて、でもわからないからその一員になれない孤独感と疎外感。いけないことはいけないと教え、どうしたらいいか教える・・これは「犬育て」も「子育て」も共通しているところで、しっかり頑張っていることは褒め称え、自分が持っている自分で気づけない力を自身で行動させてできるという認知を手伝い褒めて自信を育てることが、親としての愛だと思います。
犬と人間の子どもは違っても、育てる親となる人間は同じですから、共通して当然です。
この愛を無視して、いけないを教えないでただ犬が望ましい行動をとるまで待って褒めるって、逆に苦痛だし、散々力奪っておきながら、この子は怖がり、ダメな子呼びをするってすごく相手を傷つけていると思います。
犬ができないことには必ず理由があります。
その理由をまずは知ってあげないといけません。ここで終わらず、次はどうすべきか?を教える努力をしないといけません。
〇〇だから、誰かを咬んでケガをさせていいなんて理由は無責任です。〇〇だから人を殺していいというのもあってはならないのです。
〇〇なら放置せずに、管理(保護)する責任があります。
何を育てたいのか?教える側(親)がその意思があいまいだと子はわからないのです。わからないのをわかれと言っても無理です。犬ではなく、私たち育てる側が、何を教え、どんな力や術が必要か?の目的をしっかり認知していないと、形だけのお利口さんを育てても、人間の自己満足になってしまいます。
生きるという目的に必要なことは?
無人島で一人、一匹で生きるならやりたいようにでいいですが、社会で共生するということはそうはいきません。
協調、自制、逆境力、こうした生き抜く力と術を育んであげるためには、親が協調し、顔色伺って合わせていたら、犬や子の相手に協調できる力を奪ってしまっているのです。
この奪う行為は中々気づけませんが、それを気づき、親が変われば子は変わっていくのです。どちらも救われ、いっぱい楽しい生きる時間を自意識、自分の意思で生きてで過ごせます。
他力によって自分の都合を満たしても、自分でやっていないものは心は満足がないのです。もし都合通りに犬が育ってくれても、自分の努力がないと結局満足もなく、また相手の頑張りを認め、尊重できる、敬意もなく、感謝も忘れてしまいます。
共に取り組んで育みあうことで、自身で生きる自信がつくのです。
甘えによる問題は、どんどんと命が育たない環境に広がっています。これが問題の本質ではないでしょうか?
親としての育てるという学び、育ててもらうという学び、共育で、今一度、共に生きるための教育がなされる社会になっていけたら、思いやりの社会になっていけると思います。
人間の欲得のみの満足で、周囲が犠牲になっても自分の快を得ることが当たり前にならないように、犬を通じて人間性を取り戻す時だと私は思います。
これからも、ただのお利口ではなく、「犬育て=親育て」の「共育」を目的に、問題の解決と成長のサポートケアをしていきたいと思います。
犬の立場から見ると、「どうしたらいいのか?飼い主さんが合わせてしまい、要求に応えてしまい、なのに怒ってきたり、問題評価され、ダメな子扱いされて、わからない。優しい姿よりも、自信もって生きられる力と術を教えてほしい。それがわかればできるから」。
可愛がっている、癒されている、優しくしている・・そんなことより、誰も犬の視点や立場を理解しようとすることを忘れて、人間的常識のお利口な自分に満足することばかりしている。
どうしたらいいのか?教えてあげてください。
皆、わかればできる子たちばかりですから。
私は皆さんの都合のいい人に、犬に都合がいい人になるつもりはありません。
「為になれる存在」でありたいと思います。
為になれる存在になるには、時には嫌われることも行わないといけません。
手を出さずその人、犬自身で考え、動けることをあえて行わせて待つ力も必要です。
導きはしますが、あくまで自分の足で歩いて実行する人や犬を導いたり、背中押したりしてサポートはします。自ら実行する人のケアもします。
でも、自ら実行しないで文句だけ、不満だけの方はケアも手助けもできないのです。
私が「しない」のではなく、「できない」のです。
私にはそんな力はありません。お腹空いたから代わりに食べにいってあげて、相手を満腹にさせてあげる力はありません。自分で食べて自分を満たさないと、空腹を満たすことを私は代わりにはできません。歩もうとする人にガイドはできるけど、背負って歩むことは無意味なのでしません。
赤ちゃんではないので。それは犬にも言えることです。
自分で歩かせないと、自分の力として与えてあげることができません。
その方が力つけたいのに、つける必要があるのに、私が変わりにトレーニングしても、私の力になりますが、相手の方の力にはなりません。
何でもやってあげて、力を奪う人と、いじわるだけど、自分で行うチャンスをくれて力を得る機会を与えてくれる人とどちらが本当に優しい人でしょうか?私は後者だと思います。
私も手術を数回受けていますが、自分が治そうと努力する上で先生の手術を活かすことができますが、いくら一所懸命先生が手術してくださっても、自らがよくしようと努力しなかったらいい成果はでません。
犬たちと向き合う時も「しっかりしてほしい」と言いながら、自分がその子の成長のチャンスを逃がし奪ってしまっていたら、その子はいつまでも成長できません。
皆さんの意思と実行が伴ってこその、成長です。
犬に良き成果を求めて、甘えていることが「改善ポイントの核」だと感じます。
自分の甘えと向き合い、自分が自分の甘えを乗り越えてこそ、犬たちを成長させてあげられる親になれますし、成犬(人間なら大人)に育んであげられる親になれたら、問題でなくなります。
自分で努力することを前提に、全てを背負わず補助してもらいながら前に進めばいいのです。
これは甘えではなく、「協力」です。
「協力」を求められる人は「強力」になって、サポート力も強くなれます。
私の事として、真剣に向き合ってあげることこそ、その子への愛情になって「甘やかす(逃がす)」のではなく「協力する」存在になれます。
すべての行動や実行や、犬の行動も、原点は「私たちの意識」から始まります。
その意識の方向性が違う方に向いているのに、実行して進ませても目的地から外れていきます。
指導は、意識の方向性を修正して、こちらですよと導くことで、こうしなさいと飼い主さんを従わせることではありません。皆さんの意思で、進むべき方向を示すので後はそちらに向かうか向かわないかはその人が判断し、自分の意思で動かないといけません。
自分で決断する力と自信を取り戻してもらうのが、私のサポート目的です。
考えること、理解していくことで、現象に振り回されずに、何が必要か?ぶれない軸が持てたら自然と犬も皆さんの軸で輪が安定したら「和」が得られて「平和」になります。
人間と共に生きる力と術を備えて、自信もって生きられる子に育てる。
家庭犬としての一生を楽しめるための育みを少しでも広めて、生き苦しむ犬を減らしたいと願い、これからも務めてまいります。
