甘えが強まる社会の中で | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

暑いのが苦手で、体調崩しやすいので苦手な季節。

昼間と夜の寒暖差が激しいので気を付けてお過ごしください。

 

日本の生活を一度見渡してみると、本当に親切すぎるほどのサービスに満ち溢れている。

これだけ便利な社会で生きていると、これはどんどん努力、工夫する必要性がなくなり、便利に慣れれば不便が苦痛に感じやすくなります。

こうした社会で過ごす私たちはどんどんと相手に要求が高くなり、駄々をこねる大きな甘えん坊になりそうで、自分自身もいつも気にしています。

 

ストレス社会と言われていますが、よく考えるとこんなに便利な国にいてストレス??って思います。

海外に行くと、日本は相手に対して丁寧すぎるというか、提供者がお客様の奴隷かのような扱いをされているようにも見える。これでは「わがまま」になるな・・と感じます。

これは自分を犬に置き換えてみても同じで、あまりサービス提供しすぎて、快適ばかりを提供すると「不満」「イライラ」が起こり、思い通りにならない苦痛に耐えられず常に思い通りにならないとキレるようになっていくのは当然に思う。

私はよく病院にいき感じるのが、待てない人たち。

怒声をあげて、「早くしろ!」怒る人たち、そしてスタッフに脅しをかけるように言っている。

その割に自分の番がまわってくると、他の方への配慮なく話が長く、待っている人のことは忘れる。

 

これが「優しい社会」なのだろうか?

私は「甘い社会」なのではないかと思う。

こうして待てないで怒る人たちをみて、私は恥ずかしく思う。

いい大人が待てないのに、それを見て育った子たちが思いやりが育つはずがない。

むしろ、気に入らなければ暴れればいいと勘違いして当然。

相手の未来を考えて、愛情もって育むことがわからなくなってきているのでは?と感じている。

 

お互い様の日本の心が、支えあう共生を築いてきました。

いけないことはいけないと叱り、街のみんなで子育てをしていました。

決して、便利ではないため助け合って生きてきました。

皆が必死に取り組んで、誰かの為を考えて毎日働く。

子どもたちにも、媚することなく、その子が大人になって迷惑をかけない、為になれる子に育てるという目的を持って教え育てていました。

まさしく、親が合わせてくれないことで「協調力」が育まれていき、学校でも皆と譲り合い、「協調力」を育まれてきました。

 

そこに本質を見誤った「オンリーワン」という言葉が流行り、個人主義ではなく、利己主義になってしまいもっと自分に利を与えろ!!、俺が俺だ!私は私だ!と勝手主義が美化されて、いわゆる「我がまま」になっていきました。

これが「我がまま」です。相手のためにはなく、自分だけの利を常に考えて、要求しているだけの我がままです。

人間がそうなっているのですから、犬もそのように「我がまま」になっていって当然です。

 

犬は犬としてそのままです。異常ではなく犬としての常識で正常な犬を「問題犬」と呼びます。

何も教えていなくて、その子の思うがままに対応してきた結果、それは自然の法則で、思うがままにならない苦痛で苦しみ、暴れるのです。

これは犬ではなく、人間がそうさせたのです。

その人間への気づきを促さずに、犬だけを見て、犬だけをまた都合のいい行動に変えればOK!益々自分を満たすだけの「わがまま」を強化する「トレーニング」になってきてしまっています

犬を評価し、「ストレスの本質」を理解せぬまま、その表面だけで「ストレス苦痛」として、対処するという方法は人間には都合がいいですが、結局、根本を考えると人間に都合が悪くなって返ってきます。「優しい方法をしている=いい人」という自己満足を強化して、他者の視点を客観的に観て、先を見据えた不足しているところ、補うところを見つけられないのが、今の犬のしつけトレーニングの現状でしょう。

 

犬が安心して頼れる存在になれない、きっと犬からみたら甘えん坊な子どもに見られてしまい、犬に守られるほど甘えが強くなっていることに、気が付かないといけません。

 

「あの子が〇〇をした!と親に報告し、親にその子をやっつけることをしてもらう!」

「私は悪くないもん!あの子が悪いもん!」

 

犬をなおすとか、犬の現象評価ばかりして、犬を都合のいいように変えるお手伝いをしてくれる、甘やかしてくれる専門家が「いい専門家」となるのでしょう。

私はそんな「いい専門家」にはなれません。

現実、生きるとは様々な協調をしながらでないと共生ができませんから、自分のやりたい放題には生きられません。私のための地球ではありませんから。

このいい専門家も「今だけいい専門家」で、その先のその方と犬の未来を楽しめることを提供してくれる本当の「優しい専門家」が犬にも飼い主さんにも必要です。

 

日本は本当に親切で恵まれすぎている幸せな国です。

だからこそ、自力が弱りやすいという試練があります。

これを自制して、責任主体をしっかりしていかないと日本は「生きている喜びや感覚がわからなくなる」国でもあると思います。

千と千尋の神隠しのチー坊じゃないけど、自分で努力せずに誰かに満たしてもらうことを求めてうごかないでいると体ではなく、「心が慢心で太る」のです。

犬育てで、「もう!」とか「だめ」とか、できないとすぐに努力や負荷から逃げて「無理」となってしまう。

 

私たちは「親心・力」持っています。

しかし、それを使わずに子どもになって、犬に「親の愛情を求める」ようになっているように感じ、可愛がるのではなく、自分が「甘えている」のだと思います。

問題は「犬ではなく、私たちの甘えん坊」です。

この「甘えん坊」改善のための指導やトレーニングが必要で、ドッグトレーニングを通じて私たちが見失っている「心」「人間性」を取り戻す時だと思います。

 

犬も協調を育てられていない子は、様々な視点から見ても苦しんでいます。

同じく、あまりにも周りが親切すぎて「協調弱化」してしまう私たちも、思い通りにならない苦痛に苦しんでいます。

だからこそ、私は「共育」を大切に、私たちも犬を通じて「協調」を取り戻すことが必要です。

問題犬はいません。「怖がりな犬」ではなく、「自信を育ててあげなかった犬」というのが本質でしょう。犬も自分のすごさを自分では知らない、知れないから、親が引き出し、できることを自身で行動させて、自覚させていきながらすごい!!と褒めて自信を育てていくのです。

私たち家庭犬トレーナーは飼い主さんの自信を育てるのが役割だと思っています。

若造でも、親心を知らないと「指導」ができません。

 

犬は私たちの心の鏡。

犬を見て、自身の甘えと向き合い対峙して成長していくことが、犬も甘えという「魔」から逃れ成長できます。

あなたはできる!!励ましながら、一緒に坂を乗り越えて、共に一つの山の頂上の感動を共感しあう。苦楽は別々ではなく、1つです。

 

嫌もなければ、好もわからない。

嫌のお陰で、好を知ることができたのです。

お陰様で・・。

問題は、実はお陰かもしれません。

 

生きるという感動と幸せの実感を、愛犬の犬育てを通じて取り戻してみる。

そんなお手伝いを私はしたいと思っています。

辛いがあるから、できた喜びもあります。

甘えという魔に吸い取られないように、皆さんも是非飲まれない強さをトレーニングしましょう。