動物の親から見直すこと | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

今日は、日は暑かったですが、風はからっと冷たく気持ちいい日でした。

気温変化の激しい日々が続いていますが、体調管理に気を付けてお過ごしください。

 

令和元年初日は、久しぶりに妻とリンと山梨に出かけましたが、本当にいつも感じますが身曾岐神社という古神道の本宮として有名な神社にお詣りさせて頂き、縄文の時代から受け継いだ日本人の大切にしてきた生き方、命の原点に触れる神社で、今まで何度もこの道は通っていたのにまったく気が付かなかったのに、今回はすぐに目に入りお詣りのご縁を頂けたことは、やはりご縁がないと、またその心構えがないとお詣りする機会という縁も得られないと感じましたが、令和元年の奉祝のお詣りと御朱印を頂けてすごくありがたいご縁を頂けたことに感謝しています。

 

20年という時間の中で、本当に人間社会の変動はすざましいスピードで変わっています。

高校の時に、一人一人が携帯電話を持つ時代が来るなんて想像できなかったし、今やスマートホンは超ミニチュアパソコンと携帯が一体化したすごい未来だし、車も、家電も、様々な物がついていけないくらい便利になりました。

ストレス社会と言われていますが、ストレス社会は便利だからこそ発生する世界でもあります。

ストレスのないように便利を開発しているようですが、どんどんと快適になるほど負荷や思い通りにならないことが少なくなり、簡単に思い通りになる、得られる世の中だからこそ、その逆が自分に向けられた時、それに適応する能力は弱化しているのでそれが”ストレス”となっています。

きっと10年前にはストレスと感じなかった犬の行動も、現代の人には不快、イライラが起こる行動になっています。

人間のストレス弱化を”犬までもストレス弱化”させてしまい、犬にストレスがかかる育て方をしていることに気が付いている方が少ないように感じます。

 

人間と同様の哺乳類たちの多くは、人間とは比にならなストレスを受けて生きています。

過酷な環境や外敵のストレスと戦いながら生き残っています。

ストレスに弱ければ、生き残ることができず、その種族は衰退していきます。

地球上にいる多様な哺乳類は祖先がさまざまなストレスを乗り越えて”進化”してきたからこそ、生き残ることができたのです。

人間がストレスを嘆く前に、人間の活動によって哺乳類の約23%が絶滅の危機があると言われていますから、これ以上ストレスを与えないようにしなければなりません。

犬も今の人たちが過敏になるほど弱い生き物ではなく、むしろ人間よりもはるかに強いのです。

しかし、人間の主観による優しさが”進化成長”を支えるのではなく、”退化衰退”にさせてしまい、生きる力を奪われてしまっている犬達の叫びが年々悪化していて、私はその姿がかわいそうでなりません。

 

共に生きる・・生きるというテーマのための”しつけ”という育みであり、適応力を鍛える”トレーニング”が根本目的のはず。

動物の親たちは甘やかすなんて可哀想なことをしません。

生き延びるために必要な生きる力を育てていき、自立して生きていけるように育てて自立させていきます。

生きるとは、様々な苦難を乗り越えていかないといけないこともあり、その力がなければ生きることもできなければ、本来、その先にある楽しさや喜びなんて無論感じることはできないのです。

人間は犬を育てる基礎を無視して、人間の自己満足な優しさで生きる力を弱めて過擁護にして自分で適応できる力を奪ってしまい、苦しめておきながら、「この子は怖がり」「怖がっている」「怯えているからかわいそう」と益々生きる力を奪い生き苦しめることをしていることに気付けなくなっています。

 

褒めるしつけではなく、ただ負荷のない環境下で煽てて誤解させてメルヘンの世界に旅立たせてしまい、現実の生きるという不都合、不快、嫌悪に遭遇すると現実に抵抗できずに潰れてしまい、苦痛から泣き叫ぶ、苦痛を排除しようと攻撃し、怯えて社会に出られなくさせてしまっている子と向き合ってきて感じています。

人間も哺乳類の同じ動物として、生きる力を強化されて、祖先が進化してきたからこそ今があります。

生きる力を育むということに動物と人間の違いはないように思います。

しかし、ここが育ってこそ人間としか得られない、「楽しさ」「喜び」が得られて「安心」な生活という動物界のパラダイスを得ることができるのです。

 

犬よりも、育てる人間が育てる力を失ってきているのが現代の問題なのです。

犬が異常とか、精神が病んでいるのではなく、人間が精神を病ませて、異常にさせてしまっているのです。

病ませている行為に目を向けず、犬だけを見てただ何でも”ストレス”という言葉で表現して、犬を病気としてラベルを貼ってそれを治療しようとするというのも、人間が自分で作って、自分は献身的なことをしている満足のためになってきています。

葛藤が起きているということは、生きる上での選択の時に苦を乗り越え楽しいや快を得るための知恵(術や力)を育んでいないことを改善しないといけません。犬の行動現象だけを評価して、犬の行動異常といい改善しようとしていることは本末転倒なのです。

人間が犬に乗り越えることのサポートできる負荷に耐えられなくなってしまって「育成者欠如」が一番の人間と犬の共生問題の根源なのです。

 

便利が生み出した人間の負荷への弱化から、逃げるか、まったく負荷をなくすことは、力がつかないのです。

生きるとは辛いこともあり、悲しい事もありますが、それも生きるだし、それがあるから楽しさや喜びも感じて”心が感動”して生きるのです。

しつけというコミュニケーション(相互理解の意思疎通)はまさしく命が生きる根源の”呼吸”であり、「息る(いきる)」なのです。

長生きは「長息」でもあります。

私は家庭犬の共生の専門家として、人間も犬も共に生きる力をトレーニング(鍛える)トレーナーとしての本意をもって、強い子に育ててあげたいと育み指導をしています。

 

生きるという意味を失っている人にとっては、負荷を与えて力を育む人は”悪””嫌”な存在になり、楽をさせてくれる人が”良””好”な存在なのです。

動物たちは今でも、生きるという現実の厳しさを生き抜くことができる力を育むことを止めていませんし、子に実施しています。

人間は生きる基礎である現実の厳しさを生き抜くことができる力を止めてしまい、まるでまったく、風も日も雨もないまさしく”人工”になってしまっています。

 

人間は人間性(性は心が生きることを示すと言われています)を失ってきているといわれます。

どんな便利な世の中になっても、生きることまで”デジタル”にも、便利にもできないので、犬を迎えて苦労を共にできる生きる力と術を育む機会をもらって、人間性を取り戻すことが犬を通じてできると言われています。

元々、トレーナーも指導者の生きる力を育むトレーニング実習と心を養って、犬に生きる力と術を育む専門家でした。

しかし、科学に翻弄されて本質を見失った物質主義世界で、共に生きる力を育むトレーナーを排除、潰していくようになり、生きる力の骨抜き化を日本人だけでなく、犬にまでも同じく主体性を奪う教育になってきてしまっていることは、危機的状況だと思います。

 

トレーナーという専門技術職(プロ)がいなくなってきているように思いますし、心・技・術を失ったブローになってきています。

今一度、本質を見直し、動物たちの子育てから見習い、より進化した人間性ある育みができる”愛”を取り戻していき、犬達が人間社会でも強く自信もって生きられる自分の力と術を備わせてあげて、共に生きられる本当の共生を取り戻していきたいと願っています。

本読み、知識だけは、生きる育みはできません。

行動は生きている人しかできないことという定義がありますが、生きているからこそできる行動から学び、習うことが大切です。

そう思うと、自分達が入門時に受けたことが、どんな素晴らしい科学的理論よりももっと大切な”基礎”だったとわかります。

犬と生きるトレーニングを通じて、私達が生きるを取り戻し、生きるを共に育みあえる人間と犬の共生のためのトレーニングがこれから皆の生きる幸せを支える教育指導となることを願い、務めていきます。

 

優しさ、育みを動物の親から今一度見直す時ではないでしょうか?