犬のしつけは誰のため?犬を直す、犬を良くする意識づけの落とし穴 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

私はこの仕事を始める20年前から今も変わっていないことがあります。

それは「飼い主さんが学ぶ、家庭犬の共生共育スクール」です。

犬を良くする・・その為にスクールに来てくださいますが、犬を良くするために来るのか?自分が愛犬を育てられるスキルを養う為に来るのか?

もく動機はすごく大事な部分になります。

 

ずっとわたしは言い続けてきたし、毎回思うのですが、この犬の問題行動が・・犬を「問題」にして、犬が「悪い」となり、犬を「改善」することを要望するために「トレーナー」が存在するという関わりだと思いますが、自分たちの動き、育て方に「問題」とか自分の何が「悪い」のか?自分を改善することを要望するために依頼する方はどんどん減ってきているように感じます。

犬ばかりの評価をして、犬に善し悪しを評価しますが、自分を評価し、自分は的確な動き、気持ちで犬と向きあえているか?その善し悪しを問うことはせずして、犬だけを評価、や良し悪しを決めるのは、相手への思いやり欠如になります。

 

多くの問題は飼い主さんが悪気があるわけではないのですが、私達の誤り、怠惰、欠如から理解できずに困っているのは飼い主さんではなくむしろ犬の方が一番困っているのです。

自分は間違っていないという「前提」だからこそ、犬が「問題」となり、犬を「改善」となっていきますが、問題が起きているのは、犬に教え育てる側の動きや育て方の過ちであり、自分が的確で犬がわかるように教えることに意識を向けていないことで、自分のスキル不足に気づかず、犬の要求し、犬に成果を求めている時点で、もう自分の成長がありません。

その改善を自分に向けられると、「難しい」「無理」とすぐに拒否感を持って逃げてしまうのは、犬を愛しているのではなく、犬に甘えている駄々っ子になっている自分中心で、自分を擁護している状態で、努力と成長に拒否感とできないと嘆きが出てきます。

しかし、犬には改善を強く求めて、犬にどんどん求めていきます。

 

日本はまだ犬と室内での共同生活の歴史も文化も浅く、犬と共に共同生活をするための技と術の力が必要です。

そして、犬を教え育てられるメンタルトレーニングをして、飼い主さんが適切に、犬に要求するのではなく「教える」を実施できれば、犬は理解できていればできるし、できないのは「わからない、わかっていない」のです。

私たちという環境が犬の行動を作り出しています。

その影響を与えている自己改善を拒否して、犬に改善を求めても、きっかけを変えないと変われないのです。

なのに「この犬はバカだ!こいつはいつことをきかない!ダメだ!〇〇ではできる」と相手の努力ばかりに依存(甘え、期待)」していき、相手を大切に思いやる実践ができないことが「一番の問題」だと思います。

 

犬に何か教えてできたらお利口さんって感じをしててもそれは何の目的と意味があるのか?を理解せずに行えば、犬の為ではなく、自分の願望をかなえるためのしつけになってしまいます。

本来は犬の為にしつけトレーニングでないといけないのが、いつの間にか人間のエゴ満たす、我が儘を通すための目的に変わってしまっていることに気づいて頂きたいです。

本来は犬が人間社会で生きていくために、色々と分かればストレスは減り生きやすくさせてあげるためです。

その為には、飼い主さんが適切に健全な心身共に成長する発育をサポートしていかないといけません。

お利口さんは、犬の気持ちが見えない人間の勝手な模様をつけものを被せてしまい。この子はその模様の影響を受け続けて自分の意思表現も理解されず、飼い主さんも犬の気持ちを受け止めることができず、自分の都合の良いゲージで測り勝手に「お利口」「もんだい」という犬の評価をしています。

 

これは飼い主さんが問題なのでしょうか?

私は犬の問題は、飼い主さんの問題であり、。飼い主さんが成長できないは指導者の問題だと思います。

犬のしつけの意味も、犬をコントロールする事ばかりで、犬をどうすると「お利口か?」とトレーナーが「お利口」という自己都合の意識を植えつけてしまっているのです。

トレーナーが犬が問題かのように犬の問題にラベルを貼り、自分のいう事を聞く為の手法を教えたら、人の我欲を満たす目的のしつけになってしまい、本末転倒が今です。

私は犬の評価ではなく、飼い主さんが自分を自己評価し、自分のスキルを養うことを飼い主トレーニングしていき、自立した犬が人間社会で適応できる力を育むケアーやサポーター、マネージャーとして自分が的確なスキルを持つことを目標にしてもらっています。

 

自由と放任の違いを理解せずに、自由という名の放任になっているからこそ、攻撃行動も犬がしているのではなく、私達がさせているのです。犬は衝動的要求をしてきますが、犬は人間じゃないので、理性で衝動を抑えることができません。

いい言い方をすれば純粋ですが、嫌、欲しい、と先を考えない今の快楽のみなので、それによってその先苦痛が強くなるか?は彼らはわかりません。それをサポートするのが飼い主さんの役割ですが、飼い主さんもその場だけで自由というなの放任にしていることで、トラブルが起きています。

自由とは、適応力と人間社会で生きる力を育まれ、ルールがあってこその自由です。

何も教えてもいない、ルールのない、ルールが理解できていない状態で育ててもらっていない子を好き勝手にさせるのは「放任」です。

責任放任であり、また「保護放任」が、皆さんのいう間違った自由です。

保護の元で育てるからこそ、保護者であり、教育保護がしっかり確立提供されて成犬に心が育てるのです。

保護されている安心で、信用と信頼ができる人として犬が認めていたら、攻撃行動を取る必要がなくなります。

放任は「私はあなたを保護しません!宣言!!自分で自分を守ってください!」と犬に突き付けています。

だから、犬は保護してくれない人だから信用を裏切られ、自己防衛をしないといけない状況に置かれ、いつもビクビク、過敏になって吠えたり、襲い咬むなどをしているのです。なのに、この犬の吠えや咬む、襲うのを止めさせたいって矛盾していると思いませんか?

これを私達は無意識にやっています。

 

させているのは、私達なのにそれには意識を向けずに犬をまだ責めたり、犬を直そうする。

直さないといけないのは私達であり、犬ができる、できないではなく、できないはわからないから教えてあげないといけないのです。

教えるということも苦が伴います。だから継続努力を惜しんで、いう事をきかない、できないと言って犬にい成果をだせとだけ求めるのです。

その気持ちをまた無意識に強化しているのが、専門家に多いことに気が付かないといけません。

犬の問題と意識づけし、犬をよくするという意識を持たせることから、依存を強めて、生きる力を奪います。

自分が間違っていると自責するも依存になりますから、自責ではなく、自分の意識を向けて、見直していくことが出来て初めて犬を育てられるトレーニングの成果がでます。

 

自分たちがいい加減で、適切な教え方が出来ていない、動きも出来ていないこと気づくことが大切で、犬をどうにかしようという気持ちや犬をできた、できないと評価するのも、飼い主さんの気づきを見失わせてしまうことになるのです。

家庭犬トレーナーは、犬が人間社会で生きる上で必要なことを提供できる飼い主育成が務めです。

犬をどのようにいい子にするか?を教える人でもないし、それを飼い主さんに植えつけたら、専門家が飼い主さんをペット依存にしていきます。

最初に犬をこう対処すると形だけをみせてしまうことで、飼い主さんは自己改善や自己意識ではなく、相手をコントロールしたい、相手を直すという意識を初期動機づけしてしまうと中々その後が育たなくなってしまいます。

意味や目的を理解せずに本読みや話だけの我流で飼い主さんと向き合うとこうした被害を拡大させることをさせてしまいます。

トレーニング指導は、その道の専門の実践実務育成をしてもらった「メンター」について基礎をしっかりと理解して育成してもらう修行を修業して初めて指導者です。形だけだと、また形だけを作り、相手の心を理解することや目的や理解のない人間の我が儘を満たすことを提供することになってしまうことを常に指導者も意識していないといけませんし、それがプロの責任です。

 

私達が正しい・・だから犬をダメとかできないと評価してしまう。

自分の動きがわかりやすく的確に動けているか?自分に意識を向けて自己評価をして自己改善しながら成長することで、教え手としてのスキルをもって初めて犬も育つのです。

犬は自分の鏡です。犬を見て自分の改善ポイントを探して改善することで、変わっていくものです。

自立と自立で、犬が生きやすくするためのしつけという育みが提供できる人の育成をする専門家が「家庭犬のプロトレーナー」です。

自己成長や努力を惜しみ、犬に甘えたい人にとっては不愉快な存在です。

そんなとき、犬をどうにかする方法を教えてくれる先生が好かれるかもしれんませんが、好かれるからいいとは限りません。

長期に観て、成長できることをできなければ、結局、犬も人もダメにさせてしまいます。

嫌われる、嫌なことを言っているように最初は感じられても私はいいので、未来で理解し、力をつけてもらえたらそれでいいのです。

自分だって改善途中、自分が正しいとは言えないからこそ、常に見直していけます。

自責は成長ではなく、実は逃げになる退行欲求行動なので、成長ではなく後退していきます。

甘えが自責をうみ、自責している惨めな自分をかまってほしいという甘えの快楽強化をしてしまうのも、指導者は気を付けて理性的視点でみないといけません。

 

犬を育てられるメンタル、指導の動き(技)と指導する術(スキル)を習得して初めて「技術」です。

自分のどれかが足らない、弱いから犬を育てられないのです。

犬ではなく、犬と暮らせる、生きられる、教育できる自分育てをするのが家庭犬しつけトレーニングのベーシック(基礎)です。

オーナーズスクールであってこその家庭犬です。

指導者も自由の意味、家庭とは?育むとは?共に生きるとは?しつけとは?トレーニングとは?何をどう発育、発達サポートし、教育をしていくのか?を理解してないと指導者にはなれません。

犬ではなく、犬と暮らせる力をもった人にまずは育て、そこから人が成長できて、はじめて「犬に教える」ができる飼い主さんになれます。

飼い主さんも犬をどうしかさせたり、お利口なんて身勝手な意識は捨てて、教えることで共に育つという共育をし、共生を築いていって頂けたら幸いです。

 

現代は「行動問題」ではなく、「関係問題」です。

人とイヌの関係が築けていないことが問題の根本で、信用できない、信頼できないから自己防衛で吠え、襲い掛かる、咬むなどをせざるを得ない状況にしてしまっていることに気づかないといけません。

自己防衛で人を信用できなくなっているのに、犬を吠えないようにしようというのはそもそも検討違いです。

吠えないといけない状況にさせている自分を見直し、改善することを指導してもらわないといけません。

海外の方が当たり前にしていることでも、実際にじっくり基礎となる意味を習ってこないとセミナーだけでは、日本人では当たり前でない部分を気づかずに形だけ真似してしまって間違った解釈で広まることが本当に多いです。

今の日本人のステップは、犬を教育できる、共に生きる力を育む自分作りのステップです。

 

咬む、吠えかかる子は「問題行動」の改善ではなく、「信用関係の崩壊」で、信用、信頼への関係を築くことをしていかないといけません

その為には人が信用される、信頼されるアプローチと約束を守り続ける必要性があります。

これ以上、人間の勝手の被害者と人間の甘えによる罪のない彼らへの過剰な負担や責務を押し付ける犬を虐める人、犬を愛玩奴隷のようにする人を減らすことが動物愛護に繋がると思います。

犬と暮らす人になるためのトレーニングは必須です。

 

犬をお利口にするためにスクールに来るのではなく、犬が信用信頼して安心して共に生きられるように育める自分になるためにスクールに行きましょう。またそれを教えてくれる先生に指導うけて、成長し、犬と暮らせる人になってあげてください。

決して自分の努力やスキルを無視して、犬だけよくしようとしないように。

皆さんのためにスクールは必要です。そのためになれる家庭犬共生トレーナーとして私も自分の責務と向き合っていきたいと思います。

家庭犬は奥深いし、長い道のり。

簡単には語れる分野ではありません。