人と犬の共生文化先進諸国という先輩から学ぶ | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

暑い日になったり、朝晩は冷え込み、体調を崩しやすい日が続いています。

皆さんも体調に気を付けてお過ごしください。

 

日本で犬を家族として一緒に室内で暮らすという欧米スタイルの犬の飼い方が増えてきてから数十年。

私が勉強して教室を開校した時期に同時にドッグカフェ、ドッグランも増えていきました。

その時は、テレビなどでもしつけの重要性をよくやっていて、犬を預けて訓練するスタイルから、開校当時は周辺地区にほとんど通いでしつけやトレーニングを学べる学校がなかったので遠方からみえたり、予約を入れてもらっても半年待ち状態でした。

しかし、スタートはいい感じでしたが、それを覆す出来事がありました。

”犬は癒しになる”という動機づけです。

ここから犬との暮らしは相手(犬)が大きくなった時に迷惑をかけないとか、苦労しないようにという目的でしつけを実施していた人たちがいなくなり、自分の欲を満たすために、癒されるため、いうことを聞かせる、お利口など・・人の満足を満たすためにトレーニングの要望が変わってしまいました。ここから、溺愛、そしてちょっとした出来事にもかわいそうと過擁護になり、管理はかわいそうと室内飼いになったのに、家の中を勝手にさせる放任飼育が増えてしまい、犬にとっては飼い主さんという存在がどんどんとストレス源となっていくという決してよい未来ではなくなっていきました。

 

本来は、犬が人間社会で共に生きるために必要な心を育てたり、適応力を育んだり、安全にまた安心して暮せるために教えていき、犬が良し悪しを判断できる学習がしっかりと定着するまでは管理という保護をしていき、わかってきたら、犬は勝手ではなくルールの元で自由意思で行動できるようにするためにしつけやトレーニングが存在しています。

人間と共に暮らすとは、愛せばいい、大切にすればいいという私達人間の一歩通行な愛情だけでなく、実際に人と共に生きる上では避けられない思い通りにならない苦痛、欲しいものがすぐに手に入れられない苦痛、嫌なこと、ものがすぐに排除されない苦痛があり、また人に合わせて行動する苦痛と、様々な苦痛やストレスを向き合うことが”生きる”ということなのです。

この苦痛を軽減もしくは、苦と感じないように心の筋トレをしていきながら、適応できる心の筋力アップがしつけやトレーニングであり、筋力アップは心が生きる呼吸そのものなので、抑止(吸うやプレッシャー)と解放(吐く、息抜く、リラックス)を繰り返して心を生かす呼吸を整えるのもしつけです。

室内で共に自由に暮らす為には、そうできるまでのプロセスの実践が必要で、それは日本には方法がなかったため、私もイギリスで初めてその築き方を知り、日本で広めようと始めましたし、最初から自由にさせて、褒めてばかりいるわけではないことも実際の生活に踏み入れさせて頂いて初めて知りました。

 

私が勉強した当時のイギリスは、中・大型犬はトレーニング受講が義務化でした。

それも定着し、方法が浸透するにあたって、指導の必要性がなくなり、パピー教育の学校か問題行動のクリニックや教室かになっていきました。ドイツでもベルリンやベルギーなど一部の国や都市では、犬の飼養が免許制の国もあります。

養育ができない養育者(飼い主)は、行政指導が入り、改善できなければ犬との暮らしを止められ、その犬は適切に養育される養育者へと渡されるという制度、体罰的な虐待はもちろんですが、過保護、過擁護、甘やかすなど、生きていく上での適応性を弱められ、教え育てることができていない育児放棄(ネグレクト)やマルトリートメント(不適切な養育)として厳しく規制やルールがあり、罰則やひどければ逮捕もあります。ある意味、皆さん真剣に、必死に犬を育てをしているという感じでした。

犬との共生文化先進国でもこのようなシステムです。

これは犬を保護しているように見えますが、実は犬を迎えて育てるだけのスキルなどがない場合、あえて飼えないことでそうした犬を迎えて人がダメになることを防ぐことも目的に厳しいルールを設けているのです。人を守れないと犬を守れないからです。

犬だけ保護、愛護では実際は本当の意味での相互愛護、保護にはならないのです。

 

犬たちが人間社会で自由に生きている姿は感動します。

ヨーロッパがそうだから日本も・・それは是非進めて欲しいことです。

しかし、一つ、色々なことでもそうですが今の日本人が見失っていることにきづかないといけません。

長年の歴史と実績の中で培ったノウハウを持った、環境が整った国を見習うのは、出来ている成果だけを真似しようとしてもできません。

歴史に学ぶ必要があり、日本も同じようにステップを踏んで、その時のステップレベルに応じた教育方法を実践していきながらステップアップ

して徐々に成長していかないといけません。

ヨーロッパも急によくなったのではなく、様々な問題をクリアしながら成長して、素晴らしい文化になってきていて、まだ進行中です。

 

日本にとっては形だけを真似するのではなく、その環境を使える、生かせるようになった飼い主さんが歩んだ歴史を知り、そしてそうした教育実践の中で身に付けた力をどんどん進化していけばいいのです。

いいところだけ真似しようではなく、そこに至るまでのステップを学び実践して飼う人のスキルアップをしていかないといけません。

”欧米という共生文化の先輩から学ぶ”という姿勢を見失っているように感じます。

100年の歴史があれば、100年学び歩んでいかないと100年の歴史の上に立つ現在はないのです。

30年の実践経験がある先生と実践経験1年の人が形だけ真似しても、その意味を理解しなければそれは形だけになってしまいます。

シェアも大切ですが、歴史をみて同じように教育普及をしていき、管理能力も高まれば、海外の人が出来ている方法でもできますが、そうしたスキルを養わずして同じようにやってもできないのです。

それは道理というものです。

 

真似るは隣の人があるブランドのバックをもっているから、うちもと真似してブランドのバックを買うのと同じで、その価値や意味も知らずにそのものをもっていても意味がありません。

物でさえも、そのブランドの歴史やこだわりなどに共感してその物を使うように、教育文化はもっと歴史やこだわりなどを理解して取り入れないと本当の意味での文化にはなりませんし、日本の犬もまるでブランド品のように真似事の犠牲になってはならないのです。

日本は成長できる素晴らしい精神を持った国で、今までも外国の文化を取り入れながら先人が苦労と工夫、失敗に屈しずにより改良した方法を実践して積み上げた結果、今ある素晴らしいもの、ことを私達は有難くいただいているのです。

それも忘れてしまって、何でもお金を払って、簡単に・・すぐに先輩を敬わず同等に立つという姿勢では学びが出来ず、形ばかりできてもそこに実践で積み上げていかないとそこに命となる知恵ではなくなります。

知恵は生きた教えになりますが、知識は紙切れ的なものの飾りになってしまいます。

 

お利口さん、大人しい・・犬の気持ちや置かれている状態を理解せず、自分たちだけの都合がいい子になっていたら良しと判断し、社会に迷惑をかけないように、他の人や犬の中でも迷惑かけずに生きられるマナーを習得してあげて、社会の一員として生きられるスキルを育てるという意識を私達が学んでいかないと、しつけという虐待になってしまうことだけはやはり避けていかないといけないと思います。

今の日本は敬い学ぶ姿勢が弱くなり、慣れ親しんだ文化の中で我儘を通してしまい、学ぶこと、相手を敬うという心が弱くなっているように感じます。

色々な文化の人と共に人間同士でも暮らすとなるとやはり協調と相手を尊重しあう姿勢が必要になりますし、人と犬も根本の心構えは同じで、自己改善していかないといけませんが、日本だと、自分たちの常識を通る我儘になってしまうと相手を敬う、自己改善ができなくなってきてしまうので、多文化を受け入れ、協調しあう心を犬を通じて学び、犬のためでもあり、自分が犬と暮らしを築けるために学ぶという気持ちで実践して頂けたらと願っています。

 

真似るに敬意がうまれると学ぶに変わっていけます。

一歩一歩自分たちの立ち位置を歩んで、共生文化先進諸国の先輩を追いかける気持ちで進化と歴史を残していけるといいと願っています。

私も家庭犬との共生のガイドとして、皆さんに教え導く知恵や技術、自己向上に務めてまいります。