秋めいた季節を感じる日々ですね。
体調を崩しやすい季節なので、お体には気を付けてお過ごしください。
学校で提供される授業形式ではなく、師匠に弟子入りスタイルで勉強させて頂き、現場での叩き上げでこの道に入りました。
最初は掃除のみ。犬を扱うなんてとんでもない。
お金を払って、何で??と今の人たちなら思うかもしれないけど、それが当たり前と思っていたから気にはならなかった。
しかし、こうした掃除の中にこそ、大切な基礎となる思考を育むことができる訓練になっている。
それを身に付けているか?つけていないか?は見た目ではわからないかもしれないけど、大きな差はその道を歩むにつれて気づいてくる。
変えていくことは難しいようで、意外と楽なもの。
実は同じことを繰り返し継続してやり続けることは非常に苦しいですし、難しいのです。
基礎を見失わずして、その本質を崩さずに改良していくのが”進化”ですが、基礎は面倒だと自己解釈での方法に進みだすとそれは新しいではなく”破壊”になります。
”進化”と”破壊”は紙一重で、築いた積木を崩すのは簡単で、そこに積み続けるのが本当に難しいのが玄人の道です。
ピアノやギターも基礎があってこその応用。
楽器の為、成長を続けるには基礎力がしっかりしていないと伸びるどころか破壊していく。
伝統を重んじるヨーロッパでも、古きものに執着しているのではなく、古きから伝承されえている本質となる基礎力の元、進化している。
日本は戦争をきっかけに戦前はすべてダメと捨ててしまい、新しいばかりが良いと走ってしまい基礎力を失ってきている。
文化には必ずその国の生きる知恵があり、命の生かし方でもある。
エビデンスも大切ですが、基礎なくしてエビデンスは崩壊を招く。
基礎力を育む大切さを改めて感じるようになってきました。
窓ふきの仕方で、その人の実践力が試されています。
窓は拭けばいいというものではない。
洗剤かけて拭くだけだと、実は拭いて綺麗にしているのではなく、汚れを伸ばしているだけです。
窓ふきとは、窓を綺麗にすることをしないといけません。
ここで大切なのが”工夫力”です。
どうしたら窓を綺麗にできるか?窓がくすんでいたら窓ふきに意味がない。
粗拭きをしてから、乾拭きでしあげると窓を綺麗にふける。
オブジェを作る時もそうですが、粗削りや荒作りをした後に綺麗に整えていく作業は彫り物をする時も同じ。
削りカスを掃除の時にみることで、師匠の粗削りから仕上げの削る段階へのステップを学ぶことができる。
教えてもらうのではなく、自ら習う、そして教えてもらいたいポイントをしっかりとつかんで質問できる力がついてきます。
学ぶは真似るからきていますから、やはり尊敬している師匠だからこそ、しぐさや動き話し方まで意識してくるから弟子とは師匠に血がつながっていなくても似てくるのです。
学ぶには、最初はやはりその先生への憧れ、尊敬心がないとできないですね。
今は自分に先生を当てはめて、自分の基準に先生をさせようとし、それに沿わないと異議を唱える時代。
何で先生が努力して培ったものや大切な先生から伝承を受けたことを受ける側に注文されないといけないのか?
窓ふきをさせてくれた先生には、勉強では学べない大切なことをたくさん学ぶ機会を得たことは私は宝だと思っています。
合理的、シェア、それも大切ですが、もっと大切な人間としての姿勢、学ぶという敬意を自然に対しても、動物に対しても忘れてはいけないし、師匠を敬うという気持ちは、それだけでなくすべてに繋がっています。
たかが窓ふき、されど窓ふき。
無意味なものに見えても、それが意味のあることかどうかは学び手の心次第です。
先輩や先生が気を使い学び,学び手が気付こうとしないのは怠慢です。
身近な学びを大切に。
