子どもの頃から不思議が多くて、親を困らせたことも多くありました。
何で土は茶色なのか?何故葉っぱは緑なのか?何故電波で声や映像が届き映るのか?
何故?を問い詰めることってこの仕事にも役立っていることは多くあります。
何故は雨は空から降ってくるのか?当たり前だけどよく考えると不思議だし、鉄の塊の飛行機が何故飛べるのか?も本当に不思議ですね。
私は海を眺めるのが好きですが、海って広大に広がっていて、その先には見えない国がある。
空を眺めるも好きですが、かぎりなく続いている閉鎖感のなさに心安らぎます。
今年は豪雨もありましたが、あれだけの大量の雨が空から降ってくるってすごい量の水が空にあるということですよね。
普通では水が天井にいっぱいなんてありえないし、水は低いところへ流れていくのが自然だと思います。
私の尊敬する人物の空海。
本当に空という広大な海が存在していると思います。
海という壮大な空も存在していると思います。
どちらが上で、どちらが下なのでしょうか?
私達は空が上で、海がしたと思っていますが、実は反対かもしれませんよね。
それにしても地上を洪水であれだけの面積を浸水させる水が空から降ってくるって本当に地球は不思議です。
海と空は必ず循環で繋がっていると思いますが、道理とはやはり循環がないと命ではないと思います。
海という受け皿があり、蒸発して空にいきを繰り返しているのも、コミュニケーションにも呼吸もすべてに繋がりますね。
人と犬が通じ合うのは、やはり循環がないと共に生きるは実現できず、交流できない状態で犬が関わらろうとせずにただ無気力に動いているだけを”大人しい””お利口さん”といってしまう自分達。
繋がるからこそ、主張もできるのですから、主張と主張で相互で受入あうことが大切なことであり、これは問題ではないと私は思います。
犬が主張しないで、大人しく行動を起こさないのをお利口というのが人の怖いところですね。
主張するとすぐに問題だといい、しかし、教える努力を惜しみ、相手が理解し望ましい行動を取ることを望む。
甘えん坊の駄々っ子は、犬ではなく私達人間ですね。
循環も受入、与えを相互で繰り返して互いに支え合い、共生していくバランスが大切です。
受入は嫌、伝えるのも面倒・・相手が自分にとって望ましい行動や刺激を与えてほしいというのは循環停止です。
すぐに成果を求めますが、雨が降るまでには蒸発、雲、風などのプロセスがないと雨という成果もありえないように、育みもプロセスが大切なのです。
プロセスの実践の結果が成果なので、実践を拒んで成果がでないのは当然ですし、犬たちも教えてもらえずに放っておかれて育てば犬らしく育って、犬としての常識行動を取っているだけ。
撫でたいとか、大人しくといいますが、彼等は人間社会の生きる常識や適応は教えて育てない限り、犬は犬としての生き方で行動するのは当然で、問題ではなくむしろ正常で犬として良き行動をとっているだけです。
良い犬の行動を直してと言われても、その犬の良い行動を減らしてしまったら彼等は何を出現すればいいでしょうか?
犬は生後6カ月から1歳付近までの半年間の成長で、自分が生きていく上で必要な行動やメリットある行動を学習し、メリットのない行動は淘汰されるという成長過程を行う大切な教育期がありますが、その時は色々と行動をしてみて、その後のフィードバック(反応)を体験して学習していますから、私達人間側の反応で出来上がった結果が1歳の行動です。
子犬の時は、刺激の耐性や経験で対応できる神経や脳、心を育みますが、その後の6カ月からの半年間が人間と共に暮らしていくための学習とコミュニケーション(意思表示)をしあいながら教えられる唯一の教育期の本番はパピーではなく、6カ月からの思春期なのです。
赤ちゃんなら、まだ言語が話せない時がパピーにあたるし、話しができるようになってからや中学、高校のころの思春期は自立成長過程で、親からの依存が薄れていき、自分の意思をもって主張と協調を学ぶ大切な時期なのです。
子犬の頃は依存しているから非常にやりやすくても、その後の6カ月からがやっと主張してくれるので、その主張を受け止め、共に生きていくために相互に望ましい行動へと代替していく建設的育み期間を行ってあげないと、話せるようになったら、会話や教えるのを止めるのと同じ現象を行っています。
今の犬たちは、飼い主さんとのコミュニケーションを避けている犬が多くなっているのは、犬ではなく人間がその時期に、彼等の声には耳を傾けず、放っておいて自分達の都合ばかりを主張しているだけで何も教えてくれないことでコミュニケーションという関係作りに大切な循環が淘汰されてしまっているのが、最近の問題に起きている申告な現象です。
子犬教育の必要性はまだ数十年の歴史。
3か月までの社会化と子犬時代の馴化練習も可能だよ!という情報で、その後は元々は出来ていたから子犬期の教育普及を発信していましたが、今は6カ月までで大丈夫と勘違いしている方もいて、本来与えられていた時期の教育が消えてきてしまっています。
昔の犬たちはリードなくても、勝手に犬のところに行かず、人のところにも勝手にいかない散歩が出来ていたのは、社会性は出来ていたのに、今は逆に社会性が欠如してきています。社会化教育を受けているのにも。
社会性の定着期は生後6カ月~の半年間で、脱社会化もこの半年間です。
今一度、適正な社会化教育の発信が必要だと感じています。
海と空・・どちらが偉くて、どちらがダメなんてありません。
海も空も恵も与えてくれるし、災害で命を奪う脅威も持っています。
人と犬も同じです。
海という空と空という海の循環がバランスよく関係を保ち、恵を与え合うことができるように、今一度、人と犬と共に生きることを見直すことが必要だと思います。
病理的アプローチが、犬を直す、犬の問題を評価するという意識を人に持たせてしまいます。
相互理解の為、犬の視点を理解し、人間の視点も理解してもらうバランスを築く実践が大切です。
実践に便利や楽はありません。
理解しあうというのは、相当のエネルギーが必要です。
私たち人間は本来育むという性を持っていますから、これは相手を愛し、思いやることが出来る人なら当たりまえにできることです。
自分勝手で、親心ではなく、自己愛が強くなると、相手を育むのではなく、自分だけの利を主張するのも人間の持つ性です。
トレーナーは親性を引き出すお手伝いをする仕事です。
最近は自己愛を引き出してしまうことが多いのではないかと思います。
自己愛が悪者ではありません。自利利他というバランスが大切ですが、利他の行を行うのが面倒や負担などとなるのは事実で楽にやれる方法や自分達さえ都合がよければOKということで、どうしても人の都合を優先しないとお客様にならないことも多いからです。
犬が自己主張できない、ぼっとし、無気力になって大人しくなったと喜ぶほど危険なものはありません。
大切なのは、一緒に安心して、楽しく自分の意思で一緒に動いてくれているか?です。
今一度見直す時期に来ていると思います。
