今日は暑かった!!
気温差が激しくて寒暖差疲労を起こしそうですね。
気を付けてお過ごしください。
今日は社長様の勉強会の講師に私のような未熟者が招かれ、苦労人の方たちの前で話すのは本当に久しぶりに怖かったし、直前まで私でいいのか?本当に迷いました。
そんな緊張もばれましたが、「君の生き様を等身大で話して欲しいし、バカになれるから、話せるから呼んだんだ」と言われて力抜いて気取らず本当にバカな話をして笑って頂き、感動して頂きこんなにありがたい機会は中々ないと思いました。
終ってからの懇親会でも色々な話を聴けたり、君の立場のありかたなどのアドバイスを頂けたり。
本当に皆さんが神に見えました。
本当に今日一日で10年分学んだ気分でした。ありがとうございました。
今日聴いた話を含めて、先生とは?について書こうと思います。
私が今、教えるという仕事をしているけど、ここまで来るまでを考えてみると犬の専門家の先生から習ってプロになったという感じではないことに気づいた。よくよく考えてみると父親も親子というよりも師匠と弟子のような関係で育ちました。
子どもの頃から父の仕事についていき、普段みない父親の姿を見て、社会で生きるということを子どもながら学んでいたし、語るより背中みせて教えていたように感じます。取引先の社長さんに無理を言われても、いつも低姿勢の父の姿、家ではその逆だったのでそのギャップは本当に大変だったけど、祖父も祖母も曾祖父も、街では人助けしていた話しか聞かないし、父親も家庭の事よりも困った人のためにいつも動いていたから、そうした姿を見て育ち自分が形成されていると感じますが、近所の方が暴走族に困っている時も一人で80人の集団中入って解散させた時には強者だと本当に思ったし、とにかく父は怖かったなぁ。
人の為の精神の基礎は父親からだと思う。
そして、私にはいっぱいの親がいるということ。
小学校の時の4年の担任の順子先生は、お姉ちゃんでもあり、母親って愛を感じた。いつも「とし」と呼んで、かっこいい先生だったけど、いつも問題ばかり起こす私に涙流しながら叱ってくれたり、大事だと抱きしめてくれたり、本当に愛されていることを感じました。
子どもながら女性を泣かしてはいかんと悟り、今でも女性の涙に弱いのは先生の影響かも。
竜巻に向かって走っていき、怪我した時はおもいっきりビンタされて、まじで叱ってくれてそれ以来はやっていない。
無償の愛を教えてくれた先生でした。
小学5,6年の担任の先生は第二の父親みたいだった。おなじように名前で呼ばれ、懲りずに悪さばかりして毎日先生に放課後叱られて、時々泣いてる時にハンカチ出してくれたのは今でも覚えているし、校長室に呼ばれて2時間叱られた後も、奥村先生もマジで叱ってくれたなぁ。でも褒めてもくれた。この先生は、私が大人になる前に大動脈解離で亡くなってしまったけど、今の生き様みせるのが先生への感謝と思っている。
中学の時の先生は、ギターを始めるきっかけを作ってくれた先生と部活の顧問のカッパと呼んでた先生に影響を受けている。
部長になった時も、プレイヤーとしての自分の活かせるポジションを与えてくれたのは、カッパのお陰。
この仕事始めてからもよく来てくれて、指導者の大変さがわかったか!と激励にきてくれていた。
高校の時の担任の先生は先輩って感じで付き合ってくれたし、部活の顧問の先生も兄貴って感じで一緒に食事いったりもしたなぁ。
あとは高3の時の担任の先生は会社の上司って感じで、上司と部下の関係を教えてくれた先生。
高校の先生は皆、一度一般企業に勤めてから先生になった方ばかりだったので、会社での振る舞いを教えてくれた親でもありました。
その後も様々なタイミングで色んな先生に育ててもらいましたが、先生って、社会を教える第二、第三の親だと思います。
仕事始めてからの取引先の社長さんも社会を教えてくれた親だし、犬の修行する時も教師というよりも親子の関係みたいだった。
自分の親だけでは狭い世界になるけど、今の自分の価値観や育む立場になれたのも、温かく、時には厳しさを教えてくれた社会の親のお陰です。
自分の子どもを親が褒めたらおしまいだと父親の口癖だったけど、社会の親にほめられる、認められたらそれでいい。
大人になって自分で判断し、考え生きられるようにサバイバルを教えてくれたのも父でした。
母親に甘えるなという教育だし、話すなと言われたけど、父性だけで育つと攻撃性が高くなるのと幼児性が強くなると言われているけど、幸い自分には母親の愛情を先生から受けていたから、バランスが整っていった。
色んなお父さん、お母さんが私にはいっぱいいるし、それは恵まれていると今、思います。
犬の仕事始めた頃も、まだ荒れてたからガチンコで犬と向き合っていたけど、若い時はそれくらいの熱がないといかんとめちゃくちゃな私を見守ってくれた先生。飼い主さんにも挑発的で何度キレてたか、本当に今から思えば超恥ずかしいけど、教える仕事にそれが向いていると教えてくれて、気長に育ててくれた先生という親のお陰で今日があります。
小学からの先生という親の愛情を受けて、そして誰かの為になれる人間になれるようにガチンコで生きろと教えてくれた先生たち、高校の先生に、何か指導するとか育成する仕事に就くのがいいと言われたのも、この道に入るきっかけになったと思います。
そして取引先の社長さんや工場長に可愛がってもらったり、社会を教えてもらったり、バカを一緒に貫いた親友たち、なんのとりえもない、本当に猪突猛進の私に心休める、素に戻れる愛と居場所を教えてくれた恋人たち、皆がいてくれて、見守ってくれたお陰で今があります。
育てる・・その為には育ててもらう親につかないとわからないし、親から育てられて初めて育てる知恵が備わります。
勉強では先生になれても、人を育てる親としての先生にはなれないと教えてもらったし、優秀な人がいい先生に向いてるとは限らないと言われました。悪さをする楽しさ、殴られる痛み、傷つく痛み、できない劣等感の苦しみ、バカな自分、そうした世間で言われる良い子でなく、逆にバカじゃないと相手の立場に立って理解する同事の心は持てないし、相手の痛み、苦しみ、失敗、できないバカの気持ち、勉強が苦手な人の気持ち、そうした負を知って、初めて自分でそれを乗り越えて更生したら、悪さも良さも備えた親であり、先生であり、育てるプロになれると教えてくれた多くの親代わりの人たちのお陰に今やっと感謝を伝えることができるようになりました。
腐っても犬にお利口さんになれなんて言えないし、問題起こしてぐれてる犬の気持ち、それに悩む親の辛さ、皆、育む糧となってやっと活かせるようになりました。強く堂々と自分の力で生きられる子に育てたい!私のポリシーであり、目的です。
お利口さんと呼ばれて意気地なしの子にはなってほしくない。
一人の専門家の先生を師事してプロになったのではなく、こうして色々な親となり、兄貴、姉貴がいたり、先輩がいてくれたお陰で、人を育てる認定資格と、育てられる資格がやっととれました。
この道に入って、10年経験と実績積むまでは絶対に講師やセミナーはやらないという約束も守ってきて、その意味がわかったし、10年を迎えてからセミナーと講師をするようになって、やっぱり生きた教えが伝えられて、私を育ててくれた親心の先生に一歩でも近づけたかなぁと思っています。
まだまだ道半ばですが、育ててくれた親たちに親孝行をする時に来ています。
この難しく、優秀でいい子ばかりが先生をしたりする時代に、私のようなハングリーはどんどん邪魔になると思います。
人を育てるって勉強や綺麗ごとだけではできないと思います。
現場主義は嫌われがちですが、今も昔も変わらず、脳科学者の先生は「すぐに庇う、責められているとその先を理解せずに擁護するのは優しさではなく、冷たい」と言われています。
本当の優しさとは?それを教える人が今だから必要だし、私の好きな脳科学者の中野信子先生も、責任ある人は先を見通して突き放したりして自立を奪わないことと、本当に助けが必要な時は無償の愛で守り、包んであげられる人だと言われています。
勉強でなった医師と親の背中や使命感をみて憧れてなった医師では、病気の治りが違うし、同じ言葉でも力がもらえます。
刑事さんもそうだし、その道その道の生き様を育ててもらって、本物になれると思います。
蛙の子は蛙・・私を育ててくれた親心を持った先生のように、私も親心で育てられる指導者になっていきたいと思います。
自分の教え子が社会に出た時に、その勤め先で認められ、そこで褒められていること、そうして活躍していることを見届けられるのは本当にやりがいのある仕事です。
自分は自分でしか守れないし、成長できないから、自立できるための力と育みを提供していくのが本当の先生だと私は思います。
優しさを間違えつつある今、優しさとは?責任とは?その意味と目的を理解できる指導が必要だと思います。
良い顔しの指導者には私はなりたくないので、これからも先生として反省できる人の手本を忘れることなく、これから指導業の修行を積んでたいと思います。
今日はこんなことを振り返られる話を逆に聞けた一日でした。
本当にありがとうございました。
これからもこの馬鹿者をよろしくお願い致します。
