今日は暑かった~。
まだまだ気温変動が激しい日々。
皆さんも愛犬も体調には気を付けてお過ごしください。
今日のタイトルはちょっと??かもしれませんね。
犬をしつけられる、しつけ・・これは自分自身を育ててもらった師匠との修行時代を振り返って気づいたことです。
私は現場で叩き上げで養成された家庭での人と犬の暮らしをサポートするプロ(専門家)です。
今から思えば、これがあったから気づけることもあるし、見返ることができます。
しつけ教室の生徒としてレッスンを受ける日々。
通ってくださっている飼い主さんのように、私もしつけ教室の生徒としてのスタートなのです。
私の特技は、犬を見ると吠え掛かる犬を育てること、ブラッシングで咬む犬を育てることでした。
私は優等生ではなかったので、犬はすぐに覚えられるけど私は覚えが悪いタイプでした。
しつけ教室の先生に愛犬を使って手本を見せてもらうとすごく上手で自分の犬ではないみたい・・。
しかし、自分に変わった途端に、めちゃ引っ張るわ、犬みたら制御不能になるし、先生がブラッシングのしつけをした真似をしても唸られて咬まれる。正直、犬を直そうとかしつけようとしていた私は、この犬はバカにしていると思って、よく犬に怒り当たっていました。
飼い主失格ですよね・・。そんな人がよく皆さんの前で教えているなぁと思いますが、こうした経験は、今も飼い主さん目線から考える時には必要なことで、自分がしつけ教室の生徒を経験していることで、レッスンを受けている時の飼い主さんの気持ちや心境が理解しやすいし、そのサインに気づきやすい。
私の修行の第一ステップは、しつけ教室に通う飼い主さんの経験を学ぶことでした。
お客様目線でサービスを!!と言いますが、運営する上でも、サービスを提供する上でも、お客様を経験していなかったら、お客様(飼い主)目線や視点なんてわからないのです。最近の専門家の修行の欠如はステップ1をせずして、学校で勉強して資格を取得してプロになり、飼い主さんと同じ経験を積まずして、指導の立ち位置に立つから、飼い主さんの求めていることに気が付かず、自分の勉強した教科書やマニュアル通りに動いているだけで、飼い主さんの気持ちが理解できないことが、ハンディーだと感じます。
この劣等生も、幸いトレーナーとして先生に声をかけてもらってプロになる修行に入ります。
これが私の修行の第二ステップ。
ここでは、まず掃除、ケアの日々。トレーニング技術や知識なんて教えてはもらえません。
指示され、何でも師のいうことには、絶対の世界。
この時にしつけられる犬の体験をさせてもらっている。
叱られる、怒鳴られる、蹴られる、ひっぱたかれる・・右も左もわからない状態で失敗をすればとにかくこれらを浴びる。
胸が痛くなる・・悔しさがこみあげる、どうすればいいんだ??でもそれは教えてもらえない。
常にビクビク動き、自分で考えて動いてはまたいらないことをするな!と怒鳴られる。
そして、何故そうする必要が?と聞けば、うるさい!とまた叱られ、俺が右と言ったら黙って右に進めばいいんだ!そう言われる。
これは罰の痛みや罰のお陰を学ぶ体験になった。
これがいかにその嫌な目にあうことを自ら考えて、すりぬけるか?処世術を身に付ける一歩となる。
蹴られる、ひっぱたかれる・・痛みや恐怖感、不安感を感じる人もいるし、逆に頭じゃなく体で学ぶという体得のきっかけになる人もいる。
それで加減を自分で受けて知る事ができる。
犬が咬んだら、鼻血が出るまで鼻を殴り続けろ!飛びついたら胸を膝蹴りしろ!足払いしろ!それで犬は悲鳴をあげ、意味もわからず足を払われ転倒する。その姿をみて体罰を行う側の痛みとそれを受ける相手の悲しい顔、辛そうな顔、姿からその気持ちのメッセージを読み取ることを学んだ。
しかし、この頃から私は疑問が生まれる。やってはいけないことはわかったが、自分で考えて動くことの無駄と避けるためだけに動くようになり、指示待ち人間になっていく。自分は何をしているんだ?動く喜びは知らなかったけど、自分に浴びせられる嫌悪や痛みから回避することを身に付ける。ここで私は、褒めてしつける方法をイギリスの先生のグエンベイリー女史の書籍に出会い、これだ!と思ってPCがなかった私は携帯のezwebのメールでグエンにメールを送る。すぐに返事が来てイギリスで学んでみないか?家庭で人と犬が共生する現実や文化を学びに来ないか?と誘われた。
私は第三ステップの修行に進む。
家庭で人と犬が共生する、社会で共生する人と犬の社会を知ってカルチャーショックを受ける。
街にはノーリードで自分の意思で犬は動き、バスや電車、レストランに一緒に乗っているが、マーキング(施設での排尿、排便)をしない。
飼い主さんの指示ですぐに帰っていく。ドッグパークでは犬同士が一緒に遊んでいるが、皆誰かの飼い主さんの指示を聞いたご褒美でボールを投げてもらって、拾ってもっていき、飼い主さんの指示を聞かなかった犬は遊びを止められていた。
そして、ホームステイで犬と暮らす家庭を知る。
日本のお父さん、お母さんのようにいたせりつくせりはない。
基本は自分のことは自分でやり、欲しいものがあれば自分で欲しいという意思表示や、それを食べにいかないと永遠に口に入ることはない。
ちょっと意見を言ったら、「ノーエクスキューズ!!」と叱られる。親がこうしなさいと言ったら、こうしなさい!と一切子どもには譲らない。
それが正しいとか間違いではなく、親は絶対であり、社会の一員として自立していくためのしつけを受ける。
犬のしつけも、家の中での管理(マネージメント)はしっかりして、人間社会で共生していく上で行ってはいけないことには、NO!と強い口調とびっくりする音やボディーランゲージはすごい迫力。しかし、止めた時にすぐに「わかったか?」「OK!」と褒めて終わる。
とにかく子犬にも厳しくいけない!教えるが、その後止めたことを褒める。またはどうするべきかを呈示、誘導してその適正行動を教えて褒める。犬の機嫌??そんなものは存在せず、また犬を心配したり、かわいそうなんて気持ちはない。
この犬が成犬を迎える頃に叱らなくてもいけるように叱るの!そして必ずどうすべきか?を教えて褒めること!これを忘れてはいけない。
じっと一人で犬に与えられた部屋で静かに過ごすことを学ばせる。これは犬が寂しさに耐えられずに人に甘えてしまったり、依存してしまって成犬になれないようになってしまうから、大切な教育。
一緒にいるときは家の中でも犬はリードを付けられ、一緒に人間の家の中で暮らすルール(してはいけないこととしていいことを教える)を教えていき、リードを繋ぐことで一緒にいられる喜びと安心感をまなび、外すと自分の部屋に戻される。
リードを外されることは、独りぼっちになる寂しさと安心の両方を得る。
リードに繋がれても犬が嫌にならないように教えてあげるの。だからこの子はこのリードで繋がれていると安心して散歩にいけるし、嬉しく行けるようになる。
様々な人、犬、外では様々な刺激に適応できるように、ふるまいを犬に教えていく。
もちろん、間違った行動には叱り、適切な行動をとらせて褒める。
こうして社会適応できる心と力を育てていく。こうして叱るのは、今がかわいそうではなく未来にかわいそうでないようにする愛情ということ。
そして、叱りを受ける行動を回避して、褒められた行動を自発的に考え、判断し、快(褒め)を求めて行動できる力を身に付けさせ、犬は常に飼い主に注意をむけながら、叱られることは避けて、褒められる行動を起こすための思考を育てる。
子どももまったく同じように育てていた。日本の子どもなんてくらべものにならないほどの厳しい叱りを受けているが、しかし、拗ねたり、反抗したりもなく、常にポジティブな気持ちを得る為に自ら考える(不快をさけて、快へ進む選択教育)力を育み、犬はこれは?これは?と動き、その後、褒めを求めて楽しそうに動けている。そんな頃には、ほとんど叱られることはなくなり、褒めるだけになっていく。
犬は不快、不利な状況から動けなくなり、怯えることのストレスを浴びることなく、自分からそうしたストレスを受けるとそれを避けてるために考えて動き、ストレス回避、跳ね返す力が育まれているので、ポジティブな気持ちが育っていく。
おやつだけで褒めるだけで育った子は、不利や不快な状況に置かれるとストレスに潰れてしまい、常にネガティブ思考になっていく。
叱りと褒めを受けてきた犬は不快や不利な状況に置かれた時こそ、力を発揮して前向きに褒められる行動を探して動き嬉しいをゲットしていくので不快や不利な状況にはとどまらず、すぐに快を探して動けるので、常にポジティブ思考になっていく。
このポジティブ思考が働く時は、思考停止によって起こる咬む、唸る、襲い掛かる、パニックになるということが起きなくなる。
こうして子犬から成犬に向かって成長していき、自分で理解し人間社会でのふるまいを身に付けた犬は、叱られることもなく、徐々に厳しかったルールも緩和されていき、飼い主さんと友達のように付き合い、一緒にソファーで寝て、可愛がられ、一緒にベッドで寝る。
リードは必要なくなり、飼い主さんの指示に注意をむけながら褒められる行動をとるため、自尊心や自信が揺らぐことがない。
ここで本当はかわいそうだけど、成犬になってから叱られずに褒めるだけの暮らしを得られるように育てるのが褒めてしつける方法だと学びます。
叱りはダメではなく、また褒めるだけやフードや玩具などの快だけで育てるのがダメだった。
これを本場で学んだ家庭の犬のしつけでした。
クレートに入れるとかわいそうだから、叱ったらかわいそうだから、過保護に扱うこともなく、過干渉もない。
ダメを日本人のように紐も短くして止めるだけでは、それはより欲求不満を高めるだけでダメが理解できないから、NO!びっくりする刺激を与えて、NO!で止まるようにさせて、終いにはNO!も必要なくなる。
褒めるだけでよくなるから、これが褒めて育てる家庭教育(しつけ)だと教えてもらいました。
プロではなく、一般家庭の当たり前の子犬や保護犬で迎えた犬への育て方でした。
元々犬と狩猟を楽しんだ文化なので、トレーニングスクールで愛犬と一緒に取り組むべく趣味のためにドッグトレーニングを習い、共に楽しむ趣味として、カルチャースクールに通って、愛犬と一緒に取り組むことを楽しむ。
この時には、もう褒められるために自発的に考え動く力を育くまれているので、間違えた時は無視をして、犬に正解を探させて褒めるという方法でトレーニング課題を教えていく。これは教育であり、こうした共同作業をしながら社会マナーの行動を養う。
そしてプロトレーナーやカウンセラーになる課程は、まずは否定、認めないというフィードバックの中で、人間も不快や不利の状況を避けて、自ら認めてもらえる方法を考え行動していき、認めてもらえるように負け地と頑張る。
打たれても、這い上がる力鍛えられる。わからないことは待っているのではなく、積極的に師に求める。
日本と違ったのは、積極的に求めれば、どんどん教えてもらえる。しかし、自分で質問したり、聞かなければ何も教えてくれないので、言ってもらえる日本の甘え文化のままだと、お金払っているのに何も教えてくれないし、ぼったくりだ!とか侮辱するだけで、何も教えてくれないからバカらしいとリタイヤする日本人は多かった。
今、思うと今の日本の犬と同じ心理や思考状態で、自ら聞き、求めていく自発性がないので、不満や叱られたり、注意を受けたりしてもそのまま受けるだけで自分で回避しようとしないからストレスでいっぱいになる。
そして自信を無くし、咬みついて帰っていく。
そして、日本の甘い両親に泣きついて、終わる。もしくはこのままやっぱりあれはおかしいと叱らずに褒めるという方法に我流で走り、日本では叱るという行為が面倒だし、かわいそうだからできないという親には好都合でヒットする。
しかし、日本の犬は益々自発性を失い、ストレスフルになる為、それが問題行動の心理であり、日本の犬はストレスに潰れる、不快、不利を回避する力がなく、キレる子が増えている。
こうして私が日本で家庭犬専門のしつけ教室と問題行動の改善指導のプロとしてのスタートをきりました。
ここから、年々理解されずかわいそうと言いながらいう事を聞かないと殴る、蹴るなどの体罰や保健所に連れていったという飼い主さんと衝突が続いた。
プロになる・・ここまでに犬学や教育心理学、行動分析学、行動学などを学んだことを乗せなかったのは、こちらは後からでも習得できるし、犬をしつけられる自分が育ってこそ、次に必要になってくる学問だからです。
実際の現場は教科書や実験室の科学のようには進まないし、それが当てはまらない。
そこに飼い主さんという大切な存在が含まれていないから。
今の専門家養成は学問ばかりを教えて、学問が優秀は人がプロになる。
しかし、実際に犬をしつけられるために必要なしつけを受けてきていないので、犬の気持ちが理解できず、甘々の苦しみやストレスを経験していないからそれさえ飼い主さんに伝えたり、教えたりできない。
自分が痛みを受けていないから、平気で優しい罰と勝手にうたって、負の罰という精神的に負荷をかける辛さが理解できない。
結局、犬や飼い主さんの幸せを育てることができる人間になれていないけど、頭での知識・技術で心が動かない。動かせない。動きが見えない。
修行期があってこそ、今やっとわかったことはこうした経験はすべて犬をしつけられるようになるために必要なしつけを受けてきたということ。
そして、しつけられている時の心境を体験することで、見通しやその時の心境が理解できるからこそ、さじ加減やその時の気持ちとどうすべきかが体が覚えているし、体験しているから生きた情報を飼い主さんに伝えられるから、不思議と本の情報は伝えられないし、伝わらないが、体験して得た学びは、伝えられるし、伝わる。
これを飼い主さんと一緒に歩み、ここが山場ですよ、この時はこうした方がいいですよ、未来が見える導きができる。
そして、飼い主さんしつけられるしつけも自分が受けてきたことをまた伝承する。
そうして、助けられる心とスキルを育ててあげていくことで、自然と犬は助かるのです。
これが今の日本のプロに欠けていて、飼い主さんにも提供されず、犬にも恩恵が届かないので、SOSが本当に多くなっている。
お利口と呼ばれているトレーニングコースの上級犬が咬む、他の犬に吠えるという現象があってはならないと感じます。
自ら聞いてくる、求めるトレーナーが少なくなってきているように感じます。
本はいっぱいよむけど、伝承を嫌う・・謙虚さが失われてのかもしれません。
素晴らしい先生を観ているともちろん適性はあるのかもしれませんが、センスがいいわけではありません。
このセンスがいいという言葉はその先生への一番の侮辱で失礼になると私は言わないし、思わないし、それよりも見えないところで人の数倍の努力をしているからこその心を響かせることのできる先生だと思います。
楽して、そんな人間にはなれないのが真理だと思います。
生きるとはそうゆうことだと思うし、共生という生きるを扱う専門家の最低限の姿勢だと思います。
一人でも多くの人がこうした先生と巡りあえて、愛犬をも助けられることを心から願い、共に生きることを自由意思で互いに楽しめる共生が広まることを願い、これからも貪欲に、そしていつも初心と見習う姿勢を忘れずにこれからも精進修行していきたいと思います。
死ぬまで勉強・・死ぬまで修行です。
こうした勉強よりも大切な、プロとしての人間性を育ててくれた諸先生方に改めて心から感謝し、これからも尊敬を忘れずに頑張っていきたいと思います。
長い話を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次はあなたが愛犬を助ける番ですよ。諦めずに是非、SOSで来てください。一緒にその道を同行二人で歩ませて頂きます。
