命を活かす、生かす知恵 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

寒かった日から急に6月の気温へと急変化。

体調を崩しやすい環境ですが、皆さんはいかがお過ごしですか?

犬たちにも非常に負担の多い気温変動ですが、気を付けて過ごしてください。

 

私は家庭犬トレーナーとして、そして問題行動の解決を手助けする活動させて頂いてきたこの20年弱。

色々とありましたが、ずっとぶれずに軸はもちながら、道を外れてみたりはあったものも、初心に戻ることを繰り返すことができたのも、私を育ててくださった今までの飼い主さんたち、犬たち、そして忍耐強く見守ってくださった各分野の師匠のお陰に限ります。

今の私が神社巡りや寺院巡りをよくしてて、好きなのを知っている方は身近には多いですが、実はそうした恵まれた環境はありながらもまったく興味なく、興味や勉強を始めるきっかけなったのは、なんと海外の友人や師匠のきっかけからだったのです。

軽くお寺に興味を持ったのは高校時代からの友人であるアメリカ人のクリス。

彼は非常に熱心なクリスチャンでしたが、祈りより実践の大切さをよく話していました。

常識のない私に、車で道を譲った相手に御礼を求めたことに「御礼を求めることでそれは徳を失った」とか、一緒に神社に行った時も日本の家には神棚があるが毎日手を合わせて挨拶しながら自分を見返るという習慣や感謝という心を育む素晴らしい環境だと言われましたが、私は当時は神棚に手を合わせたこともなかったし、そんな風に考えたこともなかった。

 

そして、家庭犬としての教育や人と犬の問題改善の勉強をさせてもらったイギリスの先生に、「日本で行うなら、日本の命を活かす知恵を学ばないと共生という”生きる”とことを扱う専門家として無責任や形にならないように勉強や修行をしてから始めなさい」と言われました。

お寺の僧侶には子どもの頃からかっこいいというか憧れはあったので、私はご縁のあった高野山真言宗の寺院の住職であり、本山の大阿闍梨でもある大日寺の大栗師僧の僧になるための修行と勉強をさせて頂きました。

真言宗は密教と言われる仏教ですが、生きること、共利群生という共生の意味を説いた空海が開祖ですが、私は犬だけの専門家ではなく、生きるという時間を預かり、人と犬の生きるを扱う責任の重さを感じ、いろんな意味で幅広く多視点からとらえないと、学問だけではできない仕事だと思いました。

 

それぞれの国には、その国の命が育まれる知恵があり、それが伝承されてその国で生きる命を育む知恵がありました。

日本は日本の命の育みがあり、アメリカにはアメリカの命の育みがある。

それを知らずして、しつけやトレーニングを闇雲に何でも欧米式がいいとか、日本式は劣っているとかそんなレベルの話は科学的な学問の話の次元であって、もっと大切なことは学問では学べないと感じ、イギリスの先生に言われた言葉の意味は今になって体で理解することができるようになってきました。

 

犬のしつけを知る前に、命を育む親の子育てをよく見ないといけないと思います。

それを知る事で、子どもや犬たちの命の育みに必要なことがわかります。

幼い子を離して寝て、自立を促すために私はあなたのお父さんでもお母さんでもなく、あなたを社会の一員として育てることを授かったという考え方で、相手のプライベートを尊重する子育てと、幼い頃から川の字に寝て、心の一体感を感じて育ち、甘えを生き方にしている日本ではしつけ方は変えないと犬に与えている人間側の常識、意識、思想が異なることに適応できない。

日本には”あめとむち”という言葉があるが、日本人の子育てには必要な方法であり、それで生きるための力を養育してあげていくことをしないといけない。

 

学生時代に仏教美術が好きで仏像についてはよく勉強したが、仏像は人間の心の働きや知恵を形にして表し、私たちが見失わないように

示してくれてる姿が仏像の姿です。

また神社でいえば、伊勢神宮に行くと正宮(和魂)と荒魂をお祀りする社がある。

荒魂は活動的な姿で、お寺であれば不動明王という背中に炎を背負い、剣と綱をもち恐ろしい形相をしている仏様にあたると思いますが、これは父性の愛を示すものではないでしょうか?間違った道や心の魔物や鬼を退治するために怒って助けようとしている愛の姿が不動明王にあたると思います。表は怒りの怖い姿をしていますが、心は子を叱りつけることへの辛さや痛みを一緒に抱えながら、子を助けようという愛を表している心の知恵だと思います。

そして、正宮にお祀りしてある和魂は観世音菩薩ではないでしょうか?

穏やかで優しい慈悲のお姿で、あの手、この手の知恵を授けて助けようとしている母性愛を表していると思います。

しかし、その優しさの姿の中は、甘えを許さずあくまで自分で乗り越えさせるために突き放したり、知恵やあの手、この手を授けるから自力でと自力をもたせる知恵で、それでも教えを聞かない子には、不動明王の姿となって助けます。

 

父性と母性があって、命は育まれますが、私たち大人や親の心には魔物や鬼がいます。

何でも好き放題にさせて甘やかし、自分の欲(自己愛)を満たすだけ、嫌われたくないからと叱れない、やりたい放題を餓鬼といい、その道で生きてる人を餓鬼道と言います。そして、何でもかわいそうと色々な苦難や耐えることをさせずに自立を妨げる邪魔という魔物が心に宿ってり、かわいそうかわいそうと過保護に育ててしまい生きる力を奪うものは慈悲魔と言います。

こうした父親や母親の心に宿っている鬼や魔物から助けようと、気づかせようとするのが子どもや犬が発する問題行動というメッセージだと言われています。

親がいなければ子の命も生きるための心や力を育んでもらえずに生き溺れてしまっている子や犬たちをみたら、その親の心で悪さをする鬼や魔物を退治しなければいけません。桃太郎は動物を従えて鬼退治に行きます。

 

お寺でお願いごとをするのではなく、そうした父性、母性の心を見失わないように心の知恵を教えてくださる姿、気づかせて頂くことが本当の御利益なのです。

犬の学問や科学的な教育法の発展は素晴らしく、教育者はそうした原理に基づいた方法で教育を手助けしますが、それを活かすには、その前の基礎となるしつけという生きる為の心と様々な負を跳ねのけて自発的に行動を取れる力や心の筋力を育ててないと形だけはできるが、生きる力のないことでの暴力行動を取るようになってしまいます。

今一度、日本の子育てで取り戻さないといけないのが、甘えの文化だからこそ、叱り(指導的叱咤)が必要で、その後に必ず止めたことを褒める、やるべき行動に導いて褒めて育てるしつけが必要なのです。

どんな理由でさえ、暴力や感情的にむかついて当たることは正当化されませんし、これは叱りではありません。

また叱りばかりでは萎縮させるだけなので、必ずその後に褒めて終わることで、嫌やストレスを回避して、自らの力で快を求めて行動できる自発力を身に付けてこそ、叱ることはなくなり、常に褒められる行動を自ら取る思考も育つので、そこからは様々な勉強で、よりそうしたスキルを強化するのが家庭犬トレーニングだと思います。

 

犬たちは、どうしたらいいのか?を教えて欲しいのです。

それで、生きるために必要な力を育んでもらって、初めて自由に生きられるのです。

しつけは通過点に過ぎず、いつまでも行うものではありません。

また犬たちは生きる力を育まれず、「ぶっ殺すぞ!」「触ったらぶっ殺すぞ!」と言っていたらそのまま無視してていいでしょか?

嫌なこと、気に入らことをされてキレていたらそれはいけないことを教えないといけません。

中には自分の意思を出すことができず、常にいい子、お利口とプレッシャーをかけられて我慢に我慢を重ねて我慢できずに発狂してしまい、外で生きられる適応力を育ててもらっていないために部屋に引きこもるこたち。

対応ができずにパニックして暴言を吐いて暴れるなどしていたら、その時どうすべきかを教えて適応力を育てるのがしつけなのです。

 

生きるとは様々なストレス、思い通りにならない苦など、けっしていい事でないことも適応しながら生きていかないといけません。

ストレスは悪者ではなく、ストレスがあるからそれを跳ねのける、耐性がついてストレスに負けない心が育つのに必要なのです。

何でも苦やストレス、嫌悪、フラストレーションを排除してしまっていたら、その子は自力で生きることができなくなる。

それは私からみたら優しいのではなく、それは生贄です。

過保護は親の自己愛の満足でしかなく、優しさではなく身勝手な行為です。

 

こうした私たち人間が命や心、生きるための力を育む知恵を取り戻さないといけない時代だと思います。

家庭犬の共生という目的を見失った、トレーニング教育はどんどんと私たちの欲を満たすことだけを強化してしまうだけになってしまいます。

私たち専門家も、今一度日本の文化、常識、思想、子育て環境に適したしつけの再認識をしていかないといけません。

 

こうしたことに気づけたのも、イギリスの師のお陰でもあります。

問題改善は、犬だけを直すなんてありえません。

育てていない親の心の鬼と魔物の退治が必要だと思います。

 

日本は大切な知恵を見失い、捨ててしまっているように感じます。

是非とも表面だけの現象に評価や対処するのではなく、その奥にある生命のことばに耳を傾ける姿勢、観る心眼をもつ必要があると思います。

知恵と聞くと古く聞こえますが、私はこれこそが最大の科学であり、心理学だと思います。

 

知恵という科学と学が現場の前線で指導している専門家にこそ必要なのかもしれません。

これからも日本の人と犬と共に生きるために必要な知恵を通じて、犬たちと飼い主さんを手助けしていき、日本に共生文化が広まることを願いこれからも努めていきたいと思います。

 

何でも欧米式が良いのではなく、欧米文化に適したしつけ方なのです。

日本には日本文化に適したしつけ方を取り戻す時です。

 

生きる力を奪われ、怯える犬たち、耐える力がなくキレる犬たち、どうしたらいいかわからずにパニックする犬がいなくなり、トレーニングという教育で飼い主さんと犬が共に取り組める楽しい共通の趣味が広まることを願っています。