今日は春のような暖かさですね。
ついこないだまで寒波と言っていたのに、急に暖かくなるとまた体もおかしくなります。
今朝は朝から鼻水とくしゃみが止まりません。
今日は愛車のオイル交換をしています。
いつも私自身が気にしながら犬と向き合っていることがあります。
自分自身が親からのしつけと言われたのは、言い訳をしない、何でも親のいうことにはYES,服従だった。
それに一つでも自分の意思を出せば、それは親の意に沿わない時は”逆らっている”と言われたり、自立しようとすれば、お前は俺から離れたら死ぬとか脅されたり、暴力で、結局自分の意思よりもそうした親の機嫌をとりながら怒られないようにだけ生きてきている。
だから、”しつけ”の目的は何か?そこを大切にしているし、犬にも気を付けています。
最近は優しい方法とか、褒めるという方法が手法となっていますが、そうしたトレーニングもその項目を学習して出来ればいい子、出来ないとダメな子となって、共に生活をするためというよりもトレーニング項目をクリアさせることが目的に提供されていることが多くなっていることが気になる。本来は共に生活にするため必要なものであって、トレーニング項目をできるようにする目的ではないはず。
大人しいとか、お利口さんとか、それは親にとってであり、人間社会で共生していくためではないと思うのです。
自分の意思表現が出来ない犬を大人しいと片付けてしまったら、これは問題だと思うし、自発性を失いいつまでも指示をしないとできないようでは、それはお利口じゃなく、意思がなく依存しているともいえる。
やはり人間社会で生きていく上で、避けるべきことと報酬や快適を得られることを判断できるように学習し、常に報酬や快適を選択できる力を育んでいくことで、自発性は出来てくると思います。
自己判断力を育てることで、犬はルールを自己判断して報酬や快適を得る方を選び行動ができるようになってこそ、初めて自由に生きれる状態となり、それを目指して私はしつけという選択学習があると思っています。
子犬の頃は様々な状況に適応や対応できる自信をもつために社会化という教育をしていき、その後は良いを選択して学んでいき、不快は予防もしくは嫌悪によってさけることを学んでいき、後は良い方向へ導き褒めることで青年期を迎えていくようにステップを踏みながら育てていくことが大切ですが、最近は家の中や生活での教育を忘れて、自分の言うことを聞く事を目的に行ってしまっているところが目的が違ってきているように思ってなりません。
親のいう事を聞く、これが目的ではなく人間社会で生きていくルールとしてその呈示している行動を取れるように教えるが目的でなくてはいけません。
かわいそうだからと何も教えずに好き勝手にさせておいて、自分が困るとそれを止めようと後からする方が犬にも結局飼い主さんにもストレスがかかるのだから、ストレスに心配したり、かわいそうを心配を本当にするのなら、小さな頃に管理の中から自制心を育みながら一緒に生きる行動や必要な心のスキルを育んでもらう、取るべき行動を強化してあげていくことをしていき、予防は管理で経験させたり、それを快適と学習させないようにしてあげないといけないのです。
家庭教育を忘れて、お利口さんのためにトレーニングをしている飼い主さんと、指導しているトレーナーさんが多いようになってきていることが気になっています。
問題行動の改善を担当していると、それに至った原因の部分から色々と予防策も見つけるし、目的の再確認ができるが、多くの方は課題をクリアーすることを親の快感となって、それが出来ない子はダメな子に評価し、自分のいう事をきく、課題をこなせる子をいい子と喜びにしていくと、家庭で教えないといけないルールは課題にはないからとそのまま放置してしまって、後にすべて家庭や社会ルールを教育することを忘れていて、好き勝手に育って、やれば食べ物が貰える行動だけをおぼえて生活に必要な適応力や対応力、判断力、自制心や自信などの心の育みを見失っている方が本当に多い。
勉強はできる家庭内暴力息子や娘みたいな感じで、親からの体罰で怯える一方、甘やかされて(要求をすべて答えてあげてて)いて、それが通らないフラストレーションでキレるという子も増えてきている。
大切な養育の目的が忘れられてしまっている証拠だと思う。
私は選択学習というところで、不快と快適を知り、不快をさけて快適を選択できる力を育んであげていき、報酬を選択できるようになったら、今度は様々な行動を報酬ベースで育んでいきます。
そうして自由を目指した生活訓練をしていき、自由な共生を築きます。
今一度目的を見直して、家庭犬の教育をしていきましょう。
