命を育む知恵と知識 | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

皆さん、こんばんは。

明日の松本の専門学校での卒論発表会と教育課程編成委員会に出席するために、今日は松本にいます。

松本から今日のブログを発信したいと思います。

 

最近の犬たちは、私たちにとってどんな存在として向き合っているのだろう?

私自身も自問自答の日々です。最近の子育て事情をみていると何か機械的に感じてしまうことがある。あとはストレスを避けたり、リスク回避に親が先回りしすぎて犬を含め、子どもたちの生きていくために必要な心の耐性や自分自身での対応力、適応力、協調性、自制心や自信など犬個犬が自分で安心して対応、適応し、協調性をもって共生できている事が本当に少なくなってきているように感じますし、同じ親が育てるのですから子どもたちにもそのような傾向が強いように感じ、様々な状況に適応できない子たちが増えてしまっている。養育がわからない、知恵がないことを最近は感じてなりません。

 

 インターネットや本などで知識情報は豊富になり、エビデンス(科学的根拠)に基づいた方法で科学的な理論を用いた子育てが増えてきていることは良いことだと思うが、ただ命の成分や心については科学ではすべて解明できるものではなく、むしろ未科学の分野の方が多いのではないでしょうか?もちろん、科学は否定しませんし大切だとは思うのですが、やはり自然の道理や摂理を考えると物事は二つのものが作用して1つの働きが生まれるとある。犬を育てる上でも私がイギリスの先生に言われてきたのが、知識ばかりでなく、その国にある知恵を習い実践しないと、命は育たないからしっかりとそうした知恵を学びなさいと言われ、元々美術系の学校で仏教美術に興味があり、知恵の心理学も犬の勉強以外にしっかりと学び、習ってきました。

 

 欧州のトレーニングやしつけを見てみると、科学的な理論に基づいた方法でありながら、それよりも心や感情面にウェイトをおいていることを感じました。

アメリカは知人からの情報では、科学にウェイトが置かれており、心や感情よりも行動に着目されているケースが多いようです。

 私はやはり物ではない限り、もっと心や感情に重点をおき、その上で科学を活かすべきだと思っています。“生きるは知恵で、活きるは知識”で、双方あっての生活だと思うのです。

元々は日本から広まったしつけという選択学習も欧州では逆に大切にされているのに、その大元である日本はその大切な知恵を捨ててしまい、表面的な形だけを重要視して、ただ褒める、まったく叱らない方法がいいんだという勘違いから大切の核の抜けた骨抜き教育化は子どものみならず、犬の育て方にも影響が出ている。

 

 ちょっと嫌悪罰をみるだけで過敏に反応する。なのに何故か体罰には自己容認する。それが飼い主さんならともかく専門家がそんな状態になっている。嫌悪罰はあくまで弱化目的と嫌な刺激を避けて、報酬を得る知恵を身に付けてあげるために必要だと思います。何でも負の罰という無視や精神的負荷をかける罰がいいとは限らない。

リスクもあって、メリットも生きてくるように、メリットを生かすお陰が嫌悪罰だと思います。与える為に行うものではなく、避ける為に教える。

そしてここで区別しないといけないのは、嫌悪罰は体罰ではない。

殴ったり、蹴ったり、怒鳴ったりして恐怖を与える体罰ではなく、嫌だと感じる罰と区別しないといけない。

 互いに快適を得るために、初期教育に嫌悪罰も必要だと思う。

 

 知恵という視点からお話しすると、お寺に不動明王という仏様が祀ってある。

いつもすごい形相で怒りの姿や剣と縄を持って、睨みつけている。

仏像を美術や心の働きを表すものとして捉えると、われわれが苦しまないように、道を間違えないように、必死に助けよう、守ろうとしている愛の心の働きを表している仏様が不動明王や閻魔様もそうではないでしょうか?しかし、その恐ろしい形相の心は観音様のような慈悲に満ちた優しさや叱る時の辛さや愛を涙を流すという姿で現している。

その逆でいつも穏やかで温かいまなざしで見守ってくださる観世音菩薩という仏像がある。

手が千本持つという千手観音も、あの手、この手の知恵の象徴と働きであり、十一面観世音菩薩は11面という顔を変えて、相手を諭そうとする慈悲と知恵を表していると思います。

その穏やかな表情の中には、不動明王のような厳しい心を持っている。

 

陰陽が必ず働いており、父親的な自愛と母親的な自愛を示す代表的な人間の心や知恵を表す仏像が不動明王や観世音菩薩がポピュラーな象徴だと思います。

お願いごとを叶えてもらうために仏像に祈るのみならず、私たちが見失わないように大切な知恵を形として伝えていて、それを感じ実践するのが本来の祈りだと私は思っています。

こうした人間らしさがあってこその、本当の人道的で、人間の小さな知識で作った人道的はやはり私たちが備わっている知恵を無視したら、結局自己満足的な小さなものでしかなくなると思います。

 

 子育てや犬育てで大切になってくるのは、また今見失われているのが“知恵”が足らないと思います。心育むのは、やはり知恵を無視したら健全な心は育たないと思います。

敬う心、思いやる心もすべて知恵であって、知識から得られるものではありません。

こうした時代だからこそ、知恵をしっかり学び、修行した専門家になることが大切だと教えてくださった、先生に今でも感謝していますし、先生の教えからぶれずに今も歩めています。

科学、理論に拘る学者が多い中、知恵を大切にした博士にご縁あり、指導頂けたこと、日本で私にそうした知恵を教えてくださり、心とは?を習わせて頂いた御師僧様にも感謝しています。もし機会があった時、仏像の仏様の声に傾けることも気にしながら、今一度知恵のある心の育児を広めて、生きるための知恵を愛犬に注いであげて、命を守りましょう。