家庭犬しつけトレーニングが出来ていない?? | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

岐阜エリアは水曜日の午後からの雪の影響で、昨日と今日も交通マヒ。

通勤もそうですが、2日連続で3時間渋滞。

路面状態も悪く、集中しての3時間運転に疲弊しました。

今日は福岡からの投稿です。

こうして離れると色々と整理ができるので文章化しやすくなります。

 

私は今は主に問題の改善指導を行う行動カウンセリングを実施しています。

実はこの行動カウンセリングは飼い主さんと犬から大切なフィードバックを頂けるすごく学びとなる時間でもあるのです。

こうした問題の状況として、飼い主さんとの両方な関係が築けていない、生活に必要な教育が実施されていないなど、本来共生していく上で一番大切なるしつけという礎がまったくなされていないで育ってきてしまっている犬が増えてきているのを痛感する。

これがチーム指導が出来ていると、家庭犬トレーナーは行動カウンセラーに色んなフィードバックや情報を提供してもらい、予防に努めるための問題点の特定に役立てていき、相互からベストと今必要な目的の確認を日々行っていきます。

私も飼い主さんや犬が悪いとかではなく、何がこうさせてしまったのかをしっかりとデータとして残しておかないと改善が出来ないため、非常な重要で核のポジションとして、飼い主さんや犬はもちろんですが、トレーナーにも情報提供していくポジションになります。

 

パピークラスから参加し、成犬クラスの上級クラスまで進んでいる飼い主さんと犬がまったく関係、生活トレーニングがなされずに一緒に共生する礎が骨抜きになってしまっている結果と最近遭遇している。

私のクラスでトレーニングではなく、カウンセリングで環境改善を行ってもらうとその目的が抜けているケースに直面し、解決ではなく私のカウンセリングから本来すべきしつけがやっと始まるというケースが多くなってきている。

簡単にいってしまうと、犬の視点を持たせて、犬のストレス軽減や安心を重要視されるばかりに飼い主さんの主体性は失われて、犬の行動結果に一喜一憂する関係を家庭犬トレーニングが作ってしまっている。

本来は、意識は犬ではなく飼い主さんに意識を向けさせ、飼い主さんが愛犬に教え育むための行動スキルを教育していくのが家庭犬トレーナーの仕事ですが、犬をどうさせるか?犬の行動教育に視点を向けることで、飼い主さんは犬に教えるのではなく、犬に教育されて犬が安心して暮らせるように飼い主さんがしつけされていくという本末転倒の結果を生み出してしまっているところに、今一度家庭犬トレーニングの核となる目的を教えなおさないと、先日もある獣医師の先生に指摘されたが、家庭犬トレーナーの指導を受けてくると飼い主さんの主体性が失われれて、かえって関係を悪化させているようにみえるんだけどと言われたのだが、それは本当だったことを自分で観て実感した。

 

家庭犬トレーナーとして、私もスーパーバイザーの資格を持っている以上、家庭犬トレーナーの再教育が必須になってきていることを急務に感じているが、最近は保護心から習うということが難しくなってきている問題も抱えている。

おやつをもらうための形をどれだけ身に付けてお利口と喜んでも、それは家庭犬のトレーニングとして何の意味も持たない。

飼い主さんが犬に対して何を教えるべきか?その姿勢を示すことの大切さや飼い主さんの主体性を意識付けしていかないと、骨抜き教育になって結果、飼い主さんも犬も苦労するし、何のために時間と労力を費やしてきたか無意味になってしまいます。

 

飼い主さんの安心、幸せ=犬の安心、幸せになってこその共生のための教育となる。

犬の顔色伺いをしながら、犬がストレスかからないようにしたら、それは過保護だし、協調性が育たず家庭犬しつけトレーニングの目的である「共生関係の確立」というゴールにたどり着けずに、糸の切れた凧になり浮遊してしまう。

浮遊させるための家庭犬しつけトレーニングレッスンが施されているのなら、それは罪だと言っても過言ではない。

一番目的を見失うのは、飼い主さんではなく、専門家の方になる。

自分の技、知にこだわるばかりに、飼い主さんと犬の利益を忘れてしまう。

先生と呼ばれる仕事は、どうしても井の中の蛙大海を知らずになるのを防がないといけないし、そのためにネット情報や紙切れ情報ではなく、生きた師からの習うということが、そうした慢心や怠惰を防ぐ一番であり、最低の基本となる。

 

やはり師は、教え子の状態をよく見えているが、立木見ると書いて親だが、いちいち口出しはしない。

じっと待って見守り、来るのを待つのが師の姿勢になる。

私も常にここを問いて、先生から習い続ける。

あれこれ子どもじゃないから教えてはくれないが、自分に気づくきっかけ与えてくれるし、有頂天になっている時は落としてくれる。

その時に素直が私たち専門家にあるかないかが素質になる。

 

飼い主さんにとって師となるのが家庭犬トレーナーだからこそ、師としての自己成長を学ぶのではなく習うことでぶれない、目的を見失わない自分を築かないといけないのプロと呼ばれる人の最低の使命だと思う。

 

目的を失っているトレーニングの犠牲は、止めないといけないし、それは家庭犬トレーニングの本来の必要性の普及に表面的な優しさ(甘さ)に流されてしまうのではなくしっかりと育児の礎は持たないと育みのできない飼い主さんと育みを得られなかった犬が育ってしまう。

それを習え、受講しろというのはどうなのか?ということに気づかないといけない。

犬は自分の快適主張を覚え、主張が強くなり我儘放題。

それにも叱らずに誉めることを続ければ我が儘を強していき、どんどん飼い主さんの主体性は弱化していくという人と犬を想定においた育みの実態を見失ったら、それは沙汰した方がいいとなってしまうだろう。

 

私たちが家庭犬トレーナーとして本来教えるべきことの答えは、飼い主さんや犬たちが教えてくれる。

それも習う姿勢がないとフィードバックを無駄にしてしまう。

 

最近、カウンセリングからやっと家庭犬のしつけトレーニングらしい行程ややり取りが見られている。

本来は家庭犬トレーナーが学び習うべき課題であると思う。

 

家庭犬トレーナーを批難しているように感じた方は、それがもう保護心でしょう。

私は逆に気づきを促す手助けとしてこれを発信している。

日本の犬と飼い主さんと犬が共生できる教育提供ができる専門家育成が急務であると危機感を感じている今日この頃です。