冷え込む日々が続いていますが、もう師走ですね。
師匠が走り回る月でもあるのですが、私は今年は師走はなく師は無動で過ごしています。
現場をさってもうすぐ半年。
いろんな思いと日々向き合っています。
特に休業の原因となった病気とは語り合っているのですが、毎回思うのが、体調を崩す時は周囲を見直せというサインである場合が多い。
体調よく頼りになる時は、誰でも寄ってくるし良いことばかり言われる。
でも、本心は病んで使い物にならなくなっても同じことを言える人か?
それが真の言葉であって、ほとんどはうわべの利用心ばかりだということに気づけと私へのサインが多い。
疑いたくない・・でも実際はそこに自衛が出来ていないから、病気でブレーキかけて身を持って知らせるのしかできないのでしょう。
その時、誰がそばにいるのか?
それが私へのメッセージだと思います。
利用しやすいから、利用されやすいよと言われることも最近あり、提供するのではなくされることを問うことをしてみてというメッセージもあります。
正直、そうすると人間不信になってくる。
でも、そうでない人たちもいる。
これから何がくるかわからないから未来。
犬達はそばにいる。
これからの自分がどれだけ利用されないか?
それを身につけることがこの時間の意義だと思います。
きてほしい人は来ない。
会えて嬉しい人が増えている・・。
これからどうなっていくのかなぁ・・。
困っている人たちの解決の御手伝いをしたいだけ。
私はそれ以外ない。
病気だから、病気の人と共感しあって一緒にもできる。
痛みもわかるから、それも共感しあえる。
私しかできないことがある。
それを活かせる場。
それがどこか??
不安であり、楽しみ。
心配されあい、助けあうのが人間。
心配されないことで、相手をダメにすることもあるから、今の私はちょうどいいものが揃っている。
自立を促せるプロになれてきてる。
いつから病人は悪者になったの?
私の師匠も病気になって、益々頼りになる存在になっている。
曲がった木は、曲がったまま生かせ。
自分の曲がった木をそのまま生かせる場所がある。
我儘ではなく、自分を守るために覚えないといけないこと。
頑張らないぞ!
もうきっと治っているのだと思う。
これが私なのだ。
