朝晩、冷え込んできました。
皆さん、体調管理にはきをつけてくださいね。
私は最近考えることがあります。
優しさって何だろう・・・。可愛そう・・がうたい文句になっていますが、何が可愛そうじゃないの?
甘いと優しいが混同しているように思う。
この姿を忿怒相といい、同じ観音様でも動物保護のご利益があると言われる馬頭観音様はこうした怖い顔をしていますが、これも救おうとする慈愛の姿なのです。
不動明王も同じく慈愛の姿だと思います。
私は学生時代、仏教美術に関心を持ち、人間の心の働きを表す形を表していると美術的にすごく仏像に興味がありました。
皆さんにはこの姿がやさしく見えますか?
私はいつもここに優しさを感じます。
そして、穏やかな表の姿の心の中にはこうした忿怒の姿があると思うのです。
逆にこうした表の姿の中には、穏やかな姿があるのです。
この両方あってこその愛であり、優しさだと私は思います。
最近は何でも相手の思い通りにさせてあげること、苦から逃がすことがよいことと思っている人が多いですが、それは優しさではなく、ただ甘いだけ。
人を怪我をさせたら、謝る、そして子にそれはしてはならないということを叱咤する。
これがやさしさだと思うのはおかしいのかなぁ?
穏やかの姿の時、自分自身の弱い心を戒めるためにこうした自分に忿怒することが多いと思います。
そして、私は大事な子だからこそ自分勝手な欲を満たすために駄々をこねる子を自分の堕落を叱る気持ちで叱ります。
腹が立った、憎いから厳しく叱咤するのではなく、その子がその後同じことで迷惑をかけないで生きていけるように教えるためです。
最初は優しく教えます。
それでも欲に負けて堕落しようとしているとき、「ここまでしないとわからないのか!」と心では涙を流し叱る。
私は、犬たちにもほめることはもちろん、ベースにしますが間違ったことをしているとき、他者に危害を加える危険行為や自分勝手な行為で他者に迷惑をかける行為をした時には叱咤することをします。
それが優しさだと思うからです。
先生はうちの子を信じていないからそうして先生は厳しく叱るんです・・かわいそうに・・ひどいね・・。
こう言われた時、私は信じていないのはむしろ親側だと思いました。
将来叱らなくていいように、睨みを利かす。
叱りたくないし、叱られたくないと思うから、今しっかり叱って、その後は褒めてあげられるようにします。
今が可愛そうと、ずっとこの子はダメとか、できない、と文句ばかり言われている方がかわいそうだと思います。
日本には自分たちの心を学ぶことができる場がたくさんあります。
心弱くなったとき、ぜひこの怒った姿の仏様と向き合ってみてください。
本当の優しさを感じた時、温かい心になります。
可愛そう慈悲魔に弱められて、怯え、思い通りにならない苦に耐えられずにもがき暴れる子たちが減るように、私は気づいて!というメッセージを発信しながらこれからも指導させていただきたいと思います。
力奪われて、可愛そう、可愛そうと生きる力を奪われている子たちをみたくないし、そうした優しさに化けた甘さで弱める冷たさで命の灯を弱めて欲しくないから。
訓練やしつけ・・私はその子が人間と共に生きる力を育むものだと思うし、それを教え育てることを共育させて頂いているだけです。
どうか温かい命と心溢れる社会をイヌの育みを通じて、広めていきたいです。
命育まれる社会でありますように。

