精神性って不要なの? | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

梅雨なのに、蒸し暑さだけで中々雨が降らない日々です。

私はイヌという生命と向き合い、そして飼い主さんという心と向き合い、いつも科学性も大切にしつつも、科学だけでは説明できない、素晴らしい愛とか命という本当に不思議と向き合っています。


そんな中で、科学を私達も最近はとりいれて教育に活かしたりしますが、それはあくまで表面的なこと。

私達には科学では証明できないことの方が多いのでは?と思うようなことと向き合っております。


精神論は不要だ・・的な風潮になっていますが、確かに確実性のないもの、今から考えればこれはおかしいだろうというものもありますが、そうしたことはすべて不要なのか?と考えたら私は不要なものはないと私は思います。

特に日本人は精神性を大切にしてきた国民だからこそ、精神性も活かすことも科学と共に大切だと思います。


偏らず、いつも精神性と科学をバランスよく取り入れながら私も日々専門教育の指導に務めさせて頂いていますが、科学が進歩すればするほど、同時に精神性の教育も必要ではないか?と思いますが、最近は科学ばかりに偏りすぎて、生命として、種としての違いまでも忘れてしまっていることは決してそれは良いとは言えないと思うのです。


これは精神論かもしれませんが、私は無理という言葉にすごく注意されてきました。

倒れるまでやってみろ!と言われ、倒れるまでやりました。

その無理と言った自分のチカラより5倍はできました。

でもその5倍が本当の無理です。

だからこそ、私は今も病気を抱えながら取り組んでいますが、無理しているのではなく今日の精一杯を続けているだけです。

無理という線で諦めてはいけないからです。


精神性も私はある意味知恵という科学だと思います。

実際に生きて、それを実践してみないとその精神論はわかりません。

やってみての論理であり、これは理論では理解できないもの。

私は理屈は科学で理論を説明し、後は実際に経験してみた論理は精神論を説明します。

その時も科学という重しを天秤に乗せることを忘れずにです。


精神性を無視したら、人間は冷たい無機質になってしまうように感じます。

私のトレーナー養成課程で大切にしているのは、あえて古い人間の精神性についての授業も入れます。

それは科学を温かく活かすことができるようになのです。


人間らしさを尊重したうえでの、動物との共生を見直していく時かなぁと思います。

正解なんてわかりません。

常に賛否両論・・私が心においていることです。


今日のブログの内容も受け取る人によって賛否両論。

大切なのは、正しさではないといつも思います。


この中途半端と言われる私の考え方ですが、これからも賛否両論で正しくも間違いもなく今を学んでいきたいと思います。

古きは一番新しい・・最近はそんなことも感じています。


聖地