人間社会はストレス社会。
そこで、だれもが求める”癒し”ブームによって、注目の的となったのが犬達でした。
犬達には今までなかった一方的に与えられる愛情という名の様々な行為によって、彼等の許容範囲を超えて、彼等も我慢の限界から様々な行動メッセージを発する。
しかし、それは人間からみたら、癒しを与える相手からの”反逆”にすぎなかった。
そして、殺処分は減りつつある一方、飼育放棄(譲渡)ということさえすれば悪くないという感覚までも広まってしまった。
小さく、幼い子イヌを眺めていれば、可愛いと心温まるのは人間の情だと思う。
しかし、命である以上、彼等は意思をもち、そして犬という動物として成長していくうえで、イヌの特性がどんどんと生得的に忠実に成長をする。
それを忘れ、癒しを求めて命を迎えることの過ちに気がつくことが大切だと思う。
本当のその命を育むことができるだろうか?
本当にその命を迎えるだけの時間などはあるのでしょうか?
それを考えずに安易に”癒し”という言葉に翻弄されても、結局は自身もイヌも苦しめる結果にしかならない。
散歩に行く時間がない、毎日残業、夜勤もある・・本当にその環境下で迎えても大丈夫でしょうか?
赤ちゃんにそうしたことをすれば、ネグレクトであるが最近はネグレクトが当たり前で、適正飼養の方が珍しくないだろうか?
犬達こそが、癒しを必要としていると私は感じます。
彼等をいつも安心できるように、育てて安心を与えてあげることが求めなくても”癒し”ではないでしょうか?
家族の一員ではなく、癒しを与えるサービス犬にしようとしていませんか?
犬が社会で、そして本当に家族の一員として共生できるように、私達が彼等犬に人間社会の暮らし方、行動ルールを教えて育ててあげないといけないのは?
私達が本来求めるのは”育児”だと思うのです。
思いやり・・相手のことを知り、学び、そして相手に教える。
これがペットという癒しの対象を通じて、私達の要求を満たさないものを問題と呼び、相手を直そうとする姿勢に本当に思いやりが存在するのだろうか?
これらが少なくとも私達人間社会を映し出す鏡のようにも感じるのです。
無知に気がつかないといけないときだと思います。
それは私達専門家も、常に無知を認めながら成長しないといけません。
これからも共に成長しあう、共育(教育)がなされる思いやりが広まることを願い、私はオーナーズスクールの通学普及を目指していきたいと願っております。
