若き時から、私は何かと上司と衝突しながらここまできた。
こびしてまで、嘘をついてまでやりたくなかった。
だから、我武者羅に勉強をし、我武者羅に数をこなして結果でモノをいうことしかできなかった。
今から思えば、素直でない本当に鉄砲玉のようで腹立ち生意気な若いやつだったと思う。
今でも大人げないと自分でも思うこともあるくらいなので。
トレーナーもそうだが、どんな企業でも必ず新人は来る。
私の嫌いなのが、頑張っている、毎日懸命に努めている若い人たちを見下すかの態度での指導する経験者を見るのが本当に腹が立つ。
椅子に座って若いころから眺めているのなら、それは違うかもしれないが若いひとたちは制御を知らずに一所懸命やってしまうから、すぐに疲れ切ってしまう。
30代にもなれば、適当ができるが優秀な若き人材は、必死に全力でやるから疲れ切る。
余分な動きも多いし、いつも気ばかり焦って失敗して、それでも成長しようと頑張っている。
そんな頑張る若者が燃え尽きてうつ病になれば、それを根性がないとか言う。
それは私は違うと思う。
そこまでやらせた上司の責任だと私は思うのです。
適当が出来るまで、カバーするのが上司の努めで指導も怒る、プレッシャーをかけるばかりが指導ではない。
それは可能性を潰し、新しい方法を生まれるのを止めてしまっている。
それでは育たないということは、その業種も育たないと思うのです。
若い時は体を使って覚える・・そして経験を積んで頭脳労働に切り替える。
これが知恵から学んだ順番だと思う。
人間はすぐに偉くなってしまう。上から目線で評価したりしてしまう。
でも、上に立つということは、支えられている立場になっていることを忘れてはならない。
だから、じぶんたちは新人を認め、ブレーキをかけて誉めて育てて伸ばす。
部下をもつ人たちと話すことも多いが、多くは感情的で、好き嫌いという先入観で評価する話が多く、偉そに批難することが多い。
上に立つ者が変わらないといけないと思う。
頭ばかり働いて、実行が伴わない新人と、頭は働かないが、常に汗水ながして泥まみれになっている新人と私は後者を伸ばす。
やはり実行力があってこそ、頭も生きた学問になるが、実行なしではそれはただの紙切れのコピーになるだけで、そこからは何も生まれない。
何でもやってみること、日々実務に汗を流してる新人は私は偉いと思うし、敬意をもって敬意ある声掛けをしたいといつも思う。
自分にはできないことを、やってくれているのだから。
体力も違う、考え方も斬新だし、そこに、ブレーキだけを教えられるだけで前進力は彼等の方が素晴らしい。
チームでの仕事でリーダーと呼ばれる立場のひとたち、教育係になっている人たちは、”教えること”を習ってはいない。教えるということを新人を通じて習うということで”共育”になる。
習ってこそ、今度は教えることを習うというリーダーになれる。だから若き時は習って汗かいて動くことが大切だと私は思う。
共育を伝えたい・・それが私の目標であり、伝えたいことでもある。
イヌだけに限らずに、教えるということの大切さや学びをリーダーや教育係の人たちに講習を受けてもらえたらと思って、各地でセミナーもさせてもらっています。
偉いとよばれる新人を目指してほしい、偉いと認められるリーダーを目指してほしい。
二人三脚でやっと人間として一人前です。
役職に酔わず、常に共育の心で踏み台になれるリーダーや教育役を育てたいと思います。
私も自分のコンピューターが壊れるまで、神経がショートするまで、我武者羅にやったから新人を偉いと思えるようになれたと思う。
若き人たちのコンピューターや神経をショートさせないないように、私達リーダーや教育係が存在しているということを業種を越えて伝えていきたい。
トレーニングという仕事を通じ、トレーナーという勉強を通じて、教えるということを習うことの成長をイヌを越えて共通していることに気が付きました。
若い時は、語るより動け!動ける者が育てば自分は下がらないとぶつかる。
それから教えることを習えばいい。
新人が育つ、伸びるためのリーダーや教育係の育成が急務だと思う今日この頃です。
私は自分の教え子はすごいと日々尊敬できる。
尊敬できる若い人たちをもっともっと育って活躍してもらいたい。
