一日でも多く一緒にいたい・・悔いが残らないようにこの犬と一緒にトレーニングをさせてください。
私の大切な知人であり、生徒さんの愛犬との生きざま。
こうした素晴らしい方と一緒にレッスンが出来たことを今でも感謝している。
犬も察しているのか、一秒一秒を少しでも一緒にいたいというかのように常にその飼い主さんを追い続ける。
私は結果はともあれ、この犬は幸せだったと思う。
今は次の飼い主さんと共に以前の飼い主さんと胸の中で共生している。
肉体死しても、魂は死なず!いつもその子と一緒にいるから大丈夫と私は思っている。
私が色々な生きるという貴重な時間と向き合ってきて感じることは、愛情を一杯注がれることが幸せでないということ、逆に与えられないことが不幸ではないと感じてる。
一番かわいそうに思うことは、その愛情を温もりを感じられないようになってしまっていることが私は一番不幸なことだと思ってしまう。
多くの問題を抱えている犬達は、愛情過多による苦しみという贅沢な苦しみなイヌが多い。
そして、やりたい放題させてもらって、それでまた可愛いと愛情をそそがれまくり、まったく苦労や我慢を知らずに育った犬達が、もがき苦しむ。
だから、何でも与えてあげることが幸せというのは違うと思う。
私はよく教室でこんな話をします。
「お腹が空いた」と思えることが幸せですと。
「欲しい」と思えることが幸せで、いらないと思えることは不幸だと思う。
お腹もすかない、欲しいものはない・・これほど生きるという中でもったいないことはないと思う。
求めることがあり、満たされることを感じられるうちが感謝もあるが、満たされ感がなくなったらありがたいと想わなくなる。
そうさせてしまうのも、 人間の愛情なのかもしれないが、よく考えて与えないと何でも与えるのが相手にとって良いとは限らない。
叶えないことも、その子にとって幸せの選択である場合も多い。
生きるという限られた時間の中で何を達成させてあげるべきなのか?
生きて行く上、大切な心を育むこと、そうした経験を積むことが一番の財産だと思う。
物質は持っていけなくても、強く育ててもらって自制をしっかり保てるようにしてあの世に帰れた時、私はあの世で自慢できる生き方が出来たことを目標に、いつも育てている。
明日を楽しみに迎えられなかった人たちもいる。
もっとこの子に色んな生きる力を育んであげたかった・・と思ってできなかった人たちもいる。
その中で今、生きてる私達はそれが出来るチャンスを、甘やかして無駄にするのは、本当の意味で命を粗末にしてしまう。
命大切にするということ・・形だけでなくもっともっと内面に目を向けて頂けたらと願うばかりです。
子どもたちも撫でることが大切と思っているが、そうではなく育むということが命と向き合う大切なことだということ、そして育まれて成熟した心と体で共に自分の意思で行動できる力を育ててあげることを大切にしてあげてほしい。
