今日から立春。
暦の上での新年ですね。
また気持ちを改めて一年を過ごしたいと思います。
早かったような、長かったような・・15年という時間の中で困った人を助けるということ、決して簡単ではないことを痛感させられた日々。
教科書の世界では、簡単な理屈や心の響く言葉があっても実際はそうとはいかない。
そうした経験の中で一番培ったこと、教えてもらったことの一つに「同事の心」があります。
助けてほしい人が誰かに助けてほしいと思う時・・それだけでは助かりません。
助けたいと思った人が行動を起こしても、その相手で自分で助かろうという行動を取らなければ、助けようとした人が逆に命を落とすこともある。
互いの息、想いが同事になった時、初めて「救われる」のだと思います。
ただ困った人を助けようと一方的行えば、相手を逆にダメにすることがあります。
逆に助けて~と求める人に手を差し伸べることで自分が引きずりこまれてしまい、命を落とせばそれで終わりです。
助けるということには、時には冷たさも必要です。
そうでないと、助ける側の自己満足に終わることもあり、逆に甘やかし相手の自力を奪うことにもなりかねない。
だからひどいと言われても、あえて突き放すことも助ける一つでもあります。
溺れている人を助ける時もすぐに行くなと注意をされました。
もうダメだと落ちる瞬間に助けろ!と。
最近は紙切れに感動し、紙切れで良いことを語る。
でも、実際はやってみないと真実は見えてこないと思うのです。
誰かに助けを求めているうちは、放っておくことも救いです。
それに手を差し伸べることがすべてではないし、困った人を助けようと手を差し伸べる行動が救えるわけではありません。
お互いの想いが同事となった時、そこが互いに救われる時ですね。
助ける方も、救われないと困った人も救われないのです。
優しい言葉、親切な行動が相手の為になるわけではない。
逆も愛の一つなのです。
両方あっての一つ。+と-があってエネルギーは産まれる。
それがすべてにおいての自然の道理。
最近は+がよくて、-が悪いかのようになってますが、両方で一つなのです。
私は相手から憎まれても、嫌われてもいい。
本当に自力で助かれるように導きをする時、甘えを断ちきらせないと助からないからです。
冷たい、ひどい・・でもそれは今だけ。
その先はどうだろう?
先に向かって時は流れている。その時にしかわからないのも人間です。
そうした大切な先人の知恵をこれからも若き指導者に注ぎたいと思います。
